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週報(5/7 - 5/13) [備忘録]

5月7日(月):午前4時起床。早朝ウォーキングをこなしてから出勤。この日は僕が載っている雑誌LEEの発売日だったので、朝からそわそわ。昼休みも会社を抜けて近所のコンビニに行ってみたが、未だ棚には陳列されていなかった。帰宅途中でLEEを2冊購入し、自宅で家族に見せびらかした。22時就寝。

5月8日(火):午前中外勤があったので、早めに目的地に行き、最寄り駅界隈の喫茶店で2時間近く予習をやった。外勤先で昼ごろまで過ごした後、本社に立ち寄り、インドから任期を終えて帰国した関係者2人の報告会に出た。そこから職場に戻り、会議を1つ挟んで、今度はインドから一時帰国中の僕の元部下が僕を訪ねて来てくれたので応対。この日は久し振りにインドのことを話せる相手と楽しいひと時を過ごさせていただいた。18時に元部下たちと別れ、道場での稽古に臨んだ。22時就寝。

5月9日(水):午前3時起床。雨だったのでウォーキングは諦め、午前9時出社。午後は外勤し、そのまま外勤先から直帰。この日は市の国際交流協会の定例部会があったので、18時30分から会議に出席。他薦で副部会長にさせられてしまった。議案を見ていて、なんとなくそうなるのではないかという予感はあったが、ちょっと心理的な負担が大きい。そこまで国際交流協会の仕事の全体にコミットしたいとも思っていなかったし。部会の後1時間近く事務局の方や部会長と立ち話し、その後帰宅。22時就寝。

5月10日(木):午前3時起床。8時出社。この日は夕方17時45分にあがり、職場の同僚数人と東京ドームで巨人-横浜DeNA戦を観戦。中日ファンの僕にとっては結果がどちらに転んでもいい試合だったが、仲間の1人が熱狂的な横浜ファンだったので、横浜を応援した。引き締まったいい試合だった。途中中畑監督が審判抗議に登場した時には、場内大喜び。さらには、この日発売の週刊誌FRIDAYでテレビ東京の秋元玲奈アナとの交際が発覚した石川選手も途中出場させる粋なはからいで、試合は引き分けだったが大満足で球場を後にした。帰宅は24時近かった。

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週報(4/30 - 5/6) [備忘録]

【里帰りキャンセル】
風邪でも流行っているのだろうか。4月は最高気温が25度近い日があったかと思うと翌日は雨で気温が15度以下に下がったりと、とかく天候が変わりやすかったので、体調管理がしづらかったと思う。

当初の僕達の計画では、2日(水)の深夜に東京を出て、車をとばして翌朝岐阜の実家に着き、5日(土)夜まで現地に滞在して、また夜間走行で6日(日)未明に東京に戻ってくることになっていた。しかも、家族全員で。うちは長男が中3で、高校受験を控えているため、家族全員での里帰りはこれが最後かもしれない、そんな思いがあった。長男が高校入学すれば、家族全員のスケジュールを合わせるのは今よりももっと難しくなるだろうし。

ところが、この里帰りに向けて、子供達が続けて体調を崩した。先ずは小3の次男、先週来時折咳き込む姿が気になっていたが、30日(月)に妙に遊びまくった後、その夜から咳がさらにひどくなり、翌5月1日(火)は学校を休んだ。そして、続いて長男が体調を崩した。雨が降り続いた2日(水)、学校に持って行っていた傘を誰かが間違えて持って帰ってしまったというのでずぶ濡れで帰宅し、頭が痛いと妻に訴えた。すぐに病院に連れて行くと、体温は38度台、しかもこれからさらに容体悪化の可能性が高かった。

そんなことがあって、泣く泣く里帰りキャンセルの決断を下した。帰省中に訪問を予定していたボーマン先生にも連絡して詫びを入れ、大人しく東京で四連休を過ごすことにした。いちばん悔しがっていたのは長男。他の2人は春休みにも岐阜を訪ねていたので、意外とさっぱりしていたかも。

