『リバース・イノベーション』 [インド]
内容(「BOOK」データベースより)僕が学生の頃は、レイモンド・ヴァ―ノンの「プロダクトライフサイクル論」が流行していた時代だった。日本の企業の海外直接投資が盛んになり、世界規模での生産立地の再編が進む中で、市場に近い場所で最終製品は生産が行なわれるようになり、それでも最後に本国に残るのは製品研究開発部門だと考えられていた。
リバース・イノベーションとは「途上国で最初に生まれたイノベーションを先進国に逆流させる」という、従来の流れとまったく逆のコンセプトであり、時に大きな破壊力を生み出す。そのインパクトとメカニズムを、シンプルな理論と豊富な企業事例で紹介。
本書は、ヴァ―ノンの理論に対して、21世紀になってにわかに脚光を浴びてきた新興国の台頭を背景にした、新たな理論枠組みが提案されている、注目すべき新刊だ。先進国の企業が途上国で成長しつつある中間層をターゲットにした商品開発をターゲット市場に近い場所で進めて、その結果生まれたイノベーションが、はね返って他国の市場でも受け入れられるという話だと理解した。
僕は経営学の専門ではないので、本書の第1部の理論構築編は飛ばし読みで済ませた。興味があったのは第2部の事例分析編。当然ながら新興国市場をターゲットに開発される商品なのだから、インドの中間層をターゲットに開発された製品の事例もいくつかある。インドに住んでいた頃には何気なく見ていたGEの携帯型心電計とかペプシコのスナック菓子「Kurkure」や「Aliva」とか緑と黄色のカラーが特徴的なジョン・ディア(John Deere)の農機具とかが本書では紹介されているが、そうした製品がヒットした背後で、こうした企業のたゆまぬ努力があったのだというのを学べたのが良かった。
ただし、本書はいわゆるBOPビジネスのお話とはちょっと違うので注意。あくまでも新興国で小金持ちになりつつある人々をターゲットにした商品の話で、BOP層の購買力ではまだまだ手が届かない商品である。それに、そこでヒットした商品とそのイノベーション創出メカニズムをその先のグローバル市場にも適用しようと指向する点でも、ちょっとBOPビジネスとは違う空気を感じる。
ただ、日本企業がインドに進出してインド市場向けの商品開発を考える上では参考となる点は多いと思う。日本企業はBOPビジネス開拓といいつつも、日本で開発プロジェクトチームを編成し、検討作業は日本で行なわれているところが多いように思うが、本気でBOP市場開拓をインドで指向するなら、商品開発チームをインドに常駐させないといけないのではないかと僕は漠然と感じていたが、本書を読んで、その思いをいっそう強くした。
映画館で会いましょう [インド]
現在渋谷オーディトリウムで上映中のインド・ドキュメンタリー映画『ビラルの世界』で、ご縁あって上映後のゲストトークに呼んでいただくことになった。先週から話が進んでいたが(週報を書かなかったので紹介していなかった)、10月8日(月)の体育の日に一度映画館に出かけ、ゲストトークがどのように行なわれるのか、実際に見学をさせていただいた。
『ビラルの世界』は、コルカタの低所得層が密集して住むスラム街で盲目の両親と住む3歳の男の子ビラル君の日常を描いたドキュメンタリーである。既に映画館に足を運ばれた方はお感じになられたと思うが、この映画はスラム街の貧困の実態をありのままに描いている割には悲壮感もなく、日常が淡々と描かれていて、むしろビラル君を含めてそこに住む人々の力強さを感じさせるとてもいい作品だ。ゲストトークに向けた作品のリサーチは直前に再度行なうつもりでいるが、暗さなど微塵も感じさせず、むしろビラル君を取り巻く人々の温かさ、やさしさ、たくましさを感じずにはいられない秀作だと思う。未だご覧になっていない方は、だまされたと思って是非一度映画館に足を運んでみて下さい。
冒頭申し上げた通り、僕は近々ゲストとして映画館で登壇する予定である。このブログでは実名を明かさないのが僕のルールであるだけに、いつというところは申し上げられない。どこかの首相の言い回しだが、「近い将来」としか申し上げようがないが、映画館でお目にかかれることを楽しみにしています。(僕の素性をご存じの方は、個別で僕にお問い合わせ下さい。)
『アサー家と激動のインド近現代史』 [インド]
内容紹介発刊当時ちょっと話題にはなった本である。激動のインド近現代史を、タタ財閥と同じくグジャラートのパルシーであるアサー家を先々代まで遡ってその生き方を描き、それに絡めて、アサー家三代が生活の拠点としたムンバイ、プネの歴史と街並みの変遷を描いている。
インドはどのような苦悩を乗り越えて経済発展をとげたのか?いまだ深刻な格差の状況は?
