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『ネパールのキノコとキノコ栽培』 [ネパール]

nepal.jpg渡辺和夫
ネパールのキノコとキノコ栽培
2018年10月1日、青山ライフ出版
http://aoyamalife.co.jp/review/nepal.html


内容紹介
林業試験場でキノコ栽培に関わってきた著者が、ネパールのキノコの栽培について様々実験を繰り返した結果をまとめた集大成

今、ブータンにJICAの草の根技術協力プロジェクトの専門家として来られている著者の渡辺さんから、「ご参考に」ということでご寄贈いただいた。渡辺さんは、ブータンに関わられる前、2008年から2013年初頭まで、足掛け5年間ネパールにシニア海外ボランティア(今は青年海外協力隊と制度が統一され、「JICA海外協力隊」に名称が変わったらしい)として派遣されていた。配属先はネパール農業研究評議会(NARC)というところで、キノコだけでなく、水産養殖とか、農業水産業関連の統一研究機関らしい。

いつもお目にかかると、キノコのことを熱く語られる方である。本書は、そんな渡辺さんの熱量が伝わってくるような1冊である。しかも、日本の試験場で長年務められてきた経験と培われた技術をそのまま移転しようという姿勢ではなく、ネパールの野生キノコの事情を自らの足で歩いて調べられ、その多様性に感動すら受けておられる。国が変わればやり方も随分変わる。ネパールのキノコ農家の栽培方法を見て回り、なるほど理にかなったやり方だと敬意も払っておられる。読んでいてキノコに対する「愛」が感じられる。

養蚕を調べていた僕に辛うじてわかるのは、種菌生産の質ができるキノコの質をかなりの部分決めてしまうということや、病害虫対策や雑菌が入り込まないような栽培環境の整備の必要性といったことだった。インドでカイコを飼うための蚕皿に牛糞を塗る習慣を変えるのに、日本の養蚕の専門家が大変なご苦労をされたという20年前のお話を聞いて知っていただけに、キノコ栽培においても、牛糞を使用しているところから習慣を変えさせることの難しさなどは何となく想像はできる。

通算4年間のご活動であったが、それをこのような形で書籍にされるのは素晴らしいことで、僕らにとっても参考になる。何よりも大事なのは、記述の対象に対して注ぐ「愛情」であると強く感じた。外国で暮らすと「なんでこの国はこうなんだ」と苛立ちを覚えることも多いのだが、その苛立ちをまともに文章にしてしまったら、読者にとっては不快な読み物にしかならない。いろいろな苦労はあるにせよ、一貫して温かい目で見守り、「この人たちがそう行動するのはどうしてなのか」と彼らの立場になって考えてみて、そして落としどころがどこなにかを考えることが必要だと改めて痛感させられる。

渡辺さんも、ネパールでの4年間の後、ブータンの草の根技術協力で3年間はブータンに関わっておられる。4年間滞在されたネパールと違い、ブータンはシャトル型で行ったり来たりがあるため、その中で野生キノコを求めて野山を歩かれるというのは、年齢的なところもあって難しいかもしれない。また、農業の多くの分野をカバーするNARCと違い、ブータンはキノコはキノコの専門研究機関になっていて、トータルでの農業経営の中でキノコ栽培を捉えるということが難しい組織建てになっているようにも思う。

そうした制約はあるにせよ、ブータンを卒業されるあかつきには、是非本書の続編としてブータンのキノコとキノコ栽培への言及のある著書を出されることを楽しみにしたい。
タグ:JICA 渡辺和夫
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カトマンズ再訪 [ネパール]

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《再建中のパタン旧王宮前の様子》

5月3日から7日まで、お休みをいただいてネパールの首都カトマンズを訪ねて来た。僕は昔、ネパールに駐在していた時期があり、今からちょうど20年前の5月、満開のジャカランダを眺めながら、涙の離任をした。その後3回ほど訪れる機会があったのだが、最後の訪問は2012年で、震災後初めての再訪となる。

パタン旧王宮は再建が進んでいて、どうも日本が協力しているらしく、そこらじゅうに日本の国旗の看板が出ていた。ブータンもそうだが、カトマンズもネパール人観光客がすごく多い。