【お陰で持ち帰った仕事はそれなりにはかどった】
里帰りを予定通りしていたとしても、家族の相手はほとんどせず、もっぱら県立図書館に出向いて岐阜県の蚕糸業について調べることにはしていたので、それができなくなったとしても、基本的に連休中にやろうと思っていたことはそれに近く、四連休はずっと図書館通いを続けた。想定していた作業が全部できたというつもりはないが、相当はかどったことは間違いない。

こういう場合の持ち帰り仕事は、持ち帰った量に比べて実際にできた作業量が半分にも満たないというケースが多いのだが、今回に限っては70点ぐらいはつけられるかもしれない。残りの30点は、本来やっておきたかったことにまで手をつけられず、その前段階でかなりの時間を費やすことになってしまったからである。

お陰で今週はほぼ毎日午前3時起きで24時間営業のファミレスにお世話になった。ガストもジョナサンも同じすかいらーく系列なので、店内放送で同じテープを使っている。5月に入ってから「すかいらーく・ミュージックステーション」で流している曲が変わった。今月は、レベッカ『フレンズ』、プリンセス・プリンセス『ダイヤモンド』などの女子バンド特集の他に、さびの部分がやたらと印象に残ったABC(Acid Black Cherry)の「イエス」が流れている。いい曲なので、PVを貼り付けておきます。


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週報(4/23 - 4/29) [備忘録]

ボーマン先生との思い出
11月末、京都の大学での講義の前日に岐阜の実家に立ち寄った際、父から中日新聞西濃版の切り抜きを受け取った。弟がとっておいてくれたもので、岐阜県垂井町の知的障害者支援施設「あゆみの家」の創立40周年にちなんだ3回シリーズの記事「約束-あゆみの家とともに」(秋田佐和子記者)である。導入部分を引用する。
垂井町の知的障害者支援施設「あゆみの家」が、今年40周年を迎えた。創設者は、米国カンザス州グッドランド出身の故ジョン・ボーマンさん(2004年、79歳で死去)。終戦まもないころ、仙台で日本の子どもたちと交わした約束を守るため、宣教師として再び来日。弱い立場の人たちを常に気に掛け、私財を投じて西濃で初めての障害者支援施設を造った。同郷の妻ベルニダさん(82歳)は夫を支え、その死後もリサイクルショップの売り上げを寄付して、施設を支えた。夫妻が来て58年。長い歩みをたどる。
この導入からもわかる通り、この記事はボーマン夫妻の歩みを紹介したものである。だが、本日この話題を取り上げるのは、残念ながら僕の「あゆみの家」やジョン・ボーマン宣教師との関係性を紹介したかったからではない。「㊥出会い」にベルニダ夫人が「英語講師の収入」を全てあゆみの家に寄付されていたとあるが、その夫人-僕らは「ボーマン先生」と呼んでいた-に英語を教わっていた1人が僕であり、そして僕の弟だったからだ。
今週、最も嬉しかったことは、高校時代に英会話を教わった恩師であるベルニダ・ボーマン先生と、なんとフェースブックで連絡が取れたことだ。僕が先生のご自宅の電話番号を忘れてしまったことから、毎回帰省しても何となく連絡をしそびれて既に20年近くが経とうとしている。冒頭の記事を書いたのは昨年末のことで、その時には年末年始の帰省の際に会って来れたらと結んでいたが、それも実現させられなかった。ところが、今回はGW直前に連絡がつき、帰省する際にお訪ねすることになった。

今年83歳になるボーマン先生がフェースブックをやっておられたのには驚いたが、こうして繋がりを再構築できたのはとてもよかった。帰省した際の訪問先がもう1つできた気がする。

