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週報(7/16 - 7/22) [備忘録]

【中日の 前半戦を 振り返る】
月刊 Dragons (ドラゴンズ) 2012年 08月号 [雑誌]

月刊 Dragons (ドラゴンズ) 2012年 08月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 中日新聞社
  • 発売日: 2012/07/21
  • メディア: 雑誌

東京で東京新聞を購読しているメリットは、代理店の方が東京中日スポーツ月刊Dragons(ドラゴンズ)を時々サービスで入れて下さることだ。勿論、僕がドラゴンズファンだと知っていてのサービスなのだと思うが。主要全国紙5紙と比べて反原発の色が濃いため、東京新聞購読は妻にも好評である。我が家に限らず、きっと購読者は今急増中なのではないだろうか。

さて、その最新の月ドラを読んでみたが、ドラゴンズが成績不振であっても、何かしらいいところを探し出してチームが頑張っているように見せるのが得意で、高木監督の悪口を絶対に書かない中日新聞社の雑誌の割に、やはり6月末の東京ドーム対巨人戦三連敗の後の高木監督の発言には「これはまずい」という予感があったらしく、わざわざ番記者コラムが掲載されていた。

勝てば自分の采配の妙を自慢し、負ければ選手のせいにする発言がすごく多い監督だが、三連戦三連敗の後、打たれた先発投手を責めるどころか、先発する投手自体がなりふり構わず勝ちに来た巨人に比べて格下だったから負けるべくして負けたという発言をした。起用した自分の判断を棚に上げて、こんな発言をするのはいくらなんでも禁じ手だと言わざるを得ない。コラムはそれをちゃんと咎めた権藤ピッチングコーチを取り上げ、孤独な指揮官にこういう諫言をできる中間管理職を持った高木監督は幸せだと結んでいる。さすがは中日新聞社系の雑誌だ。

ただ、正直なところ、三連覇に向けて盛り上がっていた僕の気持ちは、この三連敗による首位陥落で冷めてしまったのは認めざるを得ない。高木監督は特に投手をやり玉にすることが多いが、やっぱり問題は打てない打線にあると思う。序盤に相手に1点でもリードされたら最後まで同点に追いつくことも期待できない打線で、また逆に序盤1点でもリードしたら、それで自慢の投手リレーで逃げ切れると思っているのか打撃陣が妙に淡白になり、「とっとと試合終わらせようぜ」と言わんばかりに三者凡退を繰り返して終盤を迎え、そして中継ぎや抑えの浅尾、岩瀬がつかまって勝ちゲームをフイにするパターンが相当多かった気がする。その頃までにはブランコなど主力を引っ込めて藤井のような格落ちの野手を使っているがために、反撃する力が全く残っていない。

藤井の起用についても相変わらず不思議だ。彼が今月の月ドラは、藤井が今季唯一活躍した試合のサヨナラ安打の写真を2度も使っている。高木監督が藤井を贔屓しているだけかと思ったら、中日新聞社自体が藤井を取り上げているのはどういうわけか。ヤフーコメントなどでは平田擁護のコメントが目立つ。山崎を使うぐらいなら我慢して平田を使えとか。でも、僕からすれば平田も空気が読めておらず、凡打でも悔しさも見せずに相変わらず大振りを繰り返しているようにしか見えない。去年からあまり成長が感じられない。

毎日変わる打順、スターティングラインナップ、もう少し腰を落ち着けたらどうか。広島が我慢して堂林内野手を起用して育てようとし、それに堂林自体が答えて結果を出しつつあるのを見ていると、育てるなら育てる、勝利にこだわるならこだわるで、はっきり方針を決めて欲しいと思ってしまう。ドラゴンズファンの方々には申し訳ないが、東京ドーム三連戦三連敗で一気に首位陥落したのが今季のターニングポイントだったと思う。もはや首位にはこだわらないので、腰を据えて若手を育てるのに後半戦を充てて欲しい。

だらしない野手に比べたら、投手陣は本当に頑張っていると思う。

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週報(7/9 - 7/15) [備忘録]

【改めて フェースブックに 感謝する】
今週、7月10日(火)は僕の49回目の誕生日であった。後述するように職場でも思いがけないお祝いをしていただくサプライズがあったが、もう1つの大きな驚きは、フェースブック(FB)で50人近い友人知人の方々からお祝いのメッセージを頂戴したことである。220人も友達がFBでいればそれくらいは当然なのかもしれないが、220人中、頻繁にFB上でつぶやいたり近況アップしたりされているのはだいたい30~40%ぐらいなので、50人というのはちょいと驚きの人数なのである。

僕自身は実は今まで、FBの友人にはあまり誕生日のお祝いメッセージを送ったことがない。最初の頃はわりと頻繁にやっていたけれど、友人が200人以上になってくると、ほぼ毎週のように3、4人が誕生日を迎える計算になり、だんだん考えるのが面倒になってきて、いったんギブアップしてしまっていた。だから、自分が誕生日のお祝いメッセージをいただいた時に、真っ先に感じたのは「申し訳ない」という気持ちだった。

中には、FB上ではあまりつぶやいたり近況アップしたりされていない友人もかなりメッセージを送って下さった。自分でもアップしないけれど、FBは読まれているということなのだろう。僕も平均すると2、3日に1回程度の近況アップに過ぎないけれど、発信していれば気付いて下さるということなのだろう。とはいえ、普段の一方的な情報発信だけではなく、近況をお尋ねするような1対1のやり取りももう少し大事にせねばと痛感させられたのがこの1週間であった。

今週はもう1つ、13日(金)に大学時代のサークルのプチOB会があった。僕の同期が5人、1期下が5人で集まった。サークルの同期の奴とは、1、2人はFBで繋がっている人がいるが、その友達の友達というので幹事からお声がかかり、1987年の大学卒業以来、25年振りに再会したという同期や後輩が何人もいた。FB上でそういうサークルOBのプラットフォームを作ってくれた後輩がいるのは有難いことだと感謝している。

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週報(7/2 - 7/8) [備忘録]

【満身創痍です…】
右手首:最近、右手首の調子が悪い。直接のきっかけは6月初旬の道場の稽古で、先生相手に面の相打ちで負け、中心を取られて面を空振りしたこと、しかもそれを二度繰り返した。

その時は瞬間ヒヤっとしただけで、稽古を終えた後、後遺症はなかった。しかし、その後稽古で面を打つたびに右手首に痛みが走るようになり、思い切った面打ちに出れなくなった。徐々に痛みが強くなってきており、しかも稽古の後も痛みが残るようになってきた。最初は湿布薬で患部を冷やし、稽古ではサポーターを巻いてみたが、とうてい解決策にならず、先週からはテーピングで無理な手首の動きを抑えることで痛みの緩和を試みた。

今週末に会社の剣道部の代表として対外試合に出るので、そこまではだましだましなんとかやってきた。試合の本番でも思い切った面が打てず、本意ではない小手を中心に裏から攻めてなんとかやり過ごした。結果は初戦敗退だったが、仕方がない。

左腰痛:実はもう1ヵ所、左の腰が痛くてぎっくり腰寸前の状態である。こうなったのは週後半で、試合当日だった土曜日が最もきつくて腰を伸ばすことができなかった。こういう状態でも剣道はなんとかできるので、試合には出たが、試合会場から重い防具袋をかついで帰宅し、畳の上で横になったところ、腰の痛みで上半身を起こすことすらできなくなった。(それでも道場に出かけて稽古はやったのだから、腰痛でも剣道はできるということでもある。)

来週は時間を見つけて整形外科で右手首を診てもらうようにしたい。7月下旬から道場が夏休みに入るので、その間にじっくり治したいと思っている。腰痛については、腰が伸ばせないようになるのは既に今年に入って二度目で、こちらの方も早めに診てもらった方がいいと妻から言われている。

*さっそく、9日に職場近くの整形外科医で手首を診察してもらったところ、「三角靭帯損傷(TFCC)」と診断されました。剣道の稽古を暫くやめろ、とまでは言われませんでしたが、自然治癒に任せるために、暫くはリハビリ専念にならざるを得ないです。

