SSブログ

再読『海の見える理髪店』『続・横道世之介』 [読書日記]

ああ、小説読みて~! 

今ちょっとした気持ちの落ち込みを経験中で、本当は本をちゃんと読みたいわけだけれど、持って来ているのは仕事に関係する本ばかり。でも、気持ちが落ち込んでいる時には小説が読みたい。ちょっとした暇な時間があるから余計なことを考えてそれで落ち込んでしまうのだから、そんなことを考える時間を与えぬぐらいに読むのに没頭した方がいい。少なくとも現実逃避できる。

海外駐在していて、新しい小説を読みたければ、キンドルでダウンロードすりゃいいわけだけど、そこまでする気にもなれず、それなら過去に読んだ小説でも読み返すところから始めことにした。


それで今週後半、急に読み始めたのが荻原浩『海の見える理髪店』吉田修一『続・横道世之介』

◆◆◆◆

海の見える理髪店 (集英社文庫)

海の見える理髪店 (集英社文庫)

  • 作者: 荻原浩
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2019/07/05
  • メディア: Kindle版
2016年9月に読んだ時と現在との大きな違いは、僕自身が父を亡くしたことである。そして、改めてこの短編集に収録されている作品の中で、父と自分との関係を描いているのは、標題にもなっている「海の見える理髪店と「時のない時計」だった。特に後者は、実際に父を亡くしていて、かつその主人公が年齢的に今の僕とほとんど同世代である。父の形見分け―――というか、父がなぜかため込んでいた帽子やバッグ、防寒着、ネクタイ、さらには介護施設生活用に買い置きしてあった肌着類も、母から「持って行って」と言われ、今回の海外赴任に持って来ている。自分の嗜好とは随分と違うし、似合わないものも多い。バッグに至っては、当地で使い始めてすぐに糸がほつれ始め、それをどう修繕するかで頭を悩ませている。

従って形見分けなどと言えるものでは当然ないが、それでも父を思い出す。本作品にはこんな一節がある。

 大人になると、自分の親を客観視できるようになるものだ。けっして特別な存在だったわけではなく、良くも悪くも普通の人間だったのだな、と思える。とりわけ記憶のときどきの親の年齢を自分が追い越してしまえば。
―――これ、自分も思っていることなので。

亡くなって3カ月半が経つが、まだ日本にいて実家で遺品を整理していた段階から、なぜそれがそこにそんなに沢山置いてあったのか、母も理由がわからないという遺品があったりもした。また、ご近所の人々との関係性に微妙な影を残すような、何十年にもわたって家族にもあまり打ち明けていなかった話が明らかになったりもした。今となっては父が何を考えていたのかを訊くこともできないが、残された僕らは、僕らが見たり話したりした、生前の父の一挙手一投足を思い出しながら、それに対する理由づけを今後も続けていくことになりそうだ。

◆◆◆◆

続 横道世之介

続 横道世之介

  • 作者: 吉田 修一
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2019/02/20
  • メディア: 単行本
初読は2019年4月とわりと最近。本書の感想は当時書いたブログ記事をお読みいただければと思うが、その記事の中で書いていなかったこととして、主人公の世之介は当然2001年頃に起きた新宿・新大久保駅での乗客転落事故で亡くなってしまっているものの、彼と1993~94年頃に絡んでいた人々の、2021年8月現在―――東京オリンピックの男子マラソンから、パラリンピック最終日の男子マラソンまでの10日程度の間での行動と、その中でなぜか世之介を思い出すという様子が描かれている。本書が発刊された当時は、まだ新型コロナウィルス感染拡大の予兆すらなく、東京オリパラと登場人物を絡めた作品も多く、小説の世界でもこのお祭りを盛り上げようというムードが強かったのではないかと思う。

今となっては、オリンピックは無観客開催になり、それ以前にマラソンは東京ではなく札幌開催に変更もされてしまい、なんだか虚しさすら感じるストーリー展開になってしまっている。でも、現実の世界は今、オリパラ開催絡みだけでもうんざりするほど様々な問題が噴出して、世論の大勢は開催反対でも政府は開催に向けて突っ込んでいき、理不尽な思いを感じることも多い。そんな中で、作者がそれを予見していたかのように、こんな一節を差しはさんでいるのが印象に残った。

世の中がどんなに理不尽でも、自分がどんなに悔しい思いをしても、やっぱり善良であることを諦めちゃいけない
―――世之介が1994年当時付き合っていた桜子さんの兄・隼人さんが、桜子さんの子で、東京オリンピック男子マラソン日本代表として出場する亮太に、五輪開幕直前に宛てた手紙の中での一節である。当時小岩にあった実家を出奔して、世界の海を巡る船乗りになった隼人さんが、世之介を思い出しながら語っている。善良なだけがとりえの世之介のことを、分かれてから27年も経ってなぜか今思い出すことが多いという設定はちょっと理解に苦しむが、書かれていることは胸に響く。

それに加えて、今の気分が落ち込んでいる僕にとっては、次の一節も救いにはなった。

ダメな時期はダメなりに、それでも人生は続いていくし、もしかするとダメな時期だったからこそ、出会える人たちというのもいるかもしれない。
 桜子や亮太はもちろん、隼人さんに、親父さん、浜ちゃんだって、コモロンだって、もし世之介が順風満帆な人生を送っていたら、素通りしていったかもしれない。
 だとすれば、人生のダメな時期、万歳である。
 人生のスランプ、万々歳なのである。
―――これは、世之介が就活に失敗して大学卒業後の1年間をバブル不況のどん底で過ごし、それを振り返っての一節である。

どん底があればあとは這い上がっていくだけ。そう考えたら、自分も落ち込んでいる今を大事にしつつ、今出会える人との会える機会を大切にしていこう、それが浮上のきっかけにもなるかもと思えた。

再読もいいものだな。


nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 6

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント