『我が手の太陽』 [読書日記]
内容紹介【コミセン図書室】
第169回芥川賞候補作。鉄鋼を溶かす高温の火を扱う溶接作業はどの工事現場でも花形的存在。その中でも腕利きの伊東は自他ともに認める熟達した溶接工だ。そんな伊東が突然、スランプに陥った。日に日に失われる職能と自負。野球などプロスポーツ選手が陥るのと同じ、失った自信は訓練や練習では取り戻すことはできない。現場仕事をこなしたい、そんな思いに駆られ、伊東は……。
芥川賞受賞作品、ないしは候補作品を読もうとするたびに、なんだか自分には合わないと感じることがこれまで多かった。どんな作品を読んだのかと訊かれれば、それほど多くはないのだが、読んだ作品はことごとく、僕にとっては読みづらく、それがあまり食指を伸びにくくしているところがある。だから、作品数が多くない結果につながっていると思う。
芥川賞受賞作品は、初読では理解がしづらく、よほどの動機がないと再読にもいたらないのだが、過去一度だけ再読に至ったケースがあった。「よほどの動機」というのがあったケースだが、再読で所見でのわかりづらさは多少払拭できた気がした。僕の読書の経験値が上がっていたのかもしれない。
勿論、今回は「候補作」であって、「受賞作」というカテゴリーを当てはめてどうこう言える作品ではない。ましてや初読なので、多少の読みにくさは覚悟はしていた。
でも、結果的には、面白かった。「溶接」のような地味(溶接工の読者の方がいらしたらごめんなさい)な作業の描写が、このような形で表現されるのだという新鮮な驚きがあったし、地味とは書いてしまったものの、溶接の仕事の奥深さというのを、自分なりに知ることもできた。
こういう作業でも文学作品の対象になり得るのだというのを知り、新鮮な驚きがあった。
同じ仕事を長く続けていると、自分なりの知りつくした気持ちになり、周囲のやり方がものすごくいい加減だと感じる経験は僕もしたことがある。周囲のやり方が許せない気持ち、さらにその許せない気持ちが言動になって表層化するのを抑えられなくなる状況、そしてそれを独りよがりだと誰かから咎められ、それでも忠告を素直に受け入れられない状況―――僕自身も経験があるし、同じような状況は、30年近くも主婦をして地域とつながってきている自分の妻にも最近感じるところがある。
本作品を読了した直後、妻と喧嘩しました。何がきっかけだったかというと、妻が周囲に押し付けようとする「市民としての正しさ」を、聴いていてつらくなったことでした。言っていることは100%正しい、でもそれが完璧にできる人はいない。本作品が影響していた可能性は大いにあります。
コメント 0