9年前と比べていくつか街の変化に気づいた。1つは飲食店がものすごく増えたことで、これって外国に出稼ぎに行って修行してきた人が、稼いだ資金と磨いた経営手腕とで立ち上げたんじゃないかと思う。小洒落たカフェやパーティー会場も目立ち、20年前どころか、9年前とも雰囲気が全然違う。いずれ別の記事でも書こうと思うが、民間企業の活動の活発化が感じられる。(ブータン人はよく、「ネパールのようにはなるな」と言うが、民間の経済活動の活発化は、同じ内陸国として見習う部分もあるのではないかと思う。)

2つめはそれとの関連で、大きなショッピングモールが出現していたこと。さらには、20年前はバリダラに1軒しかなかったスーパーマーケット「バートバテニ」がチェーン店化し、市内数カ所に大きなビルのショッピングセンターを建てていたこと。中に入って見てみると、品ぞろえもそこそこ豊富で、20年前だったら「ナマステ・スーパー」、「ブルーバード・デパート」、「ジェミニ・スーパー」等で買い物するしかなかったものが、ショッピングの選択肢が非常に増えた気がする。パタンのラリトプール市役所横にできた「ラビン・モール」はビックリ。インド・デリーあたりのメガモールと大して変わらない。大音響で音楽流しているところも含めてだけれど。そんなところまでインドに似なくてもいいのにと思わぬでもない。

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『ソバを知り、ソバを生かす』 [ネパール]

ソバを知り、ソバを生かす

ソバを知り、ソバを生かす

  • 作者: 氏原 暉男
  • 出版社/メーカー: 柴田書店
  • 発売日: 2007/10
  • メディア: 単行本
ソバの新品種の研究から、ソバによる地域おこし、そしてミャンマーの麻薬撲滅のためのソバ栽培の指導まで、「ソバ博士」の異名を持つ著者が、ソバにかける情熱と浪漫を綴る。>
不思議なもので、若い頃はあえて外食してまで食べたいと思わなかった蕎麦が、最近は食べたくなることがよくある。昔は焼き肉といえば胸がときめいたが、今はあまり食べたいと思わなくなった。「食べ放題」にも食指が伸びなくなった。歳を感じるのはこういう時だな。

だからというわけじゃないが、信州の「ソバ博士」が2007年に書かれた本を読んでみることにした。最大の目的は、この著者が1996年頃から関わり始めたミャンマーでのソバ栽培の歴史である。中国雲南省と国境を接するコーカン地区はアヘンの原料となるケシの栽培が盛んだった地域で、ここにソバを普及させてケシ栽培からの転換を図ろうという取組みだった。この取組みは業界の中では比較的有名だったので、2000年代前半ぐらいまではその進捗について目にしたり耳にしたりすることは多かったけれど、その後どうなったのか、知りたいと思った。

前半はソバに関する学術的記述が続き、読むのに難儀した。しかし、そこは著者の前半生なので、目くじらを立てていても仕方がない。そして、第3章の「ヒマラヤ山麓のソバ」あたりから俄然面白さが増してくる。筆者がネパール・ムスタンのトゥクチェと富山県・利賀村を繋げる仲介をしていたのは1996年頃で、当時カトマンズのホテル・サンセットビューには「ヒマラヤ蕎麦」という蕎麦屋がオープンし、現地在留邦人の間で話題になった。現地駐在中だった僕も、妻と食べに出かけたことがある。著者を身近に感じられるエピソードだ。著書に登場する人々の中には、僕らも個人的に存じ上げている方々もいらっしゃる。

そして第5章「ケシ畑にソバを」である。軍の護衛に守られながら現地を巡回し、「バンジョン・コマンダー」と呼ばれるようになったエピソードがカッコいい。10年近い対ミャンマー協力の歴史は、その部分だけを切り出してストーリーとして纏めてくれたらいいのにと思いながら読み進めた。

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『鳥葬の国』 [ネパール]

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鳥葬の国―秘境ヒマラヤ探検記 (1960年) (カッパ・ブックス)