【神宮でまったく勝てないドラゴンズ】
昨年までセリーグ二連覇を果たしているドラゴンズの最も苦手とする相手はヤクルト・スワローズ、しかも神宮球場での対戦である。神宮のヤクルト戦を観戦に行った日には、100%ドラゴンズは負ける。監督が変わってこの負け癖が払拭されるのか、高木監督の手腕と選手の気持ちの切り替えには期待したかったが、今週行なわれた神宮三連戦、ドラゴンズは結局1分2敗、エース吉見を立てた3戦目ですら勝てなかった。

今週はトータルで2勝2敗1分なので成績が悪かったわけではないが、何となく物足りなさを感じた。

【先週の国際交流協会イベントの反響】
先週21日に開催された国際交流協会のイベント「国際理解講座」が、思わぬ反響を呼んでいる。当日会場に来られていた出席者の方から、協会事務局に感想メールが届き、「大変有意義だった、司会進行のSanchaiさんの采配が優れていた」と書かれてあった。1週間後、用事があって協会事務局を訪ねたところ、当日の開催準備チームの一員としてご尽力下さった事務局のNさんから、事務局を訪れた会員の方から、「あれはよかったねぇ」というお褒めの言葉をいただいたと聞かされた。

「地域に埋もれている人的資源をいかに発掘して光を当て、今後の地域の活動に参加してもらう」という僕の構想からいえばまだその足掛かりを作ったに過ぎないが、取りあえずは好スタートが切れたとは言えそうだ。

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週報(4/16 - 4/22) [備忘録]

【負けないドラゴンズ】
どうなっちゃってんだろう。先週5連敗をぼやいた途端に連敗がストップし、今週は5勝1敗で来てしまった。繊細なベンチワークを必要としない試合展開が続いて、前半にセーフティリードを奪って逃げ切りというパターンが多かったので、ネット上で批判されている、監督の采配でボロが出てしまう事態を見る機会がなかった。監督が何もしないで済むような試合展開がいちばんだ。

それにしても、今年のセリーグは連勝の後に連敗というのがやたらと多い。ドラゴンズの場合も、ヤクルトや巨人相手に連敗したと思ったら、広島からは貯金を稼ぎまくっている。

ドラゴンズ絡みで今週嬉しかったのは、去年までドラゴンズの先発ローテーションを支えていた左腕のチェンが、米メジャー二度目の先発で勝利投手になったことである。元ドラゴンズだというだけではなく、彼が入団したのがボルチモア・オリオールズだということで、特別な思いがあるのだ。


この映像は、勝利投手になったホワイトソックス戦ではなく、メジャーデビューとなったホームでのヤンキース戦の映像である。ソフトバンクから同じくオリオールズに入団した和田毅投手が故障で出遅れてしまったのに比べ、チェンはうまくメジャーのボールにも適応し、着実に登板実績を積んでいる様子。とても嬉しい。

【日々の出来事】
今週も、あまり日々の出来事を書く気にならんのです。自分で自覚している自分の仕事のやり方の悪い面、拙い面を、目の前に突き付けられて、自分が悪いとわかっているんだけど認めたくない自分がいる。要は本当にやりたくなくて後回しにしていた仕事が火を噴き、消火活動に追われたという1週間であった。

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四段合格 [備忘録]

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4月15日(日)、くにたち市民総合体育館で開催された東京都剣道連盟主催の審査会で、無事に四段に合格しました。思い立ってから1ヵ月の急ごしらえで、日本剣道形の稽古を重点的にやって下さった先生方、先輩、同僚の皆様、そして、この1ヵ月間普段よりも頻繁に稽古に出かけるのを黙って見守ってくれていた家族に、お礼を申し上げたいと思います。

今年11月にいずれにしても受験しようと考えていたのですが、11月は仕事で長期出張できる余地を残しておきたいと思ったので、前倒して受験することにしました。決心したのは3月に行なわれた次男の試合の直後のことで、あいつも頑張って剣道続けているんだから、オヤジとしてもちゃんと頑張っているところを結果で示したいと考えたのです。また、この半年間で、娘は中学受験、長男は英検準2級と、子供達には目標を定めて達成に向けて努力することを求めてきたわけで、いくら年齢を重ねても「目標設定と達成に向けた努力」の組合せは同じなんだよというのを、自分なりに示したいとも思いました。

