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ロックダウン100日目のプンツォリン [ブータン]

2005年2月にサンチャイ☆ブログを立ち上げてから、通算4,000記事になりました。年間250本、1カ月21本弱のペースを16年間続けないとたどり着けない数字であり、僕の人生にとって、既に金字塔といってもいい記録です。次の5,000の大台を、62歳の時に迎えられるよう、頑張っていきます。

南部の都市プンツォリンは、7月25日で、ロックダウンが100日を迎えた。最近見つかったプロトコル上の「抜け穴」問題や、域内の子どもたちへの教育機会確保のための内地(安全地帯)の学校への転校など、断片的にはいろいろ耳に入ってくるが、100日目を前に、全国紙クエンセルが、プンツォリンのこれまでと今、今後の課題などを総括する論説を上げているので、グーグル先生のお力にすがり、抄訳してみた。

封鎖された100日間
100 days under siege
Rajesh Rai、Younten Tshedup記者、Kuensel、2021年7月24日(土)、
https://kuenselonline.com/100-days-under-siege/
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【抄訳】
かつては賑わいを見せていたブータンの商業の中心地プンツォリンは、今活気を失っている。ウイルス感染が活発な他は、すべてが停止している。プンツォリンは明日封鎖から100日目を迎える。インドと国境を接するこの町は、この間に少し息をつける期間はあったものの、封鎖制限から完全に抜け出すことはできていない。 8歳の少年と彼の母親がインフルエンザクリニックで受診したCOVID-19の検査で陽性を示した翌4月17日より、プンツォリンは封鎖された。住民は疲れ果て、状況に不満を抱いている。多くの人が、プンツォリンで忍耐強く長期間を過ごした後、ティンプー、パロ、ワンデュ、モンガルなどへと去っていった。

「自宅に長時間閉じ込められていると、とても気が滅入る」と、現在家族と一緒にモンガルにいるビジネスマンのカルマ・ドルジは述べる。多くの人々にとって、この移住を強いられるきっかけとなったのは子どもの教育の問題だった。 「プンツォリンに改善の兆しが見られない状況で、私は我が子のことが心配です」とプンツォリンの2人の父親は言う。 「ティンプーで子どもたちが入れる学校の空きを探しているところです。ティンプーが難しい場合は、他県にもあたってみます。」

プンツォリンは何がうまくいかなかったのか?
プンツォリンはインドと国境を接しているため、昨年のパンデミック発生以来、国内で最もリスクの高い地域の1つと指定されてきた。封鎖から数カ月が経過した現在でも、居住地域から陽性者が出ている。問題は、ロックダウンがプンツォリンで機能しているのかどうかである。しかし、域内での陽性者検出率を見る限り、機能しているようには見えない。

本紙は、最近、ある企業の従業員数名がプンツォリンで夕食会を開催していた情報をつかんだ。夕食会参加者の何人かはウィルス感染していた。また、3回目の集団検査の際、検査会場に来なかった例もありました。政府は、2回目の全国的なワクチン接種キャンペーンに備え、7月9日にプンツォリンを完全封鎖することを決定した。しかし、封鎖を課す直前、人々は7月8日に外出して買い物を済ませることを許された。これが誤りだった。本紙は、メガゾーン第Ⅱ区内の店舗で働いている約5人の女性が7月8日、検査未了の状態でメガゾーン第Ⅰ区に送られたとの情報を入手した。

これらの女性はメガゾーン第Ⅱ区内の第Ⅳ中核エリアで働いていた。電子許可証を使用し、女性はメガゾーン第Ⅰ区内トゥールサ住宅開発地区にある自宅に戻った。これらの女性の一部は、4回目の封鎖から2日後の7月11日に陽性確認されたが、それ以前に彼女たちからその友人たちへと感染が広がった。彼女たちが住んでいたトゥールサ住宅開発地区の建物は、「危険ビル」と指定された。ビルの住人であるリンチェン氏は、この事件を知ってホットライン番号に電話し、そもそも女性がメガゾーン第Ⅱ区内で検査を受けずに移動できた理由を尋ねた。 「当局はトゥールサ集落に戻ってくる人々だけを検査したと回答しました。ウイルスに感染しやすいのは居住地域だけなのか(商業地域は対象にならないのか)と尋ねました。」リンチェン氏は、こうした当局の対応の誤りが彼の建物を「危険」の烙印を押される事態を招いたと指摘する。

本紙の取材に対し、トゥールサの仮設住宅居住者の1人は、ホットラインの応対者も、彼が検査なしで帰宅できると、(リンチェン氏と)同じことを言ったと回答している。しかし、ホットライン応対者は、7日間の厳しい自宅隔離を行うよう彼に忠告したそうである。「しかし、私はインフルエンザクリニックへ診察に出かけ、その後帰宅しました」と彼は言い、その後厳格な自宅隔離に入ったと付け加えた。 「検査結果がなければ、人々はトゥールサの仮設住宅に入ることができません。」
(後半に続く)

デルタ株への懸念
プンツォリンが陽性確認者を出し続ける理由の1つは、SARS-CoV-2ウイルスの感染性の高いデルタ変異株によるものであると、全国予防接種技術諮問グループ(NI-TAG)のソナム・ワンチュク医師は述べる。彼は、プンツォリンは過去にも域内から陽性確認者を出したが、発生は現在のものほど広くはなく、再発ケースもあると述べた。これは、当時のウイルスが今ほど感染しなかったためだという。「私たちは適切なプロトコルを持っていますが、それが、以前もまた今日も厳密に守られていませんでした」とソナム・ワンチュク医師は指摘する。 「これまでのプロトコルでは、今回のケースでも同じ手段とプロトコルが機能すると考えられてきましたが、デルタ変異株に対しては機能していないことがわかっています。」