左肩痛:唯一の救いは、6月中ずっと悩まされていた左肩の痛みがやわらいだこと。走っても歩いても左肩が突っ張る感じでひどい時は呼吸もつらかったが、先週末帰省した際に実家の母から「グルコサミン&コンドロイチン」の錠剤パッケージを2ケース譲り受け、毎日服用を始めたところ、痛みが気にならなくなった。母がネット通販でお取り寄せしたものだが、非常に助かった。

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週報(6/25 - 7/1) [備忘録]

【藤井を出すな!】
セパ交流戦を終えてセリーグ首位をなんとか維持したドラゴンズ。同一リーグ戦再開後の2カードを4勝1敗と乗り切ったはいいが、今週末の東京ドームでのジャイアンツとの首位攻防戦をなんと三連敗。僕同様、おおかたのドラゴンズファンは贔屓のチームの不甲斐なさにイライラする週末を過ごしたことだろう。

第1戦から連敗の予感があった。1-2というスコアで迎えた最終回同点のチャンス、まわってきたのは投手の打順。ベンチに残っている代打要員はルーキー高橋周平と堂上直倫、そして藤井。相手の投手は右投げのマシソンだったので、セオリー通りならここで使えるのは左打ちの高橋かスイッチヒッターの藤井ということになるが、正直、藤井を使って欲しくなかった。こういうチャンスの場面だけではなく、そもそも藤井は昨年から僕が見ている場面でヒットを打ったことが殆どない。打率も.154では、代打要員としては全く期待などできない。ルーキー高橋の打率はさらに低いが、彼は当たれば飛ばす力を持っている。そもそもルーキーだから、凡退しても諦めがつく。それが藤井が代打で出た時点で、申し訳ないが僕はもう勝てない、高木監督は試合を投げたと思った。二度と藤井を使うなと思った。

ところが翌日の第2戦、なんと高木監督は藤井をスタメンで起用した。そして、先発小笠原の立ち上がり、四球で走者を出した小笠原も悪いといえば悪いが、外野フライを落球して先取点を献上した藤井の失策は痛い。これをきっかけに小笠原は初回4点を献上し、ドラゴンズ打線は巨人先発杉内の前に沈黙。初回が全てだった。高木監督が何を期待して藤井を先発起用したのかよくわからんが、二度と藤井を使うなと思った。

そして7月1日(日)の第3戦、今度は先発山内が四球をきっかけに突然崩れてまた大量失点。追い上げるためにブランコすら引っ込める積極的な代打策に出た高木監督、それなりに奏功して2点差にまで追い上げた最終回、先頭打者はまたしても藤井。後続はこれまた打率1割台の堂上直倫。そしてやっぱりあっさりと三者凡退。控えの良い打者から使っていった結果がこれだ。最終回に代打要員が足りなくなってしまっていた。今季の高木用兵ではこういうパターンが目立つ。

負けた試合でも、勝った試合でも、高木監督は試合後のインタビューで失態を演じた選手、期待通りの活躍ができなかった選手のことをけなす発言が多いが、その割には藤井についてボロクソ言っているのを聞いたことがない。一体、高木監督と藤井の間に何があるというのか。藤井に何を期待して起用し続けるのか、全く理解できない。

今週、元ドラゴンズの福留孝介外野手が大リーグ・ホワイトソックスから正式解雇された。シーズン途中でも戦力外通告を出すメジャーの厳しさを改めて痛感させられる出来事だった。日本のプロ野球もこれくらいの厳しさを持って欲しいと思ってしまう。プレイしていても何の期待も抱けない藤井をなんで起用するのか、そもそも何で一軍に置いておくのかはよくわからない。こういうわけのわからぬ采配をされて、結果的に試合を落とし続けると、ファンとしては足が遠のく。シーズンを通しても、このジャイアンツ戦三連敗は重要なターニングポイントになってしまいそうな予感がした。(外れて欲しいけど)