前回三段受験は2001年8月の米国・ラスベガスでした。その時は全米剣道連盟主催のサマーキャンプでのことで、その流れで急遽受験したので、日本剣道形の稽古を殆どしておりませんでした。実技審査はクリアしたものの、形審査はまったくのしどろもどろで、案の定不合格となってしまいました。実技審査免除で形審査を再受験したのは同年11月のニューヨークでのことでしたが、その時も形については「ギリギリだな」と当時指導を受けていたK先生からは苦言を呈せられました。

三段合格後、順調なら2004年11月には四段受験資格が発生します。自分でもそのつもりで、米国駐在期間中はそれなりに中味の濃い稽古を積んで、意気揚々と帰国しました。ところが、最初に配属された部署では予想以上の激務で、加えて子供も小さかったことから容易に稽古に出かける気にもなれず、帰国直後に一度面をかぶったぐらいで、以後5年以上のブランクを作ってしまいました。再び剣道に戻って来れたのは2009年7月、インド・デリーのインド剣道同好会「剣印会」の稽古でのことでした。

この10年は体の衰えとの闘いでもありました。米国で稽古を積んでいた時にはさほど感じたことがなかったのですが、今は稽古の翌日は体中に痛みがあるし、2~3回続けて稽古すると両膝の痛みに悩まされることが多く、続けて稽古ができません。インドから帰国して今の道場に通うようになってからも、肋骨にひびを入れたり、肉離れをやったり、腰椎椎間板ヘルニアをやったりして、そのリハビリで1ヵ月稽古できないようなブランクも度々ありました。

「あと何年、今みたいな剣道が続けられるのだろうか」――そんな不安と背中合わせで稽古を重ねてきました。
それだけに、よくここまで辿りつけたなと、感慨もひとしおです。

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週報(4/9 - 4/15) [備忘録]

【勝てないドラゴンズ】
5連勝の後、なんと引き分け挟んで5連敗で、とうとう貯金を使い果たしてしまった今週のドラゴンズ(14日はなんとか勝ったけど。)僕はラジオやインターネット中継しか見てないのだが、負けるパターンが決まっていて、嫌になる。

①投手戦になって1点でも先行されたら、同点に追いつくことすら期待できない。チャンスでクリーンナップを迎えても、森野、ブランコ、和田が揃って凡退するし、谷繁も昨シーズンの日本シリーズ以来当たりが止まっている。そのうち投手陣が根負けして追加点を許してしまう。

②それ以上に7番平田は打てる予感が全くない。出れば併殺打でチャンスを潰すか、三振を予感させ、しかもその予感が実によく当たる。良くても四球出塁。藤井の打席にも全く打てる予感がしなかったが、さすがに見限られた感あり。堂上直倫も打てる予感があまりしないが、代打や代走じゃなくてもっと使ったらそこそこ打てるような気はしてしまう。福田はさらにもっと使って欲しい。楽勝の試合が作れたら、途中で谷繁を休ませても福田に経験を積ませてやって欲しい。

③浅尾にしても、岩瀬にしても、一死や二死からでも1人出塁を許したら、たちまち失点に結びついてしまう嫌な予感がする。そして残念ながらその予感が的中してしまう。

④インターネットのニュースでは、高木監督のコメントがやたらと載る。マスコミに漏らさない方がいいことまで口にしている気がする。選手のことを話すなら、選手と直接コミュニケーションをもっと取って欲しいと思う。マスコミの知らないところでちゃんとコミュニケーション取っているならいいけど、二軍に落としたブランコに関するコメントを読んでいると、この監督は意外と選手を大事に扱っていないのではないかと勘繰りたくなる。

