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週報(5/14 - 5/20) [備忘録]

5月14日(月):午前4時いったん起床したが、なかなか体が目覚めず、朝風呂を浴びてようやくシャキっとした。早朝ウォーキングをスキップしたので、三鷹駅まで30分歩くことにした。会社に着いてからも午前中は眠くて仕方がなかった。昼休みも30分歩き、午後になってからやるべき作業が明確になってきたことから、午後は相当集中して仕事した。19時30分過ぎに退社し、三鷹駅下車後、コメダ珈琲店で45分ほどインドの農村雇用保証制度(MGNREGS)に関する論文を読んだ。20頁のワーキングペーパーのうち、6頁ほど読んでから帰宅。22時就寝。

5月15日(火):午前3時起床。前夜読みかけで終わったMGNREGSの論文を集中して読もうと、24時間マックで1時間少々滞在。13頁まで読み進めた。6時30分に家を出て、職場入りする前にタリーズでさらに90分費やし、論文を読み切った。職場では、11時までかけてメール対応を済ませ、その後は個室に籠って120頁ほどある書籍原稿の校閲をやった。前日、海外出張中の上司から国際電話で急に言われた作業で、実はこの他にも別の書籍原稿256頁分のチェックを金曜日までに済ませなければならなかったので、今週の仕事のスケジュールを見渡し、上司から言われた作業は火曜日に集中して片付けてしまおうと考えた。しかし、思った以上に作業は捗らず、18時時点で50%程度しか終了していない。道場での稽古があって18時でいったん仕事を切り上げて帰宅した。稽古後22時就寝。

5月16日(水):午前3時起床。3時30分から6時過ぎまで24時間ガストで続きの作業。80%程度まで作業は進んだ。きつい。さらに三鷹駅前のタリーズで90分かけて作業を完了してから出勤。会社では書籍原稿校閲第二弾に着手。今度はゲラ状態になっている256頁分を、木曜夕方までに校閲を終えなければならない。校閲作業も含めて19時30分まで残業し、帰宅途中で三鷹駅前で再び喫茶店に籠って40分校閲。70頁程度までしかできずに帰宅。22時就寝。

5月17日(木):午前3時起床。3時30分から24時間ジョナサンで続きの校閲作業。約2時間で145頁まで進む。朝8時に職場入りして、さらに3時間ほど費やし、なんとか全頁校閲作業を終える。同様の作業をやっていた助手のK君と午後イチですり合わせし、その結果を執筆者に渡した。この日は、翌日から上京して来られる僕の論文指導教官に提出を求められていた博士論文の改訂研究計画を書き上げる作業をやったが、20時30分でギブアップし、未完成版を教授にメール送付して、職場を後にした。22時過ぎに帰宅し、布団直行。

5月18日(金):夜更かししていた娘や長男の行動に目が覚めてしまい、なんと睡眠時間2時間程度で、1時半過ぎに起床。ブログの記事など書いていたら外が明るくなり、そのまま出勤することにした。この日は午前中に打合せ1件、午後イチでもう1件、さらに職場の全体会議があったので、あまりゆっくり席に座っていなかった。前日執筆者に渡した書籍原稿のチェック作業だが、「こうしたらどうか」と良かれと思って赤ペンを入れた箇所や、文章が理解しづらいので修正を求めた箇所が、執筆者の判断で7~8割がた「却下」されたことを知った。事実誤認を指摘した箇所まで却下されていた。誤った情報が残ったまま活字になってしまうリスクが残るが、著者がリスクを取るというのならもう僕が何言っても仕方がないと思い、黙って引き下がった。労いのひと言があったわけでもなく、何だか望まれぬ作業をしてしまったみたいで徒労感が募った。本当に疲れていたが。僕はこういう場合の気持ちの切替えが上手くできない。18時30分に職場を出て1時間歩き、帰宅前にラーメンをバカ喰いして、気分転換を図った。帰宅後とっとと寝た。