二軍では抜群の成績だが一軍での成績はさっぱりという選手はたまにいる。藤井もそうなのかもしれないが、こういう選手は環境を変えてあげるのがいちばんである。藤井に、できれば朝倉も付けて、他球団にトレード放出することも考えて欲しい。打てる予感が全くしない打者や、抑える予感が全くしない投手を抱えておくほど今のドラゴンズに余裕があるとは思えない。

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週報(6/18 - 6/24) [備忘録]

今週は、各曜日毎の記録は書きません。普段なら割と毎日こまめにメモしておくようにしていたのですが、今週はいつもにも増してあまり余裕がなく、毎日のメモを取っていませんでした。年のせいでもの忘れもひどく、一昨日のことを思い出すのも難儀です。思い出すのには時間もかかるし、ブログのフォーマットを維持するのにそんなエネルギーを使うこともないかと思うので、今回は1週間をまとめて紹介します。

【悪化する右手首捻挫】
3週間ほど前の剣道の稽古で、先生と地稽古した際、合い面で競り負けて面を空振りするのが二度ほど続いた。先生に中心を取られた自分の技がそもそも未熟なのだが、空振りすると鍔元の右手首が必要以上に大きく曲がって負荷がかかる。一度目はピシッと来た程度だが、二度目は激痛に襲われた。

手首を動かさなければ痛みは感じないし、患部を指で押さえてもさほど痛みはなかった。だから、最初は患部に湿布し、それをサポーターで固定していたが、稽古に行って最初の面の基本打ちを行なう度に痛みが走り、ろくな打ち方ができなくなってきた。手首を固定するサポーターは小手を着用するのにも不便で、稽古の際には外さざるを得ない。そこで、23日(土)の稽古ではテーピングで手首を固定することにした。また、重心が鍔に近いところにある竹刀に換えてみることにした。(重心が剣先に近い竹刀を使っていたのが原因の1つだと思う。)

幸い、手首を固定することで稽古自体は最後までこなすことができた。道場の夏休みまではあと1ヵ月。そこまでをやり過ごせばその後の1ヵ月をリハビリに充てられる。今しばらく、テーピングの痛々しい右手でなんとか頑張りたい。

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週報(6/11 - 6/17) [備忘録]

【タスキの重み、ぶっつけで5km走らす】
6月16日(土)午後、皇居周回コースを使って開催された「皇居駅伝」に、職場チームの一員として参加した。僕が1990年代半ばに市民ランナーとして頻繁に市民マラソンを走っていた頃、会社のランニングクラブのメンバーとともに何度か参加したことがある駅伝大会だ。

その後結婚し、3回もの海外駐在が入ったために、クラブとの関係が途絶えてしまい、そのうちに若い社員がどんどん入って来て、現在のクラブのアクティブ・メンバーと面識が全くなくなってしまった。さらに我が社では剣道部も新設され、そちらに参加したことから、ランニングクラブとは縁がない状態だった。しかし、今年始め、職場の同僚がストレス発散のために走りたいと言ってメンバーを集め始めた中で、席が近かった僕にもお声がかかってしまったのだった。最初はどこでもいいから駅伝走ろうという勢いだったが、どうせなら会社のクラブに混ぜてもらって皇居を走ったらいいんじゃないかということになった。

最近の僕は剣道中心の生活で、唯一走っていたのは月例川崎マラソンの3kmの部だけ。5kmなんてワシントンに駐在していた10年前以来走ったことがない。月例マラソンでの3kmは余力を多少残して走れていたので、少し練習をすれば5km程度ならなんとかなるのではないか、そう考えた僕は、同僚の誘いを受けることにした。

目標としていた5月20日の剣道の試合が終わってから5kmの練習を始めようと考えていた。しかし、試合直後に大きな下痢をやって食欲も減退して1週間力が入らない状態が続いた。それでも週末一度試走して4km程度はジョギングペースで走れることは確認したが、今度はその直後から左膝の痛みに悩まされるようになり、走りたくても走れない状態が長く続いた。走れないなら歩こうと考え、1日15000~20000歩は歩いた。ひょっとしたら走れるかもと思えたのは本番2日前、試走で2.5km休まずに走れたからだ。数日間患部に湿布薬を貼って過ごし、どうにかこうにか痛みが気にならない程度にまでは復調してきた。