結果として、今週は購読している東京新聞を開く気にもなれなかった。当然、東京中日スポーツを読みたいとも思わなかったので、コメダ珈琲店にも行かなかった(苦笑)。夜のテレビのスポーツニュースは見る気もせず、おかげで就寝時刻が早くなって良かったよ。

ネット上では既に高木監督批判が渦を巻いている。対戦が一巡するまでは我慢した方がいいと思いつつも、ヒットもそれなりに出ていて投手陣も踏ん張っているのに、なんでこうもあっけなく連敗を重ねてしまうのだろうかと不思議でしょうがない。

高木批判をするのは簡単だが、サッカーだったら、選手が自分たちでああしよう、こうしようと話し合い、時には監督やコーチに提案したりもしているのだから、戦術的に違和感があると感じたら、首脳陣と率直に意見交換をしたらいいと思う。それだけの実績を残してきた選手たちなのだから、新米の監督・コーチ陣に提案するぐらいのことはしてもいいのではないだろうか。

【日々の出来事】
今週は、あまり日々の出来事を書く気にならんのです。嫌な仕事のやらされ方だったと思う。先週の理不尽さをそのまま引きずって週明けを迎えてしまった気がする。思うように捗らない作業もある。

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週報(4/2- 4/8) [備忘録]

【自分で制御できない仕事】
今週は、自分では制御できない次元でいろいろな出来事があり、週明けに自分が考えていた作業スケジュール通りには殆ど仕事ができない1週間となってしまった。個々の日の出来事には細かくは書かないが、僕は今22時就寝、午前3時起床という日課で生活している。起床してすぐに仕事できるわけではないが、朝2時間ぐらいは仕事に充て、それから出勤する。朝の仕事を1時間少々で納め、その分1時間早めに出勤することもある。だから、「18時退社」が多くても、仕事が楽だというわけではなく、実際、これ以上どこで時間を捻出すればいいのかわからないくらい、余裕があまりない。

突然の凍結解除:僕らの仕事は周囲の人が何をどう考えているかに大きく左右される。上が「黒だ」と言えば白いものでも「黒」だと言わなければならないことはある。1月初旬に「最優先でやれ」と言われて準備を整えた仕事が、1週間も経たないうちに上の事情で凍結にされる。かと思うと、先月末になって社長のクリアランスが取れたとかで週明けから急に動かせという指示が来る。しかも作業の目標期限は同じ3ヶ月後。つまり、元々6ヵ月の作業期間でやろうとしていたものを、3ヵ月でやれという話である。他社も絡む話なので現時点でも3ヵ月という準備期間はタイト過ぎて達成は不可能に近い。取りあえず目標達成期限までに最低限のものを整え、やや時間を置いて全部揃えるという二段構えでやるシナリオを考えて上司に説明したが、そこからさらに上に上げると、「それでも3ヵ月でやれ」と言われる。振り回されているなと思う。

期限を守ってくれない相手:かと思うと、仕事の相手が自分の期待した通りに動いてくれないことだってある。海外の関係者にお願いしていた仕事が、1月初旬時点では3月中旬には終えられると言われていたのに、自己都合で先延ばしにされ、うちの事務処理上どうしてもこの日までに作業を終えて成果品を出して欲しいと再三リマインドしたのに、相手の方は勝手に自分の解釈で独自の期限を決めてくる。本当は4月4日朝までに終えて欲しかった仕事が、5日朝になっても、6日朝になっても出てこない。この作業も僕自身のイニシアチブで始まったものではなく、上から「どうしてもこうやりたい」と言われ、その体裁を整えるために僕が関係者と調整したものだ。

内輪もめ:かと思えば同じプロジェクト・チームで仕事していた関係者間で言い争いがヒートアップして、仲裁に追われる。直接的なきっかけは口調の厳しいメールで、受け取った相手は当然怒るだろうなというような内容だ。だから売り言葉に買い言葉になってしまった。ただ、背景にはお互い積もり積もった鬱憤があり、それが一気に爆発してしまった感じである。ただでも僕自身が上の意向で振り回されて思わぬ形で仕事が増えて制御不能な状態に陥っている時に、足元で余計な仕事を増やさないで欲しいと正直思う。相手を意識的に怒らせるつもりでないのなら、相手を諭すような目的のメールは出すべきではない。どうせ結果は相手を怒らせるのであれば、1対1で口頭でやるべき。

【日々の出来事】
4月2日(月):週末に持ち帰っていた仕事がかなり捗ったので、気分良く週明け初日の出勤の朝を迎えたが、3時起きで自宅で仕事していた際に感じた悪寒が出勤してから本格化し、夕方頃には頭痛がひどくなった。狭い部屋に40人以上押し込まれた状態で、退職される職場関係者の最後の講話を聴いていて途中で気分が悪くなり(いろんな意味で)、講話終了を待たずに退席してそのまま帰宅した。夕食は食べたが、20時には就寝。そのまま朝の5時30分まで寝た。

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週報(3/26 - 4/1) [備忘録]

子供2人を僕の実家に送り出して我が家が静かだった週末の土曜日、妻と長男と3人で囲んだ食卓では、いつもなら付けているテレビもなく、インターネットで米国のFM局の番組を聞き流すことにした。最近新聞・ラジオなどでの宣伝がかまびすしい石川遼君の「スピードラーニング」というのを、実践してみようと考えたのである。英語は勉強しなくていい、聞き流すだけでいいというのが本当なら、「スピードラーニング」なんて教材を購入しなくても、ただ英語のラジオ放送を聞き流していれば英語のリスニング力は身につく筈――とにかくCMがウザい「スピードラーニング」に対するキラー・コンテンツはこれだろう。

昔米国駐在時代に車を運転しながらよく聴いていたWTOPというニュース局の放送をライブで聴いていた。そこで飛び込んできたのが冒頭のニュースである。6億4000万ドル(640ミリオン)の当選宝くじは、ボルチモア郡北部のセブンイレブンで販売され、当選者が現れるのを皆が固唾をのんで見守っているのだという。

「宝くじの話?」4月から中三になる長男は、「jack-pot」が「宝くじ」のことだというのは聴き取れたらしい。

「そんな大金がいきなり手に入ったら、人生変わるよね」堅実な生き方が暗転するだろうと妻は言った。

話題は自ずと「自分が「600億円」もの大金を手に入れたらどう使うか」という、夢の話に展開した。先ずは住宅ローンを完済して、そして「子供達は留学させる」、それだけではとても使いきれないから、妻は「寄付する」と言った。

僕なら先ずは会社を即辞める。その資金で「財団」を設立し、その基本財産の運用益を使って世界中での社会開発への取組みに寄付をする。社会を良くしようと努力している社会起業家に出資する。ちょっとした身の回りの生活を改善しようとする草の根の発明の実用化に出資するベンチャーキャピタルを供給する。

「『ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団』みたいに、夫婦の名前が両方載った財団名っていいね」妻はそう言った。

【年度末ノルマ達成へ最後の追い込み】
3月26日(月):年度末までにレポートを書き上げるのにどうしても読んでおかなければならなかった論文3本を前週末に読み終わっていたので、この日の職場ではその日本語要約を作成する作業を行なった。午後は、コメント依頼を受けていた日本語の本のワード版の原稿に変更履歴付きでコメントや修正を書き込む作業をやった。部内で僕を含めて4人に原稿をばら撒いて原稿チェックをお願いしてあったが、このコメントの期限は21日で、その日までに僕ともう1人はチェックを終えていたので先にコメントをお返ししてあった。週明け、さらに2人のコメントがようやく出てきたが、予想以上にしっかり読み込まれていたので、コメントや修正箇所が思いの外多く、しかもそのコメントがミミズが這いつくばったような字で書かれていて難解で、ワードファイルに全てを反映させるのに予想以上に時間がかかった。まさか半日仕事になるとは思わなかった。

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週報(3/19 - 3/25) [備忘録]