  • 作者: 川喜田 二郎
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 1960
  • メディア: -
内容(「BOOK」データベースより)
1958年、「西北ネパール学術探検隊」が行なったヒマラヤ最奥地の調査は、世界ではじめて奇習“鳥葬”をとらえるなど、日本の野外研究学派の基礎を築く大きな成果をあげた。本書は、厳しい自然とともに生きるチベット人の生活をつぶさに描き出すと同時に、探検隊内の人間関係を赤裸に描いて、「探検隊の生態」をも公開した興味深い記録である。
前回ご紹介した『ブータン神秘の王国』同様、『鳥葬の国』も1997年以来、15年振りの再読である。前回は当時駐在していたカトマンズ・タメル地区の古本屋で見つけた。1958年に組織された西北ネパール学術探検隊の民族学調査を一般の読者にもわかりやすい形で示す紀行文となっている。1ドルが360円もして、大阪万博で「世界」の国々を強く意識するようになるよりもずっと以前、僕らが生まれる前に、日本人どころか外国人もほとんど足を踏み入れたことがなかったヒマラヤの辺境地を探検したレポートには心が躍ったもので、ムスタンよりもずっと奥の、トルボ(「ドルポ」ともいう)に、機会があったら行ってみたいと思ったものだった。

特別パーミットが必要とはいえ、今ではネパールのツアー会社がトレッキングツアーの募集すらしているトルボ地方への旅は、これまでに参加した日本人旅行者もかなりの数にのぼり、トルボ地方のカラー写真を沢山掲載したブログも結構ある。川喜田探検隊が撮影許可を取るのに苦労したチベット人の「鳥葬」の光景も、ハゲタカの群れが死体をついばんでいるシーンを至近距離からアップで撮ってブログに掲載している人すらいる。50年も経過すれば受け入れるチベット人側もかなりすれてきて、そういう撮影許可も容易に得られる時代になってきたのかもしれない。そういう世界に初めて足を踏み入れた日本人たちの奮闘があったことを、僕達も知っておく必要がある。

今回の再読の第一の目的は、ダショー・ニシオカ――西岡京治氏の足跡を辿ることにある。

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バグマティ川の水質汚染 [ネパール]

2011-10-15.jpg考えてみたら、南アジアネタをさんざん取り上げてきたこのブログに、「ネパール」のマイカテゴリーが今まで存在していなかったのが不思議。2009年のネパール旅行についても、2010年のマニーシャ・コイララの結婚式も、当時は別のカテゴリーで記事を書いていたに違いない。僕が駐在していたのは今から15年も前の話だから、さすがにネパールへの関心も薄れ気味だし、ネパールに関する情報ソースも非常に限られている。今後もこのカテゴリーの記事を拡充するかどうかはかなり未知数だ。

ただ、僕が尊敬するビシャカパトナム(アンドラ・プラデシュ州)の「黄門様」が、今後活動拠点をカトマンズに移してバグマティ川沿岸のスクワッター居住地区の住民の生活向上に取り組まれると聞いたので、少しぐらいはネパールへの関心をリニューアルしたいと考えるようにもなった。そういう問題意識でインドのメディアで扱われるネパールネタを見ていたら、おあつらえ向きにバグマティ川の水質悪化に関する記事が隔週刊誌Down To Earth(DTE)の2011年10月1-15日号に掲載されているのを見つけた。「濁っていく水(Darlking Water)」(Aditya Batra通信員)というタイトルの記事で、政治的真空状態と都市のカオスがバグマティ川の行方を危うくしているという趣旨で書かれている。URLは以下の通りだ。http://www.downtoearth.org.in/content/darkling-waters

正直言うと、バグマティ川の水質悪化問題は1995年当時には既に顕在化していた。僕はこの頃に企画されていたスタディツアーに同行してカトマンズ市役所を訪れて話を聞いたことがあるし、当時「Clean, Green, Healthy Kathmandu」を標語にしていたシン市長主催の夕食会にも招かれてご馳走になったことがある。それよりも、市内バラジュー地区のスクワッター居住区から川沿いの道を歩き、何が捨てられているのかを見て回ったことがある。いろいろと凄まじい光景も見た。

DTEの記事を読んでいくと、15年前の状況と比べて何も変わっていないというのがよくわかった。その意味ではこの記事をブログで紹介するようなメリットはあまりないのかもしれないが、なんと15年前にお目にかかったことのある現地NGOの代表者の方のお名前を記事の中に発見した。当時はNGO業界駆け出しのおどおどした感じがあったけれど、今や通信員がコメントを取りに訪れるほどの有名人(?)になられているというのを知って嬉しかった。

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