ロックダウン100日目のプンツォリン [ブータン]
2005年2月にサンチャイ☆ブログを立ち上げてから、通算4,000記事になりました。年間250本、1カ月21本弱のペースを16年間続けないとたどり着けない数字であり、僕の人生にとって、既に金字塔といってもいい記録です。次の5,000の大台を、62歳の時に迎えられるよう、頑張っていきます。
南部の都市プンツォリンは、7月25日で、ロックダウンが100日を迎えた。最近見つかったプロトコル上の「抜け穴」問題や、域内の子どもたちへの教育機会確保のための内地(安全地帯)の学校への転校など、断片的にはいろいろ耳に入ってくるが、100日目を前に、全国紙クエンセルが、プンツォリンのこれまでと今、今後の課題などを総括する論説を上げているので、グーグル先生のお力にすがり、抄訳してみた。
南部の都市プンツォリンは、7月25日で、ロックダウンが100日を迎えた。最近見つかったプロトコル上の「抜け穴」問題や、域内の子どもたちへの教育機会確保のための内地(安全地帯)の学校への転校など、断片的にはいろいろ耳に入ってくるが、100日目を前に、全国紙クエンセルが、プンツォリンのこれまでと今、今後の課題などを総括する論説を上げているので、グーグル先生のお力にすがり、抄訳してみた。
封鎖された100日間
100 days under siege
Rajesh Rai、Younten Tshedup記者、Kuensel、2021年7月24日(土)、
https://kuenselonline.com/100-days-under-siege/
【抄訳】
かつては賑わいを見せていたブータンの商業の中心地プンツォリンは、今活気を失っている。ウイルス感染が活発な他は、すべてが停止している。プンツォリンは明日封鎖から100日目を迎える。インドと国境を接するこの町は、この間に少し息をつける期間はあったものの、封鎖制限から完全に抜け出すことはできていない。 8歳の少年と彼の母親がインフルエンザクリニックで受診したCOVID-19の検査で陽性を示した翌4月17日より、プンツォリンは封鎖された。住民は疲れ果て、状況に不満を抱いている。多くの人が、プンツォリンで忍耐強く長期間を過ごした後、ティンプー、パロ、ワンデュ、モンガルなどへと去っていった。
「自宅に長時間閉じ込められていると、とても気が滅入る」と、現在家族と一緒にモンガルにいるビジネスマンのカルマ・ドルジは述べる。多くの人々にとって、この移住を強いられるきっかけとなったのは子どもの教育の問題だった。 「プンツォリンに改善の兆しが見られない状況で、私は我が子のことが心配です」とプンツォリンの2人の父親は言う。 「ティンプーで子どもたちが入れる学校の空きを探しているところです。ティンプーが難しい場合は、他県にもあたってみます。」
プンツォリンは何がうまくいかなかったのか?
プンツォリンはインドと国境を接しているため、昨年のパンデミック発生以来、国内で最もリスクの高い地域の1つと指定されてきた。封鎖から数カ月が経過した現在でも、居住地域から陽性者が出ている。問題は、ロックダウンがプンツォリンで機能しているのかどうかである。しかし、域内での陽性者検出率を見る限り、機能しているようには見えない。
本紙は、最近、ある企業の従業員数名がプンツォリンで夕食会を開催していた情報をつかんだ。夕食会参加者の何人かはウィルス感染していた。また、3回目の集団検査の際、検査会場に来なかった例もありました。政府は、2回目の全国的なワクチン接種キャンペーンに備え、7月9日にプンツォリンを完全封鎖することを決定した。しかし、封鎖を課す直前、人々は7月8日に外出して買い物を済ませることを許された。これが誤りだった。本紙は、メガゾーン第Ⅱ区内の店舗で働いている約5人の女性が7月8日、検査未了の状態でメガゾーン第Ⅰ区に送られたとの情報を入手した。
これらの女性はメガゾーン第Ⅱ区内の第Ⅳ中核エリアで働いていた。電子許可証を使用し、女性はメガゾーン第Ⅰ区内トゥールサ住宅開発地区にある自宅に戻った。これらの女性の一部は、4回目の封鎖から2日後の7月11日に陽性確認されたが、それ以前に彼女たちからその友人たちへと感染が広がった。彼女たちが住んでいたトゥールサ住宅開発地区の建物は、「危険ビル」と指定された。ビルの住人であるリンチェン氏は、この事件を知ってホットライン番号に電話し、そもそも女性がメガゾーン第Ⅱ区内で検査を受けずに移動できた理由を尋ねた。 「当局はトゥールサ集落に戻ってくる人々だけを検査したと回答しました。ウイルスに感染しやすいのは居住地域だけなのか(商業地域は対象にならないのか)と尋ねました。」リンチェン氏は、こうした当局の対応の誤りが彼の建物を「危険」の烙印を押される事態を招いたと指摘する。