世界銀行、アジア開発銀行でのキャリアをもち、インド人と結婚した女性が、急変するインドの代表的都市(ムンバイ、プーネ)の発展の軌跡と人々の営み、信念、希望、失意、困難の歴史をミクロの視点で生き生きと描く
読んでみるとちょっと拍子抜けする。自分の結婚相手の一族や使用人、友人などのライフヒストリーの部分はミクロすぎて「へぇ、そうなの」というぐらいの感想しかなかった。いろいろな人から聞き取りをして、しかもインドの近現代史を相当に勉強され、その大きな歴史の流れの中でのパルシーの一家族の生きざまや、インドの経済発展の過程で、使用人にまでスピルオーバーで恩恵が行きわたって生活が急速に改善しているということを描きたかったのだろう。ただ、インドの近現代史を描きたかったのか、自分の結婚相手とそのファミリーを紹介したかったのか、どちらなのかがはっきりしていなかったように思う。
ひとつ間違えば、インドの豪商のファミリーと縁ができ、国際金融機関での仕事を通じて知己を得たインド高官とのネットワークを自慢しているのかとのうがった見方もされかねない。ムンバイといえば、以前日本人駐在員妻のムンバイ生活を描いた本をこのブログで酷評したことがあるが、自分の生活を取り巻く様々な人々にスポットを当てる手法は共通していても、本書はそれなどが足元にも及ばない深みがある本だといえる。それは、本書の著者が単に対象者のライフヒストリーだけにとどまらない、歴史の流れというマクロな視点をしっかり踏まえているからであるが、個々人のライフヒストリーからあまりにも離れてマクロな話だけで一部のセクションは書かれていて、バランスの悪さは本書にはある。
タグ:森茂子
インドの若者が求めるもの [インド]
内容説明インドから買って帰った本を先ず1冊読み切った。新進気鋭の売れっ子作家チェタン・バガット初のエッセイ集である。チェタン・バガットはこれまでに5本の小説を書いており、そのうち2本がボリウッドで映画化されている(『HELLO』、『3 Idiots』)。これらの映画はちゃんと見たことがあるが、実は原作を読んだことがなかった。
インドの学生はなぜいつも自殺するのか?インドにはなぜ汚職がこんなに多いのか?インドの政党は協働することができないのか?我々の投票は何も変化を起こさないのか?我々は自分達のインドと言う国を愛している。でも何かが違うのでは? 我々はみなこうした問いを投げかける。インドで最も愛読者が多い作家チェタン・バガットもその1人である。 バガットの初めてのノンフィクションである『What Young India Wants』は、売れっ子作家でありかつ聴衆にやる気を起こさせるスピーカーでもある彼の豊富な経験にもとづいて書かれている。明瞭かつ簡潔にその考えを表し、彼は現代のインドが直面する複雑な問題について分析し、解決策を提示し、その解決策について議論を求めている。そして最後に、彼はこの重要な質問を投げかける。「この国を良くするのに何が必要かについて皆で合意できないのであれば、物事はどうやったら変えられるのか?」今日のインドとそのインドが直面する問題について知り、その解決の一翼を担いたいと思っているならば、『What Young India Wants』はそういうあなたのための本である。
本書は、著者が全国紙Times of Indiaで連載していたコラムをまとめたものである。いつ連載開始したのかは定かではないが、扱われている出来事は意外と古いのもあり、僕が未だインド駐在していた2年以上前の話も当然ある。例えば、インド人民党(BJP)の重鎮ヤシュワント・シン元蔵相が書いたムハンマド・アリ・ジンナーの伝記本でのジンナーの描き方がけしからんとBJPを除名されたという出来事は2009年頃の話だったと思う。そういう、現地に住んでいてその出来事について予備知識を持っていると、本書はとても親しみやすいに違いない。
俳優アーミル・カーンの挑戦 [インド]
先週、インドに出張した際、昔の同僚から、ボリウッド俳優のアーミル・カーンが最近テレビのインタビュー番組のホストを始め、そこでインドが抱えている社会問題を毎回取り上げて視聴者に対して問題提起をしていると聞いた。週末滞在先のカトマンズでこれまた別の知人とスーパーマーケットで買い物をしていた際、この知人が、「カーンがタイムの表紙に載ってますね」と教えてくれた。さっそくTIMEの2012年9月10日号を1冊購入し、カバーストーリーを読んでみた。「スターの力(Star Power)」(Bobby Ghosh記者)と題した6頁の記事である。
1988年に「Qayamat Se Qayamat Tak」で初めて主役を演じたアーミルは、1990年代を通じて、いわゆるボリウッドの定番であるラブストーリー作品で実績をあげ、押しも押されぬスター俳優の仲間入りをした。僕が初めてボリウッド映画に接した1990年代半ば以降の出演作品としては、「Rangeela」(1995)、「Raja Hindustani」(1996)、「Ishq」(1997)、「Mann」(1999)などがあって、ウルミラ、カリーシュマ・カプール、ジュヒ・チャウラ、マニーシャ等と踊っていた。僕が駐在地だったカトマンズで、現地人スタッフを集めて謝恩夕食会を開いた際に、瞬間芸でボリウッド映画のダンスのまねをやって大いに受けた(?)が、その元ネタは「Ghulam」(1998)劇中のアーミルのダンスだった。
そんなアーミルが社会性のあるメッセージを発信し始めたのは、2001年公開の「Lagaan」からだと記事では書かれている。大英帝国支配下にあった植民地インドで、干ばつに苦しむラジャスタンの村人が、駐屯英国人を相手にクリケットの試合を挑み、租税の軽減を勝ち取るというストーリーで、アカデミー賞外国映画部門でノミネートされた。(僕は個人的には1999年の「Mann」じゃないかと思っている。不慮の事故で両足切断を余儀なくされたフィアンセが、障害を負ったがゆえに彼から距離を置こうとするところを、それでも愛を貫いて最後は結婚するという話だった。)「Lagaan」を見てなかったら、僕は今でもクリケットのルール、面白さが理解できずにいただろう。
その後、2006年の「Rang De Basanti」、2007年の「Taare Zameen Par」、2008年の「Ghajini」、2009年の「3 Idiots」といった作品に、アーミルは制作、監督、出演といった形で関わった。「Taare Zameen Par」は、ディスレクシア(識字障害)の小学生が芸術面での才能を開花させていく話、「3 Idiots」は詰込み式の大学工学教育に対して、実技の必要性を強調した作品だ。ボリウッド映画で何がお薦めかと聞かれれば、これらの一連のアーミル出演作を挙げる。多少はコメディタッチでお決まりのダンスがあったりもするが、作品を通じて聴衆に何を伝えたいのかは、ヒンディー語がわからなくても十分に理解できると思う。
1988年に「Qayamat Se Qayamat Tak」で初めて主役を演じたアーミルは、1990年代を通じて、いわゆるボリウッドの定番であるラブストーリー作品で実績をあげ、押しも押されぬスター俳優の仲間入りをした。僕が初めてボリウッド映画に接した1990年代半ば以降の出演作品としては、「Rangeela」(1995)、「Raja Hindustani」(1996)、「Ishq」(1997)、「Mann」(1999)などがあって、ウルミラ、カリーシュマ・カプール、ジュヒ・チャウラ、マニーシャ等と踊っていた。僕が駐在地だったカトマンズで、現地人スタッフを集めて謝恩夕食会を開いた際に、瞬間芸でボリウッド映画のダンスのまねをやって大いに受けた(?)が、その元ネタは「Ghulam」(1998)劇中のアーミルのダンスだった。
そんなアーミルが社会性のあるメッセージを発信し始めたのは、2001年公開の「Lagaan」からだと記事では書かれている。大英帝国支配下にあった植民地インドで、干ばつに苦しむラジャスタンの村人が、駐屯英国人を相手にクリケットの試合を挑み、租税の軽減を勝ち取るというストーリーで、アカデミー賞外国映画部門でノミネートされた。(僕は個人的には1999年の「Mann」じゃないかと思っている。不慮の事故で両足切断を余儀なくされたフィアンセが、障害を負ったがゆえに彼から距離を置こうとするところを、それでも愛を貫いて最後は結婚するという話だった。)「Lagaan」を見てなかったら、僕は今でもクリケットのルール、面白さが理解できずにいただろう。
その後、2006年の「Rang De Basanti」、2007年の「Taare Zameen Par」、2008年の「Ghajini」、2009年の「3 Idiots」といった作品に、アーミルは制作、監督、出演といった形で関わった。「Taare Zameen Par」は、ディスレクシア(識字障害)の小学生が芸術面での才能を開花させていく話、「3 Idiots」は詰込み式の大学工学教育に対して、実技の必要性を強調した作品だ。ボリウッド映画で何がお薦めかと聞かれれば、これらの一連のアーミル出演作を挙げる。多少はコメディタッチでお決まりのダンスがあったりもするが、作品を通じて聴衆に何を伝えたいのかは、ヒンディー語がわからなくても十分に理解できると思う。
タグ:ボリウッド
『21世紀のインド』 [インド]
Twenty-first Century India: Population, Economy, Human Development, And the Environment
- 編者: Tim Dyson, Robert Cassen, and Leela Visaria
- 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr (Txt)
- 発売日: 2005/07/07
- メディア: ペーパーバック
内容説明紹介文を英語のままにしておくご無礼を先ずお許し下さい。
Twenty-First Century India is the first study of India's development giving a fully integrated account of population and development. It is built on new projections of the population for fifty years from the Census of 2001. India's population then had already passed 1 billion. Twenty-five years later it will exceed 1.4 billion, and will almost certainly pass 1.5 billion by mid-century. The projections incorporate for the first time both inter-state migration and the role of HIV/AIDS. They also show India's urban future, with close to half a billion urban inhabitants by the year 2026. The implications of this population growth are then traced out in a range of modelling and analytical work. Growing numbers are found to complicate the task of achieving widespread education in a number of India's states, while other states are already experiencing declines in their school-age population. Demographic growth also contributes to poverty, and increasing divergence in social conditions among the states. As population growth slows in the country overall, the labour force continues to grow relatively fast, with difficult consequences for employment. But national economic growth could be accelerated by the 'demographic bonus' of the declining proportion of dependents to workers in the population. The book is reasonably optimistic about India's food prospects: the country can continue to feed itself. It can also enjoy higher levels of energy use, manufacturing, and modern forms of transport, while experiencing less chemical pollution. India's cities can become cleaner and healthier places to live. Perhaps the most difficult environmental issue, and the one most strongly related to population growth, is water. Some states also face severe pressures on common property resources. A policy chapter concludes the book. India's future problems are large, but in principle manageable. However, whether the country will actually achieve sustainable development for all is another matter.
さて、お気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、この記事のURL、日付が2009年12月10日になっている。初めて記事を書こうとしたのがこの頃で、下書きの準備を始めていたのだが、先月になってようやく読み直そうという気持ちになり、主要な章には目を通した。記事に肉付けができるようになったのは実に最近のことで、ようやくアップできるところまでこぎ着けた。1つの記事を書こうと準備し始めて、実際アップするのにこれほど時間がかかった記事はない(苦笑)。
本書の問題意識は、近年のインドの経験に鑑みると、人口増加はインドの今後の発展にどのように影響を及ぼすか、そして、インドは、この人口転換の最終局面をどのように管理することができるかについて、分析・検討してみようというところにある。そこで研究グループが設定した3つの疑問とは、以下の通りだ。
①出生、死亡、都市化などの面でインドの人口には何が起きているか?将来的趨勢について何が言えるか?
②人口増加は経済成長にどのような影響を及ぼすか?貧困や人間開発について何か意味を持っているのか?
③人口増加は環境にどのような影響を及ぼすか?
インド人には司会をさせるな [インド]
8月3日(金)に世界銀行の東京開発ラーニングセンター(TDLC)という施設で、インドと結んで行なわれた「日本及びインドにおけるCSRの経験共有-日印間テレビ会議セミナー」というテレビ会議を傍聴した話は、8月6日(月)付の週報でもご紹介した通りである。
企業の社会的責任(CSR)活動は、特に発展途上国における開発課題の解決において重要な役割を果たしています。その中でも、インドでは2009-2010年の間におよそ75億米ドルが民間企業によるCSR活動のために支出され、公営企業でも年間およそ7億米ドルが支出されています。
世界銀行では、現在、インド政府の企業省に対し、企業省傘下のIICA(Indian Institute for Corporate Affairs)を通じてアドボカシー、リサーチ、キャパシティビルディングによる技術支援を行い、インド企業におけるCSR構築を支援しています。また、IICAとの協業により、CSRを活用したミレニアム開発目標達成に向け、インドのCSRのモデル組織となるCSR国立財団の設立を支援しています。これらの活動の一環として、世界銀行は企業省に対し、CSRの制度的枠組み、ガイドライン作成、効果的なモニタリング方法等について世界のベストプラクティスを紹介しています。2011年12月に実施した第1回目のCSRに関する知識共有のビデオ会議では、インドのCSR関係者より、現地のコミュニティ、市民社会団体、現地政府との関わり方、CSRの促進、政策構築、関係者との調整方法やキャパシティビルディングに関して、世界の経験、知識を学びたいという要望が多く聞かれました。(中略)
これを受け、世界のベストプラクティスの第一弾とし、IICA、国際協力機構(JICA)、世界銀行は、インドと日本をテレビ会議システムで接続し、インドと日本におけるCSRの実践と知識の共有を目的としたセミナーを共催します。セミナーの主な目的は以下のとおりです。
◆インドと日本におけるCSRの発展と課題(特にCSRのアクター、CSR強化のための戦略・施策、NGOとの連携、その他ステークホルダー等)の共有
◆インドと日本におけるCSR活動に関する課題・経験の共有
◆インドと日本におけるBOPビジネス市場の現況の共有
◆企業やNGO等CSRにおけるプレーヤーについての情報共有
《出所》世銀TDLC案内チラシから
最初に断っておくが、テレビ会議というのは衛星回線の使用料がかかるので、安易に時間延長ができない。2時間30分というテレビ会議の時間設定はかなり長めなので、よもや延長はないだろうとたかをくくって僕は傍聴した。
冒頭の世銀インド事務所のマネージャーの挨拶、長めだった。自信のなさが顔に出ていて、ぼつりぼつりと喋る人だった。次のJICAの室長さんの挨拶も少し長めだった。しかし、これに輪をかけたのが、この日の司会進行を務めた世銀インド事務所のタスクチームリーダーのS女史だった。持ち時間4分のところ、セミナーの目的の説明にそれ以上の時間を費やした。この3人の話が済んだ時点で、既に15分のビハインド。さらに基調講演は当初1人だったのに突然2人が話すことになり、これも持ち時間10分で効かなかった。
どんどん時間が押していく。次のスピーカーはCSRアジア東京事務所のA代表。これはスライドの枚数が少なめだったので、持ち時間10分でまとめて下さるだろうと期待していたら、朴訥としたしゃべり方をされる方で、どんどん時間が押し、とうとうS女史に「そろそろまとめを」と促されていた。A代表のお話は、CSRへの取組みはインド企業の方が進んでおり、日本企業は学ぶべきところが多いとの内容だった。でも、あまりにもインド企業のポイントが高いので、このCSRアジアという香港のシンクタンクが開発したという指数に少しばかり疑問を抱いた。企業の従業員雇用にカースト差別を設けていないかという評価基準が、この指数にはどの程度反映されているのだろうか。
『インド駐在生活!』 [インド]
内容(「MARC」データベースより)この1ヵ月、今年高校受験を迎える長男の学習スペースを作るために、我が家ではプチ断捨離が行なわれた。その過程で、不要と判断された我が家の蔵書も、かなりの冊数がブックオフ行き、ないしはリサイクルごみ扱いされることになった。
