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週報(6/11 - 6/17) [備忘録]

【タスキの重み、ぶっつけで5km走らす】
6月16日(土)午後、皇居周回コースを使って開催された「皇居駅伝」に、職場チームの一員として参加した。僕が1990年代半ばに市民ランナーとして頻繁に市民マラソンを走っていた頃、会社のランニングクラブのメンバーとともに何度か参加したことがある駅伝大会だ。

その後結婚し、3回もの海外駐在が入ったために、クラブとの関係が途絶えてしまい、そのうちに若い社員がどんどん入って来て、現在のクラブのアクティブ・メンバーと面識が全くなくなってしまった。さらに我が社では剣道部も新設され、そちらに参加したことから、ランニングクラブとは縁がない状態だった。しかし、今年始め、職場の同僚がストレス発散のために走りたいと言ってメンバーを集め始めた中で、席が近かった僕にもお声がかかってしまったのだった。最初はどこでもいいから駅伝走ろうという勢いだったが、どうせなら会社のクラブに混ぜてもらって皇居を走ったらいいんじゃないかということになった。

最近の僕は剣道中心の生活で、唯一走っていたのは月例川崎マラソンの3kmの部だけ。5kmなんてワシントンに駐在していた10年前以来走ったことがない。月例マラソンでの3kmは余力を多少残して走れていたので、少し練習をすれば5km程度ならなんとかなるのではないか、そう考えた僕は、同僚の誘いを受けることにした。

目標としていた5月20日の剣道の試合が終わってから5kmの練習を始めようと考えていた。しかし、試合直後に大きな下痢をやって食欲も減退して1週間力が入らない状態が続いた。それでも週末一度試走して4km程度はジョギングペースで走れることは確認したが、今度はその直後から左膝の痛みに悩まされるようになり、走りたくても走れない状態が長く続いた。走れないなら歩こうと考え、1日15000~20000歩は歩いた。ひょっとしたら走れるかもと思えたのは本番2日前、試走で2.5km休まずに走れたからだ。数日間患部に湿布薬を貼って過ごし、どうにかこうにか痛みが気にならない程度にまでは復調してきた。

多くの人が参加する駅伝、せめて晴れの天候で走りたかったが、当日はあいにくの雨模様。中止かもと期待したが、昔のマラソン大会参加経験からいってこの程度の雨では決行されると思って会場入りした。

CIMG2267.JPG

僕は五走のアンカーだったので、既に集団が大きくばらけ、終始1人で走るような展開だった。序盤の平坦コースから1km強の上り坂をクリアするまでに5人ほどの走者に追い抜かれた。意地で追走したいところだったが、悔しいが今の僕の走力ではとても無理、ましてや序盤なのでマイペースを守った。半蔵門を過ぎると長い下りに入る。そこでペースを上げられるかと期待していたが、実際走ってみるとそんな余力も失っており、歩きたい気持ちが何度も頭をよぎった。しかし、さすがに前の4人が歩かずに繋いでくれているタスキをかけていて、歩くのは期待を裏切る行為だと言い聞かせて走り続け、バテバテの状態でなんとかゴールした。26分台、僕としては目一杯の成績だ。無事に走り終えられてホッとした。

後述するように、今週は仕事ではイラっとすることが多かった。それなりに収拾して大人の対応をしたつもりではあるが、内心腸が煮えくりかえる思いで、夕方職場を後にする時には「今日はいったい何だったんだろう」と自問し、帰宅してやけ酒をかっ喰らったこともある。怒りの内容をブログやSNSのような公の場で詳らかにすることはできないため、酒を飲んで自分の中にしまい込むしかなかった。その意味では、今週、走ってでも嫌なことを忘れる時間が欲しかったのは僕自身だったのかもしれない。

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6月11日(月):先週の週報の冒頭でご紹介した、インドの孤児院に10年も寄付をされている老夫婦の奥様が、受け皿となっているインドのNGOの代表夫人とその令嬢を連れて我が社を訪問された。先週お目にかかった某私大の先生もご一緒だったが、それに輪をかけて強烈な方だった。僕はその表敬訪問を受ける立場だったのに、その僕に対して、自分が連れてきたインドからのお客様に、自分が話すことを通訳して説明してやって欲しいと要請された。自分は英語ができないのだと仰る。

ご本人は10年も援助を続けてきたのだから、インド側のNGOが自分の言うことを聞くのが当たり前だと思っておられるようだったが、前にも書いた通り、このNGOはオーストラリアや英国にもスポンサーがおり、日本の特定の寄付者だけを見て運営はできない筈だし、この奥様がこうしろ、ああしろととやかく言ったところで、NGO側のキャパの問題があってその通りには動けない事情もあると思う。それを、「あそこのNGOの代表は私の言うことをなかなか聞いてくれない」と愚痴られても、正直困る。英語がわからないという根本的な制約があるとはいえ、支援相手の団体がどういうところなのか、もう少し理解されていてもよかったのではないかという気がした。

僕もこの奥様が持っておられる偏見や思い込みを正そうと率直に意見も言ったし、気付きを促す質問も試みたが、人の話を最後まで聞かないで自分がしゃべり始めてしまう人だったので、どこまでわかっていただいたのかはいささか自信がない。僕を訪ねて来てくれたNGOの代表夫人は僕のインド駐在時代から面識があったので、再会は素直に嬉しかったが、支援者の日本人の奥様の思い込みとそれを正そうとする僕らとの会話を英語に訳して夫人に説明しろと言われるのは不本意で、僕の当然の権利として相当部分を端折った。

