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『「勤労青年」の教養文化史』 [読書日記]

「勤労青年」の教養文化史 (岩波新書)

「勤労青年」の教養文化史 (岩波新書)

  • 作者: 福間 良明
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2020/04/18
  • メディア: 新書
内容(「BOOK」データベースより)
かつて多くの若者たちが「知的なもの」への憧れを抱いた。大学はおろか高校にも進めなかった勤労青年たちが「読書や勉学を通じて真実を模索し、人格を磨かなければならない」と考えていた。そんな価値観が、なぜ広く共有されえたのか。いつ、なぜ消失したのか。地域差やメディアも視野に入れ、複雑な力学を解明する。

少し前までは日本の近現代史に関連する書籍を集中的に読んでいたのに、この2カ月、読了した本のラインナップが随分変わったものだ。政治とか外交とかいった、なんとなく地に足がついていないフワフワした本を読むのはもういいかと思う一方、もっと短い一時代を切り取って、通史ではなかなか触れられないテーマを拾って読んでみるのはなかなか面白いものだ。これからも、そんな感じの本は時々読んでみたいと思っている。

本日ご紹介する1冊もそんな感じの本。通史で見れば、戦後、日本の教育制度が、小学校6年、中学校3年、高校3年といった感じで交通整理が進み、最終学歴における中卒の割合が減り、高校進学が当たり前になり、やがて大学進学も当たり前の世の中になっていく、そんな姿が描かれるだろう。しかし、「百姓に教育など要らん」「嫁に出す娘に教育など要らん」「次男三男は外に出すんだから高校なんぞ行く必要ない」等といった、家庭の事情や親の先入観等、様々な事情で中学卒業後に全日制の高校に行かなかった当時の若者は、それをどう捉えていたんだろうか―――教育制度の通史では置き去りにされる側面だが、それを知っておくことも大事だと思う。

こういう世代は、昭和20~30年代に10代後半から20代を過ごしていた人々、つまり我々の両親の世代である。自分の父(昭和8年生まれ)は、17歳で1950年代を迎え、母と結婚したのは1960年、27歳の時だった。この10年間のうちに農村で何をやっていたのかといえば、長男だからと実業高校には行かせえもらったけれど、大学進学については許されなかった。青年団の活動の話はよく聞いた。また、近隣の地方都市に茶道を習いに出かけていた。

そして、書棚を見れば、結構な読書量であったことも窺える。山岡荘八『徳川家康』はシリーズ全巻揃っていたし、司馬遼太郎『竜馬がゆく』『国盗り物語』等もあった。今は断捨離の時期だからとそれらをまとめて処分せねばならなくなり、僕も度々帰省して断捨離に加担したが、結構な作業だった。例えば、『徳川家康』の連載が始まったのは1950年、初版刊行は53年であるから、父がこの全集を買い進めたのは50年代後半―――20代前半だったに違いない。

これら父のレガシーを顧みるにつけ、いったい、父がどのような青年時代を過ごしたのかが知りたくなる。(母の話をしてないのは、昭和16年生まれの母は1960年に21歳で結婚しているので、父と同じようなレガシーを持っていないと思われるからである。)

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