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週報(7/9 - 7/15) [備忘録]

【改めて フェースブックに 感謝する】
今週、7月10日(火)は僕の49回目の誕生日であった。後述するように職場でも思いがけないお祝いをしていただくサプライズがあったが、もう1つの大きな驚きは、フェースブック(FB)で50人近い友人知人の方々からお祝いのメッセージを頂戴したことである。220人も友達がFBでいればそれくらいは当然なのかもしれないが、220人中、頻繁にFB上でつぶやいたり近況アップしたりされているのはだいたい30~40%ぐらいなので、50人というのはちょいと驚きの人数なのである。

僕自身は実は今まで、FBの友人にはあまり誕生日のお祝いメッセージを送ったことがない。最初の頃はわりと頻繁にやっていたけれど、友人が200人以上になってくると、ほぼ毎週のように3、4人が誕生日を迎える計算になり、だんだん考えるのが面倒になってきて、いったんギブアップしてしまっていた。だから、自分が誕生日のお祝いメッセージをいただいた時に、真っ先に感じたのは「申し訳ない」という気持ちだった。

中には、FB上ではあまりつぶやいたり近況アップしたりされていない友人もかなりメッセージを送って下さった。自分でもアップしないけれど、FBは読まれているということなのだろう。僕も平均すると2、3日に1回程度の近況アップに過ぎないけれど、発信していれば気付いて下さるということなのだろう。とはいえ、普段の一方的な情報発信だけではなく、近況をお尋ねするような1対1のやり取りももう少し大事にせねばと痛感させられたのがこの1週間であった。

今週はもう1つ、13日(金)に大学時代のサークルのプチOB会があった。僕の同期が5人、1期下が5人で集まった。サークルの同期の奴とは、1、2人はFBで繋がっている人がいるが、その友達の友達というので幹事からお声がかかり、1987年の大学卒業以来、25年振りに再会したという同期や後輩が何人もいた。FB上でそういうサークルOBのプラットフォームを作ってくれた後輩がいるのは有難いことだと感謝している。

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7月9日(月):特段いつもと変わらぬ1日だったが、この日は17回目の結婚記念日であった。気難しい夫に付き合ってくれている妻に感謝しつつも、とっとと6時半に家を出て会社に向かったのであった。週末の間に済ませてしまおうと思っていた仕事が全く手つかずで残ってしまい、そのために月曜は早めに出社してそれを片付けようとするのである。朝イチで本当は終えておきたかった作業は、結局午後にまでずれ込んだ。それでも終えられてホッとした。夕方職場近くの整形外科に行って、右手首の痛みを診察してもらった。結果は「三角靭帯損傷」、自然治癒で回復を待つしかないが、1ヵ月経っても痛みが引かないようなら内視鏡手術もあり得るとのこと。う~ん、また故障か…。帰宅途中でドトールでお茶しながら借りていた本を読んでいたので、実際の帰宅は21時45分頃。18年目突入を祝うわけでもなく、22時就寝。

7月10日(火):午前3時、スッキリ起床。ずっと「コメントくれ」と頼まれていた論文があって、コメントを返すために24時間ジョナサンで論文を読み込んだ。またまた6時30分に家を出て、8時前に出社すると、先ずは依頼者にコメントをメールで返した。この日は午前中に大きな打合せが2つあり、午後も研修を1コマ聴講したので、席に戻ったのは15時過ぎだった。すると、同じ職場の若いスタッフから「Sanchaiさん…」と呼び掛けられ、何かと思って振り向いたら、コージーコーナーの大きな箱が…。そう、今日は僕の49回目の誕生日だったのでした。職場の同僚に祝ってもらうなんて、2003年のワシントン駐在時代以来なかったことである。というか、今の職場に移って来てから3度目の7月10日だったが、今までもなかったことである。感動した。こうした取組みを新しい職場の文化にして、持続させていって欲しいと思う。ケーキは職場の皆さんとシェアして美味しく頂戴した。冒頭紹介した通り、この日はフェースブック上でも多くの方々からお祝いのメッセージをいただいた。20時過ぎまで残業してからようやく退社。21時には帰宅して、家族にも誕生日を祝ってもらった。それでも22時に就寝。

7月11日(水):午前3時起床。朝のうちに仕事で必要だった本を1冊読み切った。かなりの飛ばし読みだった。この日は少し遅めで9時の定時出社。途中の仕事の話は抜きにして、夜は職場の最寄駅近くの居酒屋で、我が社のネパールの事務所の現地スタッフの来日歓迎会に出席。1998年春に採用になったSさんの採用は僕が担当し、最初の3ヵ月は僕と一緒に仕事した。彼の採用前に僕がペアを組んでいた現地スタッフは、僕の赴任とほぼ同時期に採用されたが、僕が現地駐在員をしていて最も苦しかった1997年10月に、突然、「他にいい仕事が見つかった」と、ニコニコ顔で辞めさせてほしいと言ってきた。空気読めよ、バカヤロウ…。僅か2年足らずの在勤期間だった。それだけに、Sさんを採用した時には、長く我が社で働いてほしいと切に願った。僕がカトマンズに駐在していた頃に携わった仕事については、僕の離任後にネパールに来た日本人駐在員の一部で評判が悪く、直接非難をぶつけられたこともある。(反論したい気持ちもやまやまだが…。)しかし、14年間も働いてくれる現地スタッフを確保したのは僕の功績だと胸も張りたい。22時過ぎに宴会もお開きになり、帰宅した時には午前零時をまわろうとしていた。