6月12日(火):午前3時に起床し、前夜読みかけだったASEAN統合に関する論文をさらに読み進めた。8時前に出勤し、ようやく読み切ったが、昼休み中に海外からもらったメールで、そうした論文読み込みが不要になってしまった。前触れもなく突然来た一方的な通告に腹が立ったところはあったが、原因はこちらにもあり、職場の管理部門の意向を仲介して先方に伝える役を担わされた僕が批判の矢面に立つ形になってしまった。悔しいがこの件についてはこれ以上は書けない。やり場のない怒り。僕はこのあたりの気持の切替えが下手で、夕方には他の仕事が手につかなくなってしまった。18時前に会社を出て、まっすぐ帰宅。やけ酒飲んで寝た。剣道の稽古も行こうと思えば行けたが、右膝の痛みが辛かったので休むことにした。

6月13日(水):午前4時起床。この日も8時前に出勤し、前日の話をどうしたものか、どう上司に報告しようかといろいろ思索を巡らせた。なかなか妙案は浮かんでこなかったが、件の管理部門のスタッフが昨日の時点で既に僕の上司に一報入れていたことが判明。さすがは僕らの仕事を管理している管理部門だけのことはある。自らは泥をかぶらず、嫌な仕事は現業部門にやらせて、結果は現場サイドからの直接報告の前に先に幹部に報告してしまう。なんだか僕1人の過失になってしまっている。昨日からのこの一件だけでも怒りを感じているが、この日は別件で同じような目に遭いそうな話で僕の名前を使われた。嫌なパターンだ。対策を考えねばと思った。

この日は定時で上がり、地元で開かれた国際交流協会の部会に出席した。この日は拡大部会で、普段接点のないような自主グループの代表の人も大勢来られていた。各グループの活動は大いに勉強になったが、やはりシニアの方が圧倒的に多く、中には人の話をまったく聞かず、協調性のかけらもない唯我独尊のお年寄りもいた。ご本人は、自分達のグループに新しい人がなかなか参加してくれないのは別に構わないと肯定されていたが、こんな感じだとドン引きして若い人がなかなか来てくれないだろうと苦笑せざるを得ない。運営やっている協会も大変だなと改めて思った。

6月14日(木):4時起床。読みかけの本を読んで1時間過ごした後、5時から自宅周回コースをウォーキング。途中2周はノンストップでジョギングを入れてみた。これなら土曜日の駅伝は走れそうだ。前日からの続きで、片付いていない仕事を進めた。夜は道場の稽古に出た。この日はジョギングも含めて20000歩近く歩いた上に剣道の稽古もやれたということで、週末の土曜日の過ごし方のシミュレーションにはなった。22時就寝。

6月15日(金):4時起床。読みかけの本を読んで2時間過ごし、それから身支度して出勤。この日の仕事の内容については書きたくもない。半日程度で終えたかったのだが思いの外手間取り、結局それだけのために1日費やした。前日まで別件でいろいろ僕にやらせてきた件の管理部門のスタッフはこの作業についてもステークホルダーだが、この件では一切沈黙。もう1人関わっていた管理部門の別のスタッフは有給休暇を取っていた。結局、現業部門で僕のサポートをしてくれていたアシスタントの手を借りて、殆ど僕がやった。1日終えて20時過ぎに職場を出るとき、「俺、何やってんだろ」と虚しくなった。やけ酒ではないが、帰宅途中でラーメンを食べて気を紛らわせた。

6月16日(土):午前4時30分起床し、読みかけだった『21世紀仏教への旅 ブータン編』を読み切る。朝は学校がある娘を駅まで送って行ったり家事手伝ったりして過ごした。7時過ぎから雨が降り始めたので、この日午後開催予定の駅伝がどうなるのか固唾をのんで見守っていたが、結局この雨足なら決行されるだろうと判断し、11時過ぎに家を出た。駅伝の結果については冒頭紹介した通り。その後剣道の稽古に行くつもりで会場を後にしたが、ぶっつけ本番で5kmを走ったつけは大きく、腰が張って動けなくなり、結局稽古を休まざるを得なくなった。22時には就寝。

夜のNHKのニュースを見ていて、娘から「なんでマイナリさんは逮捕されたの」と聞かれた。真相はどうだったのかはわからないものの、疑わしい部屋に東電OLと一緒にいたことは事実なので、年頃の娘にどう説明したらいいものか、ちょっと困った。ネパールの人々の間では、こんなに長期間収監されていたことをもって日本はおかしいと批判している声が多く聞かれるが、そもそもの彼の行動については誰も何も言っていないのが気になった。

6月17日(日):午前3時起床。24時間ガストに出かけ、『現代ブータンを知るための60章』をようやく読み切った。この本は読み始めたのが1週間以上前で、途中で他の本を読み始めて読み終わったので、かなり間延びしてしまったのである。この日は父の日だったが、あまりそうしたご配慮はいただけず、妻は昼前から外出、僕は朝食の後片付け、子供達が食べる昼食の準備、後片付けと、いつもより働いた。前日に5km走った筋肉痛――というよりも腰痛と股関節の痛みがひどく、午後は畳の上に横になっている時間が長かった。夜は、家族と近くに住む義父母とともに近所のイタリアン・レストランに出かけ、今月誕生日を迎える家族と父の日の祝いを兼ねた夕食会を開いた。22時30分就寝。

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