技術諮問グループ(TAG)のメンバーであるツォキ医師は、過去の発生例とは異なり、現在の発生例では、1人の個人が感染した場合、家族の大多数が陽性に転じると述べた。 「これは、デルタ変異株が高度かつ効果的に伝染するからだ。」4月17日以降、プンツォリンで514の陽性確認があり、そのうち347例が以前に陽性確認された感染者との濃厚接触者だった。残る167の陽性例が、感染経路不明のまま域内で検出されている。

非難の応酬
イライラして疲れ果てた住民は、プンツォリンでのウイルス拡散を封じ込めなかったとしてタスクフォースを非難し始めた。最近発見されたプロトコル上の抜け穴を指摘し、住民はタスクフォースのメンバーの信頼性に疑問を投げかけている。

しかし、その非難は、その発生地の場所だけを責めるべきだとする人も多い。匿名希望のプンツォリン住民は、次のように述べる。「ウィルスを封じ込められないからといって、誰かを批判すべきではない。プンツォリンは貿易の中継地です。穴の多い国境線があれば、いつでも何でも起こり得る。」しかし、彼は、低リスク地域への人々の移動の登録は透明なものでなければならないとも付け加えた。 「月に2回国内移動した人もいれば、2カ月以上国内移動許可を待っている人もいます。今日登録して1、2日以内に出発できる人もいるのです。」

そこに大きな抜け穴が発生する可能性があるため、封じ込めゾーンとエスコート要員の強化を図る必要もあると彼は付け加えた。パサカ出身の女性、ニマ・デマは、7月2日に国内移動するため検疫に登録したと述べた。「私がホットラインに電話するたび、彼らは違う言い訳をします。その言い訳が私には理解できません。彼らでさえ、私たちがいつ移動許可を得られるのかがわからないのです。」ニマは家族の問題に関連したいくつかの緊急の用務のためにティンプーに行きたいと願っている。 「しかし、彼らが緊急のケースをどのように考えているのかわかりません。ホットラインの電話に応答する人は、少なくとも登録の詳細を知っている必要があるんじゃないでしょうか。」

保健当局と最前線の労働者を含むタスクフォースがウイルスの拡散を封じ込めるためにたゆまぬ努力をしていると評価する人もいる。 「彼らがいなかったら、今日、国全体が苦しんでいたでしょう。彼らが家族や愛する人から1年以上離れていることを、私たちも理解する必要があります。」

パサカにある工場の従業員であるガガン・シャルマは、彼の住む建物が「危険ビル」として指定されるのは二度目だと述べた。「今回は7月8日から指定されました。今のところは問題ありません。心の準備ができてましたから。」彼は、生活上必要な物資は欠くことなく供給されていると述べる。このビルは前回、6月にも一度危険ビル指定を受けている。

ビジネス面では、ワクチン接種後に封鎖解除されたとしても、大きな影響を受けるのは小規模店舗、レストラン、バーである。レストランのオーナーであるカルマ・ツェリン・ドルジは、キドゥ(国王による喜捨)は受け取ることができないと述べる。 「私たちの王様はすでに私たちのためにたくさんのことをして下さっています」と言う。しかし、彼は、政府は彼らを支援できると付け加えた。 「政府がプンツォリンで影響を受けた企業に低利優遇貸付の利用で支援してくれるなら。」彼は多額の貸付は要らないとも述べた。彼がレストラン事業を手に入れ、未払いの家賃を支払うのに役立つ金額で十分だという。 「事業を再開し、順調に運営できれば、ローンを返済することができます。」

記念すべき大台記録記事、いきなりの長文引用ですみません。

先週週明けから、王様は南部視察にいらっしゃっている。100日ものロックダウンが続いていて、ゴーストタウン化しているプンツォリンも視察されていて、続報も少し入ってきている。プンツォリンを見捨てないとのメッセージを強調されているようである。

ロックダウンは人流を強制的に抑制する施策で、人流が抑制されれば、感染拡大は抑えられるため、3週間ほどで効果が出てくると期待されていた筈だ。それが、21日どころか100日も続いている。ずっと自宅の屋内にいたらそれはストレスもたまるだろうし、親としては子どもの教育が心配にもなるだろう。そして、なんで効果発現にこんなに時間を取られているのか、問いたくもなるだろう。

取りあえずはブータン入りさせてもらった僕の本来の任地はこのプンツォリンであり、状況が沈静化して人の往来がもう少し自由になったら、僕も現地入りさせてもらいたいと思っている。当面首都でやれることは、入構制限で各々の実家からリモート受講を余儀なくされている科学技術カレッジ(CST)の3年生で、首都にいる学生を対象に、さらに3Dモデリングの講習会をさらに拡大して行っていくことなのだけれど、幸い前2週に開催した導入編がなかなか好評で、CSTの卒業生も「受けたい」と照会してくるようになった。

中には、「自分はプンツォリン在住だけれど、リモートでは受講できないのか」と言ってきて下さる。3Dプリンターを使用するので、対面じゃないと難しいといったんはお断りしたものの、よくよく考えたら、こちらがそれなりの体制を整えたら、ひょっとしたらリモートでもできるかもしれないと思い直し、研修計画を今練っているところである。

別に追加のインフラ整備が必要というわけでもない。機材が必要というわけでもないかもしれない。むしろロックダウン解除後の経済活動をどう再活性化させられるかを考えて、今は能力構築で爪を研がせるようなことをもっとやれたらいいのではないだろうか。

対面じゃないとできないと言い訳していたら、対面でできない地域を取り残すことになってしまう。遠隔でもちゃんとやります、絶対取り残しませんというメッセージを、僕個人としては伝えていきたい。

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