7月12日(木):前夜の帰宅が遅いとどうしても翌朝の起床が遅くなる。この日は午前5時起床。朝方は何もできず、8時前に出社した。仕事については特段触れることなし。18時前に退社し、この日は地元の国際交流協会の某部会に15分遅れで出席。昨年度相当頑張った僕としては、今年は秋から冬にかけて自分の仕事の都合上あまり協会のお手伝いができないこともあり、自分からイベント企画案は出さずに会議の行方を見守るつもりでいたのだが、本来だったら今日決めないと11~12月頃のイベントもできないというタイミングだったのに、出席者のほとんどが具体的なアイデアを持って来ておらず、議論が2ヵ月前の前回会議と同じ堂々巡りになったので戸惑った。具体案がないならないでもいいが、人が何かネタの種を出すと、それにケチを付ける人がいる。そうかと思うと、さらに悪乗りしてイベントやるなら宗教論争を避けるななどと何ら具体性のない持論をぶち始める人もいた。人の話をちゃんと最後まで聞かず、自分の言いたいことは最後まで言わせろと主張する、高齢者の悪い面が如実に出た会議だ。結局、具体的なことが何も決まらず、2ヵ月後の会議に持ち越しとなった。出ていて疲労感がたまる会議だった。会議終了後、帰宅。22時就寝。

7月13日(金):この日も目覚めがあまり良くなくて、4時起床。8時前に出社して仕事に取り掛かった。この日は週明け17日の打合せに向けて資料を完成させたかったのだが、その作業があまりにも捗らず、その間にもいろいろ横槍があって、思ったように仕事ができなかった。19時まで頑張ったが完全には終わらずに退社。この日は大学時代のサークルのプチOB会が三田で開催され、19時開始だったが1時間遅れで合流し、22時過ぎまで飲んだ。僕は大学4年の時に米国留学して学部卒業が1年遅かったので、サークル同期の連中の中には、卒業以来全く会ってなかった奴もいた。今やそのサークルは消滅してしまったそうだ。以前書いた通り、僕はサークル活動については、大学2年の秋以降あまり真面目に参加していなかったので、こういう場に呼ばれるのには戸惑うところも大きい。その場での会話は楽しかったけれど、これが今後どのように繋がっていくのかはよくわからない。この日の帰宅も午前零時を回った。

7月14日(土):前夜の帰宅が遅かったことから、この日の起床は6時近く。ブログ記事のまとめ書きをやって午前中を過ごした感じだ。この日、日中の最高気温は30度を超え、エアコンも入れずに過ごした午後はぐったりして床に寝転がっていた。この日は次男が試合前の最後の稽古だったので、早めに道場入りして次男と20分ほど特別稽古を行った。直前に稽古したからといって試合に行かせるかどうかはわからないが、自信持って臨んで欲しいと願う。子供の稽古の後、流れで大人の部の稽古にも出た。テーピングで固めて患部の痛みをやわらげるよう工夫はしたものの、やはり面を打つと空振っても当たっても右手首には激痛が走る。地稽古の途中で面を外し、見取り稽古に切り替えた。もう焦っても仕方がないので、これから約2ヵ月間、防具を付けず、リハビリに専念したいと思う。その間、他に鍛えられるところを鍛えようと思う。

7月15日(日):午前零時をまわっての妻の帰宅やその後の家族の会話のお陰で寝室にいても熟睡できず、午前3時の目覚ましにも反応できずに4時近くになってから起床。それでも朝やっておくべきことがあったので、24時間ガストで早勉敢行。週明けの仕事の段取りを整えた。この日は三鷹市種目別少年スポーツ大会の剣道の部が開催され、次男が個人戦に出場。1回戦シードだったが2回戦で前年優勝者と当たるのを知り、最初から試合を諦めるような言葉を連発していた。ここ2週間の稽古を見ていて次男がかなり上達していたのは知っていたので、稽古通りやれればそこそこはいい試合ができるだろうと僕は期待していた。相手は1回戦を戦うので、ちゃんとそれを観察していれば攻撃パターンも予想はできるだろう。会場で道場の子供達の誘導を手伝っていた僕は、次男にもそう仕向けようと試みたが、気持ちで負けてしまうとなかなかそういう姿勢にならない。実際の試合も、道場内に響き渡るふだんの大きな掛け声は全く聞こえず、多少粘ったが実力差がありありの試合結果となってしまった。彼も強豪相手でビビって声を出している余裕もなかったのだと思うが、「備えあれば憂いなし」にもなってなかったのは残念。しかも相手の選手が勝ち上がって優勝するまでの試合も、僕が注意しないとろくに観戦することもできなかった。子供なのだから仕方がないとは思うものの、同じ三鷹市の大会ではこれからも対戦する機会が何度もある相手だ、もうちょっと相手の観察をちゃんとやっててもいいのになと親としては思う。我が子の出番はそれで終わりだったが、道場の全出場選手の応援は団体戦まで続き、結局帰宅したのは17時頃。蒸し風呂のような武道館で1日過ごして疲弊してしまい、この日はいつもより早めに21時30分頃には就寝してしまった。

次週は7月23~25日に予定されている仕事の大きなヤマ場を前に、2つほど小さなヤマ場を迎える。今まででも余裕があったとは思えないけれど、今週末に書きためておけなかった記事の更新はいつか滞るだろう。予めお赦し下さい。
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