5月19日(土):朝3時にすっきりと起床。週末に予定が詰まっていることから逆算し、週明けの職場内勉強会での発表資料を作るのは土曜午前中である程度目処を立てておかねばならないと判断し、4時頃から24時間ガストで早勉開始。6時で作業を打ち切って帰宅し、自宅PCでレジメ作成作業をやった。完成度90%までは何とか到達。

娘の授業参観と保護者会に出ていた妻が帰宅するのと入れ違いに、僕は16時過ぎから外出。東京に来られている大学院の指導教官と目黒駅で待ち合わせ、論文指導を受けた。ここ数ヵ月、自分の生活時間の中になんとか博士論文のための時間を作れないか、今の自分の職場での仕事と論文のテーマを繋げられないかと考え悩んできたが、今週研究計画の改訂作業をやって教授に提出したことで、なんとかやれるのではないかという気がしてきた。お前が自分が指導して送り出せる最後の博士だろうと言われ、期待を裏切ることはできないなと再起を誓った。

目黒駅界隈を散策したのは今の会社に転職する直前の1993年1月以来。店舗の並びは大きく変わったが、ランドスケープはあまり変わってなかったし、駅ビル「アトレ」も健在だった。懐かしいな。論文指導の後、種子島料理というお店で教授と夕食をご一緒してから帰宅。23時近くなった。

5月20日(日):がらにもないことだが、よく眠れなかった。前夜23時に帰宅してすぐに布団にもぐり込んだが、なかなか寝付けず、しかも4時台で目が覚めた。折角だから読みかけの本を読み切ってしまおうと、5時から1時間だけ朝マックした。帰宅後、前日作りかけだったレジメを完成させ、ワイシャツのアイロンがけも早めに済ませ、朝8時30分に外出。市立第二体育館へと向かった。この日は三鷹市民春季剣道大会だった。

去年、この大会は直前の肉離れで出られず、団体戦のチーム編成にご迷惑をかけた。今年は1週前の新宿区民大会も無事に終えられたので、内心かなりやれるのではないかという気持ちを持って臨んだ。ただ、今週は平日の持ち帰り残業が相当に多く、睡眠時間も不十分と疲れがたまっていて、そんな状態で朝方のウォーミングアップできつめの稽古をやったもので、午前中の個人戦は竹刀が異様に重く感じ、しかも3分間の試合で終盤息が上がってしまった。相手の方は実業団の選手だが、段位的には僕の方が上なので、順当なら僕でも行けると思ったが、とにかくきつかった。最後は根負けして面をもらってしまい、そのまま時間切れで1回戦敗退となった。

午後は団体戦。僕は道場チームの中堅。1回戦は前年も初戦で当たって敗退を余儀なくされた大学剣道部が相手。1分1敗で出番が回ってきた中堅戦は2本取って僕が勝利。勝数、本数とも並んだ勝負は代表戦にもつれ込み、我がチームの大将が1本取って勝ち上がった。2回戦は別の道場のチームが相手。ここでも0勝2敗で出番が回ってきたが、中堅戦で2本取って僕が勝ち、続く副将も2本取り、勝数は並んだが奪った本数で上回り、準決勝進出。

準決勝は地元の実業団のAチーム。力負けでした。自分のところで何とか流れを変えたかったけれど、2本取られて負けてしまった。昔、個人戦で一度だけ対戦してその時は勝てた相手だったので、負けてしまったのはかなり悔しい。

三位決定戦は行われなかったので、準決勝進出時点で三位入賞も確定。手ぶらで帰宅したくないなと思っていたので、団体戦の方で表彰状をいただき、自分なりにも貢献できたと思うので、一応胸を張って帰宅した。個人戦の1回戦敗退と団体準決勝中堅戦での敗退は、今後ももっと修行を積んで、雪辱を果たせるようになりたい。

この日は娘の13歳の誕生日だったので、近所に住む(娘の)祖父母もお招きして、一緒に祝った。義父ともビールで乾杯したが、550ml缶を2本少々空けたら、その後睡魔に襲われ、22時には沈没。朝も軽い二日酔いで起き上がれず、珍しくも8時間以上眠ってしまった。

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