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再々読・『東京物語』 [奥田英朗]

当地にいると、週末はピクニックやトレッキングに行かないかと誘われることも時々あるが、今回の駐在において心臓に不安を抱えていた僕は、そうしたお誘いをやんわりお断りしている。本来の任地は海抜300m弱。僕もそれだったらというので今回の仕事の話は引き受けた。でも、新型コロナウィルス感染拡大の影響で、その任地には入ることができず、海抜2300m強の首都で取りあえず活動をスタートさせることになった。これ自体、渡航にあたってはものすごい不安があった。幸い、今のところは無事だが、それでも怖いから、高低差を伴うウォーキングはなるべく避けている。その代わりに、もっぱら週末読書にいそしむのだ。

でも、今週末はあまり難しい本は読みたくない気分。で、前回の小説再読シリーズの流れで、また1冊読んだ。

東京物語 (集英社文庫)

東京物語 (集英社文庫)

  • 作者: 奥田 英朗
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2004/09/17
  • メディア: 文庫

性懲りもなく―――というには6年の間隔は空きすぎで、二度目の再読もお赦し下さい。ちなみに初読は2009年7月、前回の再読は2015年2月だった。いい感じで6年間隔を空けているが、どちらの時もそれなりに力のこもった感想をブログでも紹介しているので、そちらも是非ご笑覧下さい。

で、今回二度目の再読で、新たに付け加えられることは何かというのもちょっと考えてみた。

前2回の作品読み込みの際に、おそらく最も印象に残った短編というのは、主人公・久雄の上京初日を描いた「春本番 1978/4/4」と、一浪後に入った大学(多分明治大学?)で入った演劇サークルでの同級生との恋を描いた「レモン 1979/6/2」だった。どちらも自分の上京当時や大学生活を思い出しながら、そういう空気感だったかなと懐かしく思い出すのに、この『東京物語』というのはいいなと思った。厳密に言えば、著者と僕とは4年の年齢差があるので、キャンディーズの引退コンサート@後楽園球場の時、僕は中3で、巨人・江川投手の初登板の時は高1で、いずれもクラスの話題に上っていたのをよく記憶している。

それに比べると、今回の再々読では、もちろんこの2編も良かったのだけれど、主人公が大学を中退した後、プロダクション会社でコピーライターとして働き始めてからののストーリーの方が強く印象に残った。

1つめは「名古屋オリンピック 1981/9/30」。これは今年がオリンピックイヤーだから余計にそうだというわけではなく、今の僕自身が陥りがちな思考パターンを戒めていると思われる記述があったので印象に残った。状況は、会社で働き始めた主人公が、若くして仕事ができる奴だと見込まれ、自分より年下ないしは同年齢のスタッフを部下として抱える中で、思ったように周囲が働いてくれずにストレスを溜め、「使える奴、使えない奴」の峻別を始めるという思考パターンに陥る姿が描かれている。そこで、自分よりもシニアの人々に指摘を受ける。

「後輩に対してあれもできないこれもできないなんて考えるな。発想を変えろ。ああ、こいつはこういうことができるんだ、こういう取り柄があるのか、そういうふうに考えろ。いいところを見てやるんだ」

「後輩に遠慮はいらん。でも配慮はしろ。誉めること、労わること」

「しかしモノを創造する側の人間が自分に夢中になっては困る。最近の君がまさにそうだ。コピーライティングという仕事に乗じて、世の中に対してひとこと言ってやろうとか、おれに言わせりゃあこうだとか、そういう功名心が透けて見える。君が将来に何になりたいのか、ぼくは知らない。しかし現在の君はコピーライターだ。黒子であるべきコピーライターだ。(中略)初心に帰ってほしい。広告コピーとは、商品を輝かせるためのものだ」
―――はい、イラっとすることがあっても、相手の良いところを見るように努めます。

続く「彼女のハイヒール 1985/1/15」は、母親同士で仕組まれたお見合いが、最初は嫌々だったのが次第にお互い打ち解けていくお話だが、これがだいたい主人公25歳の頃で、僕もそういうのやらされ始めたのがその時期だったのを思い出して苦笑した。アレンジしといたから東京で会えと言われ、同郷出身だが面識など全然なかった国際線のキャビンアテンダント(あ、当時はスッチーか)と銀座で会ったことがある。おそらく30歳ぐらいの頃だと思うが、こんな小説のような展開は当然なく、取りあえず会ったはいいけれども、相手もガードを下ろすことはなく、話の接点すら見いだせず、1時間程度お茶飲んでその場で別れた。

それで最後の「バチェラー・パーティー 1989/11/10」。この頃は僕も就職していて、最初の勤務先が銀行だったから、当時のバブル経済下での社会の浮かれっぷりはナマで見ていた。前2回の読書の際にはさほど響かなかったこの日本経済全体のイケイケ絶頂期の様子が本編を読めばよく描かれていると思う。また、本編だけでなく、第1章からの流れで見ていくと、1978年から89年までの11年間の、主人公の住まいの家賃の変遷や、国電・地下鉄→会社の業務車両/タクシー→ホンダ・プレリュード→ルノーと移っていった移動手段の変遷等で、1980年代の変化が実感できたりする。

今僕らが一緒に働いている日本人の多くは、1980年代の日本の様子などまったく知らない人々であり、ましては異国で一緒に仕事している相手の多くは、日本自体に行ったことすらない人々である。せめて、「オレはこういう時代背景を引きずって今まで生きてきてるんだよ」というのを、日本から来ている若い人たちにも分かって欲しいと思うし、今は新型コロナウィルス感染拡大の影響で一時期ほどの家賃の高騰は見られなくなってきている当地においても、これ以上の一極集中が進むと人の心や行動が歪んでしまう恐れがあるのだよというのを、日本の80年代の苦い経験も踏まえて、語れる自分でいたい。


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