本紙の取材に対し、トゥールサの仮設住宅居住者の1人は、ホットラインの応対者も、彼が検査なしで帰宅できると、(リンチェン氏と)同じことを言ったと回答している。しかし、ホットライン応対者は、7日間の厳しい自宅隔離を行うよう彼に忠告したそうである。「しかし、私はインフルエンザクリニックへ診察に出かけ、その後帰宅しました」と彼は言い、その後厳格な自宅隔離に入ったと付け加えた。 「検査結果がなければ、人々はトゥールサの仮設住宅に入ることができません。」
(後半に続く)
『錦繍』 [読書日記]
内容紹介【購入(キンドル)】
愛し合いながらも離婚した二人が、紅葉に染まる蔵王で十年を隔て再会した――。往復書簡がそれぞれの過去と思慕を炙り出す。恋愛小説の金字塔。会って話したのでは伝えようもない心の傷。14通の手紙が、それを書き尽くした。「前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした」運命的な事件ゆえ愛しながらも離婚した二人が、紅葉に染まる蔵王で十年の歳月を隔て再会した。そして、女は男に宛てて一通の手紙を書き綴る――。往復書簡が、それぞれの孤独を生きてきた男女の過去を埋め織りなす、愛と再生のロマン。
今月の宮本輝作品は、これまでに読んだ「川三部作」と『青が散る』の間ぐらい、1982年に書かれた『錦繍』である。大辞泉によると、「錦繍」には、「美しい織物・衣服」「美しい紅葉や花のたとえ」「美しい字句や文章のたとえ」といった意味があるらしい。
この小説、そのどれにも該当する。別れてしまった2人の往復書簡は、2人が出会うまでのいきさつのうち、お互いにつまびらかにしてこなかった過去にまでさかのぼり、元夫が巻き込まれた無理心中事件のいきさつ、なぜ離婚という選択に至ったのかの各々の思い、離婚後の10年の歩みと現在、そしてこれからの生き方についての決意に至るまで、14通にも及ぶやりとり自体が、あたかも縦糸と横糸が織りなす美しい織物のようにすら感じられる。お互いまだ30代なのだが、そうとは思えないほどの美しい文体だし、確か蔵王での偶然の再会のシーンや、元妻・亜紀が現在の夫・勝沼との離婚を決意してその旨を父に告げるシーンでは、相当鮮やかな紅葉が背景に使われていた気がする。
30代の男女が、こんなにも格調高い長文の手紙を綴ることができたのが1980年頃だったのだろうかと、40年も時代を下ってきた現在の僕らから見たら最初は戸惑いも覚える。でも、よくよく考えてみると、当時は高校生だった僕らの間でも、確かに文学少女はクラスにも何人かいたし、男子でも国語の先生を目指していた奴がいた。かくいう僕にしたって、恥ずかしながら家族の目を盗んで私小説を書いていた。ここ数年進めてきた実家の断捨離の中で、その大半は捨てちゃいましたが。
断捨離をやる過程で随分感じたが、当時は相当頻繁に手紙をやり取りしていた。大学の友人からの手紙、高校の同窓生からの手紙、親からもらった手紙、バイト先の元同僚女子からの手紙(色恋の話ではない)、文通ってのもあったし、自分自身が旅先から自分に宛てた手紙というのもあった。学生当時付き合っていた彼女が帰省先から僕の帰省先に送ってきた手紙というのもあった。せいぜい便箋2枚程度のものだが、よくもまあこれだけの手紙をもらっていたなと思うし、たぶん僕自身もいただいた手紙の前に何かしら出していたかもしれないし、向こうが先だったとしてもお返しで手紙を書いていただろう。メールやSMSで用件が簡単に済ませられる今の若い人たちには想像できないかもしれないが、そういう時代だったのは確かだ。そして、当時の自分たちの筆力って大したものだったと今さらながらに思えるのである。
タグ:宮本輝
『考える術』 [仕事の小ネタ]
内容紹介【購入(キンドル)】
本書の著者は「無駄づくり」というコンテンツをネットを中心に展開しており、これまでに何百もの「無駄作品」を発表、その人気は海外にも波及し、台湾での個展では25,000人もの観客が殺到した、話題の発明家だ。その発明は「目覚ましを止めてくれるマシーン」「イヤホンをからませるマシーン」「カップルが別れましたとツイートすると光るライト」など、「どこからそんなことが思いつくのか?」と思わされるものばかりで、その発想の「ユニークさ」「スピード」「量」はすさまじいものがある。