多くの人が参加する駅伝、せめて晴れの天候で走りたかったが、当日はあいにくの雨模様。中止かもと期待したが、昔のマラソン大会参加経験からいってこの程度の雨では決行されると思って会場入りした。

CIMG2267.JPG

僕は五走のアンカーだったので、既に集団が大きくばらけ、終始1人で走るような展開だった。序盤の平坦コースから1km強の上り坂をクリアするまでに5人ほどの走者に追い抜かれた。意地で追走したいところだったが、悔しいが今の僕の走力ではとても無理、ましてや序盤なのでマイペースを守った。半蔵門を過ぎると長い下りに入る。そこでペースを上げられるかと期待していたが、実際走ってみるとそんな余力も失っており、歩きたい気持ちが何度も頭をよぎった。しかし、さすがに前の4人が歩かずに繋いでくれているタスキをかけていて、歩くのは期待を裏切る行為だと言い聞かせて走り続け、バテバテの状態でなんとかゴールした。26分台、僕としては目一杯の成績だ。無事に走り終えられてホッとした。

後述するように、今週は仕事ではイラっとすることが多かった。それなりに収拾して大人の対応をしたつもりではあるが、内心腸が煮えくりかえる思いで、夕方職場を後にする時には「今日はいったい何だったんだろう」と自問し、帰宅してやけ酒をかっ喰らったこともある。怒りの内容をブログやSNSのような公の場で詳らかにすることはできないため、酒を飲んで自分の中にしまい込むしかなかった。その意味では、今週、走ってでも嫌なことを忘れる時間が欲しかったのは僕自身だったのかもしれない。

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週報(6/4 - 6/10) [備忘録]

【日本人の民間協力の良くない事例】
今週半ばのある日、会社にいた僕は、お歳をめされたある女性の訪問を受けた。都内にある某家政学系大学の名誉教授という肩書の方だが、3月に初めてインドを訪れ、訪問した孤児院で見て来られたことをお話下さった。

地べたに座って子供達が右手で食事を食べている姿を見て、これでは衛生上問題があるから、テーブルやスプーンを使えるよう援助すべきだ。飲んでいる水も水質が安全なのかどうかわからないから、水質検査の技師を日本から派遣すべきだ。調理要員のおばちゃんが1日玉ねぎを切っているのを手伝ったが、現地の玉ねぎは固く、包丁は切れ味が悪いから、自分は腱鞘炎になってしまった、あれでは大変だろうから、玉ねぎの品種改良ができる農業専門家を日本から派遣し、良い包丁を供与してあげてはどうか。いろいろご提案をされた。日本に住む自分達の生活環境と比べた時、思うところがあったのだろう。

僕もこの孤児院を2年前に訪れているので、そういう状況はよくわかっているつもりだが、これらはインドでは普通のことなので、そこだけを見て問題だ何とかせねばと騒ぐのは外部者の勝手な思い込みに過ぎない。テーブルやスプーンを導入しても、孤児院を出て一般社会に出たら、やはり手で食べるのが普通なのだから、子供達の将来に対してもそれなりの責任を負わない限り、こうした援助はしてはいけないとすら思う。3月の孤児院訪問では、孤児院自体に1泊しかしなかったらしいが、インド訪問の全体日程の中で、インドの他の寄宿舎付き教育施設やスラムでNGOがやっている教育活動をご覧になられたのかというとそうでもない。そこしか見ないで日本との比較で問題だと指摘されている。しかも、話がその学校の授業内容のことに及び、日本から教師を派遣すべきだとも仰っていたので、どんな時間割で授業が行なわれているのですかとごく基本的な質問をしたところ、「1泊2日の間にセレモニーが多かったので、確認する時間がなかった」という言い訳をされていた。

