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『都市は人類最高の発明である』 [仕事の小ネタ]

都市は人類最高の発明である

都市は人類最高の発明である

  • 作者: エドワード・グレイザー
  • 出版社/メーカー: エヌティティ出版
  • 発売日: 2012/09/24
  • メディア: 単行本
内容紹介
無秩序に広がる都市こそが、人類にとって最も必要なものなのだ!
都市が人類の進歩に果たしてきた役割を分析し、その重要性を明快に指摘する新しい都市論。
著者は、「健康面でも文化面でもインフラの効率面でも環境面でもきわめて優れていて、都市こそは人類最高の発明である」、「都市を高層化・高密化させて発展させることが人類の進歩につながるのであり、その足を引っ張るような現在の各種政策はやめるべきである」と主張する。

凄いタイトルの本である。原題は『Triumph of the City(都市の勝利)』となっているが、邦題はそれよりも凄い。

今から2年近く前にでたこの本のことを知ったのは、今年初めの『週刊東洋経済』の特集記事である。元々は今年前半のビジネス書ベストセラーと言ってもいいトマ・ピケティ著『21世紀の資本』を、現物を読まずに読んだ気になりたいと思って『週刊東洋経済』2015年1月31日号のピケティ特集を読もうと1冊購入したのだが、この号は第2特集として「ピケティで始める経済学」というのをやっていて、その中で「都市集中が本当に悪いか?」という問いに対する最新の経済学の言説を紹介していた。その論拠となっていたのがハーバード大学エドワード・グレイザー教授だった。

昨年の今頃は2040年までに896の地方市町村が消滅する可能性があると指摘したレポートを出していた日本創成会議が、最近また「東京圏高齢化危機回避戦略」なるものを発表し、東京圏では高齢者介護の能力が高齢者人口を吸収できなくなるから、地方で比較的余力のある市町村へ移住するべきだとする新たな提言を出し、メディアで大きく取り上げられていた。聞いていて高齢者をお荷物と見なすその発想にはなんだか釈然としないものを感じたのだが、グレイザー教授の著書は、それに対する貴重な反論の材料を提供してくれているように思う。

大都市に人口を寄せ集めた方が国の経済は活性化する。都市集中はむしろ、積極的に推進すべき「成長戦略」だとするのが、教授の論拠だ。集積のメリットは19世紀から既に言われてきたものだが、教授はそうした都市への集積の肯定論者である。

都市には、田舎より多くの有能で創造的な人材が集まってくる。そうした環境に身を置くと、対面による交流を通じて互いに刺激され、生産性が高まり、イノベーションが活性化される。だから、都市は人をより生産的にするのだという。

「人間を人間たらしめているすべてのものは、都市への人口集中で生まれている。誰も思いつかなかった新しい発想、新しい仕組み、そして都市そのものが作り出す問題への解決策も、都市が生み出した。都市スラムは悲惨だが、田舎にも貧困はあり、それは都市スラムよりもっと悲惨なことが多い。そして人が自然との共生だと思っている生き様の多くは、実は人の居場所を作るために自然を破壊し、エネルギー効率も低い。今後、多くの人々が田舎の貧困を逃れて都市部を目指す。そうした人々を高密でコンパクトに収容し、そうした高密から生じるアイデアをさらなる都市発展に貢献させる仕組みを作ることこそが今後の人類発展の鍵となる」(著者注。p.364)

著者が主張しているのはできるだけ都市を高密に収容できる高層化であり、これはコンパクトシティ政策に近いことがわかる。公共交通機関のターミナルや沿線を中心に人間の居住空間と生計空間を確保できれば、自動車を使って移動する必要も少なくなり、温室効果ガスの排出も抑制できる。コンパクトシティは、低炭素社会の実現と創造的なコミュニティづくりという一石二鳥のメリットがあるということなのかと思う。著者は本書の中で、米国の持ち家促進政策の過ちを指摘している。郊外に向けた人口の拡散(スプロール)で、自然に囲まれた一軒家が郊外にどんどん増え、それでも通勤や買い物、レジャーには車を用いるから、こうしたライフスタイルはただでも温室効果ガスの排出につながる。ましてやこんな郊外住宅の開発を高温多湿の南部でやろうものなら、エアコン使用による電力消費もバカにならないわけで、そういう政策を進めてきた米国は誤りだと辛辣だ。逆に、東京なんかの扱いは、著者が東京を訪れた形跡がみられないことから記述自体は軽めだが、高く評価していることは間違いがない。

勿論、高度な都市化は、➀災害に対する脆弱性、②感染症の急速な拡大、③犯罪といった問題ももたらすので、都市への人口集積に伴う政策課題はないこともない。また、高度に人口集中させたとしても、それがイノベーションにつながるためには、人と人が交流する場が必要となる。電子的交流だけでもなんとかなるというものではなく、そこはやっぱり対面コミュニケーションの場が必要である。著者が好例として挙げているシリコンバレーの場合は、ITエンジニアが集まる有名なバーがあったらしいし、大学なんてのも地域の出会いの場を作る1つのチャンネルとなるかもしれないが、要するにそうした交流の場づくりは課題として存在する。これを日本の高齢社会に適用して考えてみるとしたら、大都市圏で増えている独居高齢者を家から外に出させて、地域の人々と接する場づくりというのが必要ということになるのだろうか。

著者によれば、インドのムンバイに広大なスラムが形成されてしまった理由は、都市の高層化を規制する政策の失敗によるものだという。高層住宅の建築規制をもっと緩やかにすれば、外から流入してくる人口をこうした住宅に収容し、スラムの拡大に歯止めがかけられた筈だと主張されている。

「発展途上国では、過剰規制に反対すべき理由はさらに強くなる。ムンバイのような急成長都市では、高さ制限は人々が垂直に広がらず、水平に広がることを強制するので、すさまじい被害を与える。そのためにすさまじい渋滞が生じるからだ。ムンバイなどの発展途上のメガシティでは、使い物になるよい不動産建設を阻む規制など有害無益だ。都市は貧困脱出の道であり、都市成長を阻止することで発展途上国は人為的に貧しくなっているのだ」(p.348)

こうした、途上国の大都市のスラム問題が都市の高層化で解決できるかのごとき発想は、シンプル過ぎて本当にそうかなというのが疑わしい。釈然としない部分である。著者は、こうした都市スラムの問題は今の先進国は昔直面してそれを乗り越えてきた過去の歴史があるから、そこから学ぶべきだとしている。僕は日本がこの点でどのような国内政策を取ってきたのかをよく知らないので、調べてみる必要はあるかもしれない。

インドや中国が今後都市政策に失敗して、米国の都市政策と同じ道を歩んだとしたら、今とは比べ物にならないくらいの規模の国民1人当たり温室効果ガス排出量をいずれ計上するようになってしまうと著者は言う。今後の都市問題のフロンティアは新興国・途上国の大都市にあるという問題意識は正しいが、例えば米国が自身の住宅政策・都市政策の失敗を棚に上げて、途上国にコンパクトシティ化を迫るというのではなかなか話を聞いてもらえない。著者によれば、そこに先進国も都市の高層化に今後さらに取り組んでいく必要性があるという。

「豊かな国はまた、貧困国にインセンティブを与えてエネルギー消費を減らさなければいけない。中国に対し、エネルギー消費をもっとフランス式に、と説教はできるが、こちらも自分のリソースを提供しなければ馬耳東風だ。この種の移転―――「石油を使わなければ現金」とでも言おうか―――が直面する政治的なハードルは巨大だ。すでに孤立主義者たちの金切声が聞こえてくる。でも、そこにかかっているものはあまりにも大きい。もし先進社会が発展途上国のもっと燃料効率の高い技術を補助できるなら、あるいはもっといいのは、発展途上国に無料で提供できる、新規の燃料効率の高い技術開発に補助を出せるなら、途上国は生活水準を向上しても、エネルギー利用はあまり増えないかもしれない」(pp.291-292)

「今後40年にわたり、インドと中国は急激な都市化を続ける。彼らの土地利用に関する決断は、エネルギー消費や炭素排出について巨大な影響を持つ。高密居住で公共交通を使えば、全世界が恩恵を受ける。もしスプロールすれば、高エネルギー費用と炭素排出増大でみんな苦しむ。西側が炭素排出を縮小すべき重要な理由は、SUVでモールにでかける我々が、インドと中国にエコを奨めるという偽善をなくすためでもあるのだ。」(pp.353-354)

ところどころ釈然としないところはあるものの、基本的にはわかりやすい本である。読み方としては、先ず訳者解説を読み、そのあと序論と結論を読むだけでも著者の論点はおおよそ理解はできる。分厚い本だが、内容の多くは先行研究の紹介であるし、索引もあるので、気になる都市の取組み事例だけを拾って読むのもたやすい。

ただ、この本、誤植が多い。訳者(山形浩生氏)はこの手の経済書翻訳では実績もある人で、基本的にその翻訳は信頼度が高いが、単に漢字変換を間違えたとしか思えない単語がかなり頻繁に出てくる。その点は非常にもったいないと思う。訳者の問題というよりも、これは編集担当が校閲をしっかりやらなかったからだと思うが。

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Yoshitomo KUBO

面白そうな本ですね。個人的にコンパクトシティの議論はアジアに比して圧倒的に人口が少ない欧米の発想をそのまま持ち込もうとしている感があり違和感があるのですが(パリ300万に対しハノイHCMは700万900万)、地方衰退と東京一極集中をどのようにバランスしていくのかという我が国の至上命題を喚起する意味では重要なキーワードであるのは間違いないですね。本来はコンパクトシティというお題目のみならず都市の住宅政策をディベロッパー任せにしている現状を是正しなければ達成できない話ですが、どうもわが国では各ステークホルダーの都合の良いように使われている気がしてなりません。(青森のアウガや秋田のエリアなかいちをご参照)都市問題が人々の暮らしと直結している以上、単一解ではなく都市の実情に合わせて個々の回答を導き出していく努力が必要なのかもしれません。
by Yoshitomo KUBO (2015-06-14 16:39) 

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