著者は、そうした発明を何年も継続してきた中でつかんだ「考えるテクニック」をあますところなく、本書に詰め込んだ。考えることが苦手で、真っ白な企画書を前にしていつもうんうんとうなっている人、斬新なことを考えたくても、どうしても人と同じになってしまう人など、「考える」ことに悩むすべての人の福音となる1冊だ。
本当は、今週19日に発売された新刊『無駄なマシーンを発明しよう!』をキンドルを購入しようかと思っていたのだが、この本は大きなディスプレイじゃないと読みにくいので、Kindle Paperwiteのモノクロ小画面には向いていない。こっちはいずれ製本版を購入することにして、先ずは同じ著者が半年前に出したアイデア出しのノウハウに関する本を先にキンドルで読んでみることにした。
プログラミング教育推進熱を少し冷静に見てみる [ブータン]
オンラインプラットフォームCodeMonkeyが、コーディング学習を
より楽しく生徒を惹きつけるものにする
CodeMonkey, an online platform, to make coding more fun
and engaging for students
BBS、2021年7月20日(火)
http://www.bbs.bt/news/?p=154077
【抄訳】
CodeMonkeyと呼ばれる新しいコーディングオンラインプラットフォームが、本日、教育省に提出された。これにより、コーディングはより楽しくない、学校での取組み加速が期待される。CodeMonkeyは、有料レッスンを提供できる人気のオンラインプラットフォームで、ゲームを通じて子どもたちにコーディングを学ぶ機会を与える。 CodeMonkeyは、ブータンの子供たちへの国王陛下からの贈り物である。コーディングとは、コンピューター言語を使用してゲームやウェブサイトなどのアプリケーションを開発するプロセスを言う。
今年2月、国王の勅命により、王立STEM教育協会(RSSTEM)は、幾つかの教育プラットフォームの調査を行った。教育省及び情報通信省情報技術通信局(DITT)との協議を経て、RSSTEMは、幾つかの有力プラットフォームの中から、CodeMonkeyを選定した。
CodeMonkeyは、学習者が視覚的に面白い画像を自分で作っていくことで、コードを書いてしまうことを可能にする。オンライン上で様々な課題をこなしたり、活動を行なったりすることで、学習者は批判的、創造的、論理的思考を発達させるものと期待されている。
ジャイ・ビル・ライ教育相は、CodeMonkeyローンチングの席上、将来の仕事では複雑な問題を解決できるスキルが必要であり、批判的思考や創造的思考などのスキルを学校時代から開発し、育成する必要があると強調した。その「戦略の1つは、幼稚園からとは言わないまでも、小学校低学年からのコーディング教育を行うことだ。」教育省は、来月から学校においてオンラインプラットフォームを展開する予定である。
RSSTEMのプロジェクトディレクターであるカルマ・ワンディ会長は、こう述べる。「コーディングはクラス7及びクラス8のICTカリキュラムの一部として組み込まれ、他の教科の補足学習となる。クラス6以下の小学校及び就学前教育の場合は、コンピューターの利用可能性とネットワーク接続が許す限り、展開していきたい。」
教育省、DITT、及び王室事務局直下のRSSTEMの三者はこの日、プログラムの迅速な実施のため、覚書に署名した。コーディングは、学生が急速に変化するデジタル世界に追いつくことを奨励するため、昨年教育カリキュラムに導入された。
7月22日、仕事の関係でRSSTEMのカルマ会長に面談した際、CodeMonkeyというプラットフォームをローンチしたところだと伺った。無知な僕はてっきりブータン政府が国王陛下の命を受けて独自で開発したプラットフォームだと思い込んでいたが、あとで宿舎に戻って調べてみたところ、既に確立されて世界的にも利活用が進んでいるプラットフォームだった。日本語のページもあるくらいだから、きっと日本でのプログラミング教育でもかなり活用されているのだろう。なので、日本で小学校プログラミング教育に多少でも関わったことがある若い教員経験者にとって、ブータンは教えるチャンスかもしれません。興味ある方は、是非CodeMonkeyは覚えておきましょう。
大学プログラムの改編で思う、過去の経緯 [ブータン]