この孤児院には日本の老夫婦が私財をなげうって施設整備に多大な寄付をされている。このご夫妻は日本の地方紙ではよく取り上げられ、シニア市民のあり方のベストプラクティスだというので各所で表彰すら受けている。確かに、自分のことよりも異国の恵まれない子供達のことを考えておられるその姿勢には僕も頭が下がる。しかし、この老夫婦もそれほど長期間現地に滞在したというわけではなく、英語のコミュニケーション能力の問題もあって孤児院を運営する現地NGOと、その運営方針についてとことん話し合ったこともないと思われる。老夫婦が日本で設立されたNGOのHPも拝見したが、ご夫妻以外のスタッフの顔は全く出てこない、個人商店のNGOであることがよわかるし、孤児院を支援しているのは我々だけだと言わんばかりの活動内容説明になっている。しかし、実際には現地NGOの代表の古くからの人的ネットワークで、オーストラリアと英国にも支援団体があり、そちらの方がウェブを通じた情報普及をしっかりやっている。日本のご夫妻はそういう団体の存在もどこまで承知しておられるのかよくわからない。

日本人の対途上国協力の良くない事例を久し振りに見た気がした。

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6月4日(月):本当は週末のうちに荒木光弥著『歴史の証言-途上国援助1980年代』を読み切っておきたかったのだが、日曜日の体調がよくなかったため、結局半分も読めず、早朝多少読み進めて120頁程度まで行ったところで諦めて出勤した。この日午後の職場での自主勉強会で読む資料だった。読み切ってなくても取りあえず勉強会には出たが、面白そうな本だったので最後まで読み切ることにする。午後、管理部門にいるスタッフの方から長いメールをいただいた。これを作文するのに何分かかったのだろうかと苦笑する。こういうので「忙しい」と言われると何だか違うんではないかと思ってしまう。だから、僕は返信メールで、「明日朝打合せやらないか」と提案しておいた。この日はここ数週間関わっていた本の第三校ゲラが出版社から送られてくることになっていた。16時頃届いたゲラを著者に渡したが、もうここまできたら僕がやることもない、この期に及んで横から口を出すと収拾つかなくなると思い、著者に校閲はお任せすることにした。18時過ぎに退社、途中コメダ珈琲店で『歴史の証言』の続きを読み、200頁程度で見切りをつけて帰宅。22時就寝。

6月5日(火):午前3時にアラームは鳴ったが、起きたのは4時近く。1時間だけ『歴史の証言』を読み、それから身支度をして6時30分に家を出た。三鷹駅まで歩いて電車に乗ると、7時40分には出社。前日提案しておいた打合せに、もう1つ打合せを午前中に済ませた。午後も淡々と仕事。出版社へのゲラ戻しは14時の予定だったがこれにも同席せず、さらに仕事して、18時前に退社した。道場での稽古。来週末三段受験予定の高校生剣士がおり、日本剣道形の稽古に付き合った。帰宅は21時過ぎ。22時就寝。

6月6日(水):金星太陽面通過(Venus Transit)の日だったが、あいにく朝から雨。娘とともにバスと電車で通勤し、8時20分頃出社。
特段仕事で書くことがない。この日は夜は職場の次長さんと飲みに出かけた。

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週報(5/28 - 6/3) [備忘録]

【健診に向けて】
南雲医師の著書を紹介した際にも書いた通り、この時期は会社の健康診断が毎年行なわれる。健康診断は頭痛の種で、顧問医から厳命されている減量が上手くいかなかった時は、受診日をなるべく先延ばしにして、少しでも最後の悪あがきを試みようと涙ぐましい努力をするのがここ数年の慣習となっている。健診は5月21日からスタートして、6月1日が最終日。僕らはその間のいつ受診してもいいことになっていたので、早くから5月30日(木)をターゲットに定め、それに向けて体重管理を試みた。

普段よりもウォーキングの歩数を増やした上で、カロリーの摂取も極力抑え目にした。水分は摂取したが、食事は明らかに減らした。そして前日には剣道の稽古で汗をかき、当日も歩けるだけ歩いてから健診会場に向かった。5月初旬に81kg台だった体重は、最終的には78kg台前半にまで落とすことができた。胸を張って受診できた。

