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会社勤めが苦しかった時期 [仕事は嫌い]

このブログはいつから書き始めたのか―――ふとあることが気になって調べてみたところ、2005年2月23日だというのがわかった。ということは、サンチャイ★ブログは20年目に突入しているということだ。

昨年は本当に書けなかった時期を経験し、自分自身でも存続を危ぶんだけれど、帰国して読書量が増えたことで、なんとか記事にするネタを確保してここまでやってきた。2025年2月23日の「二十歳の誕生日」を目指して、細々とでもブログを続けて行こうと決意を新たにした。

記事を遡ってみたきっかけは、先月末で退職した会社での31年2カ月を振り返り、自分の会社勤めの人生の中で、精神的危機に何度陥ったのかを改めて確認したいと思ったからだ。たぶん「4回」だと思うし、それもブログでの内省や窮状発信がサンチャイ★ブログを続ける原動力になっていたと思うので、当時の精神状態がどれくらいヤバかったのかを確認してみたくなった。

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「4回」の内訳をご紹介しよう。

①2006年3月~2007年3月:
ピークは2007年2月~3月で、特にこの時期のブログ記事は今読んでも悔しいし悲しい。退職を迎えるにあたって妻と一緒に会社人生を振り返ってみて、この時期が「人生最大の危機」だったというのがコンセンサスであった。一緒に暮らしていた妻から見ても、当時の僕が相当悲惨な状況だった。

②2010年1月~3月:
突如勃発した不祥事に巻き込まれ、その対応に追われた。不祥事の内容は詳述しづらいが、自分が犯した過ちでは決してない。でも、その対応で頭がいっぱいになったせいで、本当はやりたかったこと、この時期にやらねばならなかったことを全部後回しにせざるを得なかった。結果的に、インドにいる間に博士論文をある程度書き上げるというシナリオに狂いが生じ、3年後に博士課程を自主退学する事態に陥るきっかけになった。この影響は、大学教員ポストを応募しても毎回書類審査ではじかれるという形で痛感させられている。

③2019年1月~3月:
海外駐在から戻り、当時の会社のトップのこだわりの事業の運営チームに加わることになって9ヵ月。ここでやっていた仕事も元々受け身で、自分が本当にやりたい仕事ではなかったが、トップのご機嫌を伺う連中の忖度介入にだんだん嫌気がさしてきて、いい加減「早期退職」も頭の中にチラつきはじめた時期だった。そんな時、職場の上長が無茶な期限でとある作業をやれと命じてきた。そんなのやる意味あるのかと疑問を感じつつ、渋々取り組んでいたが、この上長のマイクロマネジメントが徐々にエスカレートしていった。新型コロナウィルス感染拡大初期でマスク確保に奔走を余儀なくされる一方、妻は子宮筋腫の摘出手術を受けた時期でもある。仕事からなんとか逃げ出したいと思い、実際に心臓に不安も感じていたので、精密検査も受け、結果を上長には報告した。それで仕事が軽減されたわけではないが。

④2021年9月~12月:
会社の新規事業アイデア募集に応募して、「採用」してもらった事業が、受け皿部署をどこにするかという部署調整に入った途端、「人繰りがつかない」「うちではない」といった理由で軒並み拒否に遭った。会社の人々が口にする総論と各論のギャップに戸惑った時期である。ちょうどブータンへの再赴任と重なり、この各部門への説得はリモートで行わざるを得なかった。新規事業アイデア募集という事業自体を企画した部署は、「必要あればサポートする」と言っていたが、サポートらしいサポートはしてくれなかったし、僕が追い詰められて「辞退」を口にした際には、「理事会に説明がつかないから辞退はやめてほしい」と言ってきた。当てつけに「自〇」してやろうとすら考えた。この時期も本来やるべきことは他にもあったのだが、特に11月は八方ふさがりに陥っていて、本来業務も手に付かなかった。

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振り返ってみたら、妻がそばにいない時期に妻の知らないことで追い詰められているケースが②~④で、妻が僕の「人生最大の危機」を①だとするのに同意する理由もわかる気がする。また、①~③は、自分としては「やりたくない」「やる意義がわからない」仕事に巻き込まれ、それでも働かねばならない状況に陥ったものである。しかもこの3件については、同様にプレッシャーを感じていた上司が「なんとかしろ」「頼んだぞ」と僕に仕事を投げてきた点でも共通している。そのいずれのケースも、そう言う上司に限ってその部署を「先抜け」し、その後逃げ切り退職や昇進を果たされている。

例外的に、④だけは自分が「これで食っていく」と心に決めていた事業の推進で頓挫した。単身赴任中だったし、拙いリーダーだったけれどそれでも協力してくれていたスタッフには申し訳ない気もしていて、ここではあえて内容を詳述しない。けれども、「退職」というゴールがチラついていたため、なんとか自分なりに生き延びれたと思うし、「自〇」が脳裏をよぎった時も、「こんな組織のために命を投げ出すなんて馬鹿々々しい」と開き直って気持ちを立て直すことができたと思う。

③や④といった出来事があったので、僕は、退職する際の会社への未練があまりなかったのだろう。

退職する際、会社に対する感謝の気持ちが全くなかったわけではない。今の自分のあり様、今の関心に至るきっかけや会社行ってきた自分に対する人事があったことは間違いないので、その点では感謝している。ただ、30年以上勤続する中で、自分が崩壊するような危機が4回もあったことを考えると、よくぞ生き延びることができたと自分を褒めたい気持ちも相当強い。

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