自分の仕事と若干なりとも関係すると思えそうな現地報道には、少しばかり思うところも述べておこうかと思い、今回紹介することにした。自分自身の情報収集にもなるし。
シェラブツェ大学の新設プログラムについては、社会のニーズには合っていると思う。逆に、シェラブツェ大学が持っていた英語学士というのについては、未だ存在していたこと自体が意外だった。確か、2017年7月にヨンフラ・センテナリー大学がシェラブツェから独立した際、英語学科はそちらに新設大学に移ったものだと思っていたから。だから、「社会のニーズがない」なんて理由を付けられても、それじゃヨンフラはどうなっちゃうのかなと別の疑問も湧いてきた。
王立ブータン大学、3プログラムを廃止
RUB discontinues three programmes
BBS、2021年7月20日(火)
https://www.bbs.bt/news/?p=154084
【抄訳】
王立ブータン大学(RUB)は、傘下の各カレッジのプログラムを国内労働市場のニーズを踏まえて調整している。今年度、RUBは、労働市場との関連性がないと判明した3つのプログラムを廃止した。
廃止されるのは、タクツェ言語文化大学(CLCS)のブータン・ヒマラヤ研究学士、サムツェ教育大学(SCE)のソーシャルワーク学士、およびシェラブツェ大学の英語・ゾンカ語学士の3プログラム。RUBによると、大学はこれらのプログラムの卒業生はどこにも受け入れられていないというフィードバックがあったという。ソーシャルワーク学士については、SCEの大学卒業証書の要件すら満たしていなかったという。このため、王立人事院(RCSC)はこれらのプログラムの卒業生の公務員応募も受け付けていないという。RUB関係者は、これらのコースの卒業生の60%以上がまだ失業していると語った。
その間、RUBは3つの新しいプログラムを導入した。これらは、市場の需要が高いスキルの習得機会を提供するものと期待されている。新設されたのは、シェラブツェ大学のデータサイエンス学士、統計学士、CLCSのゾンカ文化研究学士の3プログラム。
シェラブツェ大学の新設プログラムについては、社会のニーズには合っていると思う。逆に、シェラブツェ大学が持っていた英語学士というのについては、未だ存在していたこと自体が意外だった。確か、2017年7月にヨンフラ・センテナリー大学がシェラブツェから独立した際、英語学科はそちらに新設大学に移ったものだと思っていたから。だから、「社会のニーズがない」なんて理由を付けられても、それじゃヨンフラはどうなっちゃうのかなと別の疑問も湧いてきた。
再々読・『東京物語』 [奥田英朗]
当地にいると、週末はピクニックやトレッキングに行かないかと誘われることも時々あるが、今回の駐在において心臓に不安を抱えていた僕は、そうしたお誘いをやんわりお断りしている。本来の任地は海抜300m弱。僕もそれだったらというので今回の仕事の話は引き受けた。でも、新型コロナウィルス感染拡大の影響で、その任地には入ることができず、海抜2300m強の首都で取りあえず活動をスタートさせることになった。これ自体、渡航にあたってはものすごい不安があった。幸い、今のところは無事だが、それでも怖いから、高低差を伴うウォーキングはなるべく避けている。その代わりに、もっぱら週末読書にいそしむのだ。
でも、今週末はあまり難しい本は読みたくない気分。で、前回の小説再読シリーズの流れで、また1冊読んだ。
性懲りもなく―――というには6年の間隔は空きすぎで、二度目の再読もお赦し下さい。ちなみに初読は2009年7月、前回の再読は2015年2月だった。いい感じで6年間隔を空けているが、どちらの時もそれなりに力のこもった感想をブログでも紹介しているので、そちらも是非ご笑覧下さい。
で、今回二度目の再読で、新たに付け加えられることは何かというのもちょっと考えてみた。
でも、今週末はあまり難しい本は読みたくない気分。で、前回の小説再読シリーズの流れで、また1冊読んだ。
性懲りもなく―――というには6年の間隔は空きすぎで、二度目の再読もお赦し下さい。ちなみに初読は2009年7月、前回の再読は2015年2月だった。いい感じで6年間隔を空けているが、どちらの時もそれなりに力のこもった感想をブログでも紹介しているので、そちらも是非ご笑覧下さい。
で、今回二度目の再読で、新たに付け加えられることは何かというのもちょっと考えてみた。
再読『海の見える理髪店』『続・横道世之介』 [読書日記]
ああ、小説読みて~!