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5月28日(月):早朝起床、三鷹駅まで30分歩き、昼休みにも30分歩き、夜も三鷹駅から自宅まで30分歩いた。途中コメダ珈琲店に立ち寄り、読みかけの本を読み切った。帰宅後、22時就寝。

5月29日(火):早朝起床、5時から45分間ウォーキングし、それから定時で出社。昼休みには30分ウォーキング。夕方職場から大久保駅まで45分歩き、そして三鷹駅から自宅まで30分歩いた。この日は、今関わっている本の出版プロジェクトの第二校が出版社から会社に送付されてきた。ゲラ戻しは2日後ということで、著者の校閲作業をダブルチェックする目的で、僕らもゲラに目を通すが、どうしても1日早めに著者に渡したいということで、この日は午後から赤ペン校閲にかかりっきりになった。帰宅途中も、三鷹駅で下車後、またもコメダ珈琲店に立ち寄り、約90分間校閲作業をやった。帰宅後、22時就寝。

5月30日(水):3時起床。5時過ぎまでゲラの校閲作業を行い、身支度を整えてから6時過ぎには自宅を出て、竹刀・防具を担ぎながら会社に向かった。7時30分出社し、さらに残りの校閲作業を再開。11時過ぎには258頁全部目を通し、著者の助手にゲラを手渡した。昼休みは30分ウォーキング。夕方は、校閲作業の対象となっていたゲラの出来があまりにも悪いというので、職場上層部と著者を交えた緊急会議に呼び出された。途中までしか校閲作業が終わっていない他の関係者の方々と違い、僕としてはこの日の午前中に作業を終えており、これ以上僕自身にできることもなく、あとは共著者2名の方々のお考え一つでしょう。僕の追加作業がないことを確認し、定時で職場を上がり、会社の剣道部の稽古に参加した。7名での自主練習の後、5月13日の新宿区民大会の団体戦の模様をビデオ鑑賞。21時30分過ぎに飲みに行く同僚たちと分かれて1人帰宅。24時近くに就寝。

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週報(5/21 - 5/27) [備忘録]

【今週いちばんつらかったこと】
「ウェルカム・シャワー」という言葉をご存知だろうか。衛生環境の良くない途上国を訪れて、水や食べ物が合わなくていきなり患う下痢のことである。滝のような便(汚い表現でゴメンナサイ)で、腰が立たなくて上半身を起こしているのもつらい。よく下痢で動けないという人がいる。元々内臓が丈夫じゃない僕は、軟便は何度も経験していたが、ウェルカム・シャワーの洗礼を受けて、初めて「立てない」という感覚が理解できた。1995年10月、ネパール・カトマンズでのことだ。

今週は、おそらくそれ以来というウェルカム・シャワーを経験した。何が良くなかったのかは未だにわからない。20日(日)の夜は、娘の誕生パーティーで自宅で豪華な食事だった。ビールを飲むとたいてい翌朝便がゆるいのはいつものことだが、それにしても滝のようになるとは思ってもみなかった。それでも出勤はしたが、会社にいる間にどんどん症状がひどくなり、30分に1回はトイレに駆け込む状態だった。

カトマンズでの経験から、正露丸よりもワカ末の方が自分には効くと思い、21日夜から服用開始したが、翌22日も下痢は止まらず、結局軟便状態は1週間近く改善されなかった。週前半は食欲もなく、3日間固形物は申し訳程度しか口に運べず、もっぱらスポーツドリンクや栄養ドリンクで過ごした。そうして摂った水分補給が、そのままその直後に下の口から排出される感じで(苦笑)、お陰で体重は3kg近く減った。またメタボが指摘される健康診断受診前だったので、この減量はある意味ラッキー。

それでも出勤したのだからすごいと思う。忙しい、というか、目標日からの逆算でこの日には絶対これをやっておかなければならないという作業が幾つかあり、主担当副担当とか決めてもらえるほど会社に余裕もなくて、休んだらその分作業が止まるだけという事態に陥る。そのひとつひとつが膨大な作業というわけではない。取りあえず出勤はして、先方からの返事が来ていないかどうか確認するとか、来ていたら次の作業に進めるとか、大半は営業時間内でできる作業だ。先週、予想外の大仕事が急に入って来て他の作業を後回しにしたものが幾つかあり、今週はそれを処理しなければと思っていた。だから、歩くのがつらくても、出勤はしなければという悲壮感はあった。

3日間固形物をまともに摂取していないと、さすがに週後半は頭がクラクラするようになった。こんな状態で運動するのは怖いと思いつつも、週末は多少体を動かせるようにはなった。

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5月21日(月):前日の試合の疲れに加え、夜はけっこう飲んだのが良くなかったか、朝まったく目が覚めず、気付くと5時半をまわっていた。慌てて家族も起こし、金環日食観察に送り出すと、僕も出勤。飲んだ翌日にお腹をこわすのはよくあることだが、この日の下痢は半端ではなく、30分に1回のペースでトイレに駆け込むことに。勿論、シャワー状態。午後になると症状はさらに悪化し、さすがに我慢できず、16時40分で早退。帰宅後すぐに布団に直行し、そのまま寝た。

金環日食を楽しんでいる体の余裕はありませんでした。太陽光が弱まって少し暗くなった雰囲気を味わいながら、自宅から最寄り駅まで30分歩いた。

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週報(5/14 - 5/20) [備忘録]

5月14日(月):午前4時いったん起床したが、なかなか体が目覚めず、朝風呂を浴びてようやくシャキっとした。早朝ウォーキングをスキップしたので、三鷹駅まで30分歩くことにした。会社に着いてからも午前中は眠くて仕方がなかった。昼休みも30分歩き、午後になってからやるべき作業が明確になってきたことから、午後は相当集中して仕事した。19時30分過ぎに退社し、三鷹駅下車後、コメダ珈琲店で45分ほどインドの農村雇用保証制度(MGNREGS)に関する論文を読んだ。20頁のワーキングペーパーのうち、6頁ほど読んでから帰宅。22時就寝。

5月15日(火):午前3時起床。前夜読みかけで終わったMGNREGSの論文を集中して読もうと、24時間マックで1時間少々滞在。13頁まで読み進めた。6時30分に家を出て、職場入りする前にタリーズでさらに90分費やし、論文を読み切った。職場では、11時までかけてメール対応を済ませ、その後は個室に籠って120頁ほどある書籍原稿の校閲をやった。前日、海外出張中の上司から国際電話で急に言われた作業で、実はこの他にも別の書籍原稿256頁分のチェックを金曜日までに済ませなければならなかったので、今週の仕事のスケジュールを見渡し、上司から言われた作業は火曜日に集中して片付けてしまおうと考えた。しかし、思った以上に作業は捗らず、18時時点で50%程度しか終了していない。道場での稽古があって18時でいったん仕事を切り上げて帰宅した。稽古後22時就寝。

5月16日(水):午前3時起床。3時30分から6時過ぎまで24時間ガストで続きの作業。80%程度まで作業は進んだ。きつい。さらに三鷹駅前のタリーズで90分かけて作業を完了してから出勤。会社では書籍原稿校閲第二弾に着手。今度はゲラ状態になっている256頁分を、木曜夕方までに校閲を終えなければならない。校閲作業も含めて19時30分まで残業し、帰宅途中で三鷹駅前で再び喫茶店に籠って40分校閲。70頁程度までしかできずに帰宅。22時就寝。

5月17日(木):午前3時起床。3時30分から24時間ジョナサンで続きの校閲作業。約2時間で145頁まで進む。朝8時に職場入りして、さらに3時間ほど費やし、なんとか全頁校閲作業を終える。同様の作業をやっていた助手のK君と午後イチですり合わせし、その結果を執筆者に渡した。この日は、翌日から上京して来られる僕の論文指導教官に提出を求められていた博士論文の改訂研究計画を書き上げる作業をやったが、20時30分でギブアップし、未完成版を教授にメール送付して、職場を後にした。22時過ぎに帰宅し、布団直行。

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