ワシントンDC在住のフェースブックの友達から桜の便りが届いたり、インドの友達から「ハッピー・ホーリー!」のメッセージをもらったり、冬から春へと一気に移り変わるこの季節は、人々が軽装で外に飛び出し、春の訪れを祝う楽しい季節だ。子供達が学校を終業して春休みに入った最初の週末など、家族サービスにはもってこいだと思うし、巷のお父さんの多くは普通はそうしていると思う。次男から、「誰々は今日どこどこへ連れて行ってもらうんだって」という話を聞かされると、非常に申し訳ない気がする。

3月19日(月):最近、月曜日はたいてい朝8時前に出社して早めに仕事に着手するようにしている。この日は午後に僕の担当業務の来年度事業の審査会があった。週末から資料はあらかた作ってあったが、一部分の情報記載が会社に行かないとできないものだったので、早めに出社して資料を完成させる作業をやった。その後審査会までの時間は別の仕事に充てた。ちょいとばかし緊張を強いられる審査会だったので、終わった後はちょっとした燃え尽き感あり。夕方は18時前に会社を出て、地元の国際交流協会事務局に出向き、4月下旬に予定されている次の行事の準備に関する打合せをした。思い付いた準備事項を事務局の担当者に押し付けたような格好になってしまったが、僕もこの行事(パネルディスカッション)のモデレーターを務める予定なので、パネリストのプロフィールや関連資料を読み込むという別の大きな仕事が控えている。打合せは19時半には終ったので、それから例によってコメダ珈琲店に移動し、持ち帰っていた仕事の英文資料を読み込んだ。22時前には帰宅した。

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週報(3/12 - 3/18) [備忘録]

ワシントンDCに今も住んでいる僕の知人が、一時帰国していた東京からDCに戻ったら、もうTシャツで過ごせるとFacebookに書いていた。東京の日中の最高気温は今もひと桁台後半という日が多く、たまに10℃を上回ってちょっと暖かいなと感じても翌日にはまた冷えるという寒暖の差が激しくなっている。ただ、僕はもうコートは着ないでコットン製のマフラー1枚だけ首にまいて通勤するようにしている。それでなんとかなってはいるが、帰宅途中で風がふいたりすると、これだけでは寒いなと感じたこともある。今週は後半ぐらいから次男が頻繁に咳き込むようになり、その次男と一緒に22時には就寝している(そして午前3時過ぎには起床する)僕も、どうも風邪をうつされたようで咳が続くことがある。DCのような春が待ち遠しい。

その一方で、先週ぐらいから花粉が飛んでいるのを感じることが多くなった。くしゃみ鼻水で悩まされることはまだない。僕はスギよりもヒノキの花粉に反応するので、本当にきつくなるのは4月下旬から5月下旬までの1ヵ月間なのだ。しかし、今年は目のかゆみとショボつきは今から気になってしょうがない。時々目薬を点眼している。

年度末が近付いてきているので、僕らの仕事も何かとせわしない。特に、土壇場になってからようやく出来上がってきた資料が結構多くて、僕はそれらを読みこんで別のブリーフィング資料にまとめ上げるという作業が今年度のノルマとして2本課せられているため、今必死に資料を読み込み、その要約を作っているところである。年度末までに完成版の原稿を書き上げることは不可能に近いが、少なくともそれに近いドラフトは作っておく必要がある。あと2週間、つらい日々が続く。

3月12日(月):普通の時間に出勤し、普通に仕事して、19時頃退社。まっすぐ家に帰らず、自宅最寄り駅から15分歩き、コメダ珈琲店で「仕事」した。仕事上読み込まなければならない英語の資料を持ち帰っていた。70頁もある論文というのは読み切るのも大変だが、読み始めるのももっと大変だ。巨大な壁を前にすると、第一歩を踏み出すのに大きな勇気が要る。21時30分頃まで資料を読み、それから15分歩いて帰宅。帰宅後はすぐに就寝。最近22時には先ず寝るようにしている。

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