今ちょっとした気持ちの落ち込みを経験中で、本当は本をちゃんと読みたいわけだけれど、持って来ているのは仕事に関係する本ばかり。でも、気持ちが落ち込んでいる時には小説が読みたい。ちょっとした暇な時間があるから余計なことを考えてそれで落ち込んでしまうのだから、そんなことを考える時間を与えぬぐらいに読むのに没頭した方がいい。少なくとも現実逃避できる。
海外駐在していて、新しい小説を読みたければ、キンドルでダウンロードすりゃいいわけだけど、そこまでする気にもなれず、それなら過去に読んだ小説でも読み返すところから始めことにした。
それで今週後半、急に読み始めたのが荻原浩『海の見える理髪店』と吉田修一『続・横道世之介』。
2016年9月に読んだ時と現在との大きな違いは、僕自身が父を亡くしたことである。そして、改めてこの短編集に収録されている作品の中で、父と自分との関係を描いているのは、標題にもなっている「海の見える理髪店と「時のない時計」だった。特に後者は、実際に父を亡くしていて、かつその主人公が年齢的に今の僕とほとんど同世代である。父の形見分け―――というか、父がなぜかため込んでいた帽子やバッグ、防寒着、ネクタイ、さらには介護施設生活用に買い置きしてあった肌着類も、母から「持って行って」と言われ、今回の海外赴任に持って来ている。自分の嗜好とは随分と違うし、似合わないものも多い。バッグに至っては、当地で使い始めてすぐに糸がほつれ始め、それをどう修繕するかで頭を悩ませている。
今ちょっとした気持ちの落ち込みを経験中で、本当は本をちゃんと読みたいわけだけれど、持って来ているのは仕事に関係する本ばかり。でも、気持ちが落ち込んでいる時には小説が読みたい。ちょっとした暇な時間があるから余計なことを考えてそれで落ち込んでしまうのだから、そんなことを考える時間を与えぬぐらいに読むのに没頭した方がいい。少なくとも現実逃避できる。
海外駐在していて、新しい小説を読みたければ、キンドルでダウンロードすりゃいいわけだけど、そこまでする気にもなれず、それなら過去に読んだ小説でも読み返すところから始めことにした。
それで今週後半、急に読み始めたのが荻原浩『海の見える理髪店』と吉田修一『続・横道世之介』。
◆◆◆◆
2016年9月に読んだ時と現在との大きな違いは、僕自身が父を亡くしたことである。そして、改めてこの短編集に収録されている作品の中で、父と自分との関係を描いているのは、標題にもなっている「海の見える理髪店と「時のない時計」だった。特に後者は、実際に父を亡くしていて、かつその主人公が年齢的に今の僕とほとんど同世代である。父の形見分け―――というか、父がなぜかため込んでいた帽子やバッグ、防寒着、ネクタイ、さらには介護施設生活用に買い置きしてあった肌着類も、母から「持って行って」と言われ、今回の海外赴任に持って来ている。自分の嗜好とは随分と違うし、似合わないものも多い。バッグに至っては、当地で使い始めてすぐに糸がほつれ始め、それをどう修繕するかで頭を悩ませている。
コーディングをPi-Topで習うと… [ブータン]
日本でも今盛んに行われているプログラミング研修、参加資格者がほとんどの場合中高生ぐらいまでに限定されていて、中高「年」のオジサンが参加できるような研修機会はあまりない。文系人間のくせに50代になってからこの世界に関わり始めた僕は、もっぱらラズパイ電子工作の本を買って、パーツは秋月電子通商やスイッチサイエンスで取り寄せて、それでわからないなりになんとか覚えようと努力はしてみるが、どうにもこうにも覚えられない。乱視なのか老眼なのかわからないが、ブレッドボードやGPIOにジャンパーワイヤーのピンを差し込むのにもいちいち眼鏡をはずして凝視しないとできない。
こうして、日本でのプログラミング研修の現場を見たことがないから比較することが難しいのだが、ラズパイ(Raspberry-Pi)内蔵のモジュラーラップトップ「Pi-Top 3(パイトップ)」は、ブータンでは日本よりも頻繁に目にする機会があるような気がする。ブータンでは、コーディングの研修(プログラミング研修)自体がPi-Top 3で行われることが多く、既にデファクトスタンダード化した感がある。
英国のスタートアップ企業が製作したPi-Topをブータンに初めて持ち込んだのは日本人であり、その経緯は下記の本の中でも触れられている。この本の最後の舞台となった2019年4月時点では、Pi-Top 3はティンプーのファブラボ・ブータンに10台弱あるだけだったが、その頃から始まっていたSTEM教育の盛り上がりに目を付けたユニセフが、国内各地に設置されているユースセンターや、IT系の学科を有する大学にもPi-Top 3を多数供与した。
だから、コーディングというとPi-Top 3のモジュラーレールにブレッドボードを装着して、内蔵のPython IDEを呼び出してキーボードでコードを書いていくという姿が、当たり前のように見られる。ラズパイとブレッドボードをジャンパーワイヤーでつなぎ、ディスプレイはHDMIケーブルで、キーボードやマウスはUSBケーブルでつないで、デスクトップPCのような環境を作ってコードを書くという、僕が本で習ったやり方とは、原理は同じだろうが見た目が随分と異なる。
こうして、日本でのプログラミング研修の現場を見たことがないから比較することが難しいのだが、ラズパイ(Raspberry-Pi)内蔵のモジュラーラップトップ「Pi-Top 3(パイトップ)」は、ブータンでは日本よりも頻繁に目にする機会があるような気がする。ブータンでは、コーディングの研修(プログラミング研修)自体がPi-Top 3で行われることが多く、既にデファクトスタンダード化した感がある。
英国のスタートアップ企業が製作したPi-Topをブータンに初めて持ち込んだのは日本人であり、その経緯は下記の本の中でも触れられている。この本の最後の舞台となった2019年4月時点では、Pi-Top 3はティンプーのファブラボ・ブータンに10台弱あるだけだったが、その頃から始まっていたSTEM教育の盛り上がりに目を付けたユニセフが、国内各地に設置されているユースセンターや、IT系の学科を有する大学にもPi-Top 3を多数供与した。
ブータンにデジタル工房を設置した (OnDeck Books(NextPublishing))
- 作者: 山田 浩司
- 出版社/メーカー: インプレスR&D
- 発売日: 2020/09/25
- メディア: オンデマンド (ペーパーバック)
だから、コーディングというとPi-Top 3のモジュラーレールにブレッドボードを装着して、内蔵のPython IDEを呼び出してキーボードでコードを書いていくという姿が、当たり前のように見られる。ラズパイとブレッドボードをジャンパーワイヤーでつなぎ、ディスプレイはHDMIケーブルで、キーボードやマウスはUSBケーブルでつないで、デスクトップPCのような環境を作ってコードを書くという、僕が本で習ったやり方とは、原理は同じだろうが見た目が随分と異なる。
『持続可能な開発における〈文化〉の居場所』 [持続可能な開発]
持続可能な開発における〈文化〉の居場所――「誰一人取り残さない」開発への応答
- 出版社/メーカー: 春風社
- 発売日: 2021/01/29
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
内容紹介【献本】
持続可能な開発に、地域文化や文化的多様性はいかにして結びつく・結びつけられるべきか、開発学・人類学・教育学から多角的に検討。
本書は、今年1月、発刊になったばかりの頃に、執筆者のお一人から献本された。1冊3,850円もする本を献本いただくのは身の引き締まる思いで、早く読まねばと思いながら、それでも半年経過。僕も別の本の執筆協力をして、その方にお返しで1冊謹呈したが、そっちの方は4,180円だったので、これでほぼおあいこにして、半年の遅れをお許しいただけたらと思う。
当然、献本だからポジティブなコメントからスタートさせたい。国際協力とはいえ、今僕自身が派遣されている国は本書ではほとんど出てこないが、それは置いておいても、国際協力の実践者であれば読んで示唆を得られる1冊だと思う。「持続可能な開発」とか、「SDGs」とかいうと、昨今実に多くの解説本が出ている。その多くは、そもそもそれらについて知らない人に知ってもらうことを目的に書かれているため、論旨が割とシンプルなものが目立つ。最も極端なのは、「SDGs=ビジネスチャンス」という、想定読者をビジネスパーソンに定めているような本である。それはそれでニーズがあるだろうし、出版サイドでも、「SDGs」と付けば売れるという読みもあるだろう。
それに対して、本書の執筆者のほとんどが研究者である。研究者の書きぶりは堅苦しいし、他の世界的に影響力の大きかった文献の論旨を援用して権威付けが図られるケースも多いし、カタカナ概念も目立つ。決してとっつきやすい書きぶりではないのだが、1つ言えることがある。世の中のSDGs解説本に比べて、圧倒的に考察が深く、そして面白い。にわか専門家が論じているわけではなく、各執筆者が長年そのフィールドにおいて参与観察を重ね、そしてそこからの知見を新たに国際社会を支配しようとする概念やその形成プロセスとも絡めて、留意すべき点を考察している。それに、高額であるにも関わらず、売上促進を狙って「SDGs」という言葉をタイトルに入れず、より長く使われてきた「持続可能な開発」という言葉までにとどめた点に、学界の矜持すら感じた。
SDGsの解説本を読み、ビジネスチャンスを掴もうと考えて持続可能な開発に取り組もうと入ってきた人は、次のステップとして、こういう文献も読むべきだ。
『マーケットデザイン』 [読書日記]
マーケットデザイン: 最先端の実用的な経済学 (ちくま新書)
- 作者: 坂井 豊貴
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2013/09/04
- メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)【購入(ただし中古)】
社会制度は天や自然から与えられたものではなく、人間が作るものだ。いまそこで当たり前のように受け入れられている制度は果たして上手くできたものなのか。効率性は満たされるのか、公平性は実現するのか、戦略的操作にはうまく対処できるのか。マーケットデザインはこれらの要素を全て組み入れたうえで制度の精緻な設計図を描くことができる。実用化の進展も目覚ましく、関連分野には次々とノーベル経済学賞が与えられている。新時代の経済学は私たちの常識を美しく塗り替えてゆく。
2015年1月、「週刊東洋経済」が「ピケティ完全理解」という特集を打った。その前年10月にピケティが大方の予想通りにノーベル経済学賞を受賞し、それを受けての特集だった。僕はいまだに、あの『21世紀の資本』の原文は読んでいないのだが、当時から、あの分厚さを敬遠して、なんとか原文に触れずにエッセンスだけ理解する方法がないかと考え、東洋経済の特集号に飛びついたのである。
ところが、この特集号、ピケティの特集以外に、「こんなに面白い最新経済学」という第2特集までくっついていた。当時この週刊誌を読んだ感想として、僕は「第2特集の方が面白かった」と記録を残している。そこでいずれ読もうとチェックして、実際に今までに読んだ本には、以下が挙げられる。(こんなもんだったかなと、振り返ってみたら思えるが、他にも1,2冊はあったかもしれないが思い出せない。)
エドワード・グレイザー『都市は人類最高の発明である』
伊藤秀史『ひたすら読むエコノミクス』
リチャード・フロリダ『クリエイティブ都市論』
そして、その時にいずれ読みたい本のリストに挙げておきながら、以後6年間、まったく読もうともしていなかったのが、「マーケットデザイン」という分野を紹介した、その名もズバリの『マーケットデザイン』であった。