辞令1本で任地に赴かされる海外駐在員。その生活を支える妻の涙ぐましい奮闘努力。インドに最も適応しにくいタイプの人間が、どんな風にこの国と相対し、何を見て、何を感じて暮らしていたのか。インド生活ホンネ体験記。
そんな中にこの本が含まれていた。2007年に僕らがインドに赴任する際、藁をもすがる気持ちで妻が購入して読んだ1冊だった。ずっと妻の書棚に眠っていたが、リサイクル行きの本の山の中に埋もれているのを僕が見つけ、読んでない本を捨てるのはもったいないと、取りあえず僕も一度読んでみようと手にとった。
著者は大手商社マンの奥様で、1990年代後半、インド・ムンバイに3年数ヵ月住んでおられた方らしい。この方が住んでおられた1990年代後半のムンバイと、その約10年後に僕らが暮らしていたデリーを比較するのは難しい。ましてや、会社から車や運転手があてがわれて、リフレッシュ休暇も頻繁に取り、インドから「国外脱出」して欧州、タイ、シンガポール等に何度も旅行に行ける商社マンの世帯と、車も運転手も自分達で調達し、公費による支援もなく国外旅行のほぼ全額が自腹だった僕らの世帯とは、そもそもの生活スタイルが違う。うちは子供達にもローカルのお菓子を食べさせていたが、子供達が父親が商社マンである友達の家に遊びに行って、出されるお菓子が日本製ばかりだったので、本人達はそれを喜んで遊びに行っていたらしいが、逆に我が家に遊びに来ないかと誘っても、「〇〇ちゃんちはインドのお菓子しかないから」と言われてなかなか来てもらえなかった。僕は妻から「なんでうちの会社はこうなの?(こんなにショボイの?)」とよく言われていた。商社マン家庭と付き合うのは、マダムのレベルでも、子供達のレベルでも、劣等感を味わされた。
『4億の少数派』 [インド]
出版社 / 著者からの内容紹介
9億人近いヒンドゥー教徒の前では少数派となる、4億人の南アジアに住むムスリム。「4億の少数派」の歩みを、おもだった歴史的展開とともに紹介。
2012年は、南アジアにイスラムが到来して1300年目を迎える節目の年なのだそうだ。712年、ウマイヤ朝のムハンマド・ビン・カースィムの率いるアラブ人軍隊が、海路アラビア海を渡ってインダス川中流域まで進み、インダス川西部に居住し始めた。これがイスラムの南アジア世界への最初の伝播らしい。
勿論それが本書を読む動機だといいたいわけではない。最近、イスラム教に関する本は結構沢山読んでいると自分ながら思っているが、その割には南アジアのムスリムについて書かれた本はこのところご無沙汰しているなと気付いた。以前読んだのはインドのムスリムとヒンドゥー教徒との対立の歴史が中心テーマになっていたので、インドだけではなくパキスタンやバングラデシュを含めて、南アジアという地域全体でイスラムを捉えるというものは、おそらく初めて読んだことになる。お陰でとても新鮮だった。
ただ、さすがは版元が歴史教科書で有名な山川出版社である。当然記述は教科書的トーンで、教科書を読むような味気なさもあったのは事実だが、所々は著者の専門領域であるからか、かなり突っ込んだ記述もあった。例えば中盤の汎イスラーム主義に関する記述である。
汎イスラーム主義運動は、20世紀初めには南アジアのムスリムが1つのコミュニティ意識を持つようになるまでに拡大したが、運動家の多くが、英国との関係性において「インド・ムスリム」意識を持たせることに主眼を置いていた。これに対してムハンマド・イクバールは、英国への対抗意識よりも、汎イスラーム主義の流れの中で、ヒンドゥーとの関係性におけるムスリムの連帯を強く強調したという。イクバールは、民主主義における多数決の論理を批判している。南アジアで多数の論理が重視されると、多数派ヒンドゥーの前に、ムスリムが危機的状況に置かれる可能性を危惧したのだろうと著者は言う。イクバールは1908年にこう言っている。
『日本とインド 交流の歴史』 [インド]
内容(「BOOK」データベースより)市立図書館で偶然見つけて、借りて読んでみることにした。正直言って、この本は企業か何かの駐在員としてインドに赴任する予定の人が赴任前に読んでおくといい本であって、僕みたいに帰国して、インドとほとんど関連性のない仕事に従事していると、読んでいて虚しくなる。今からでも遅くないので、今インドと何らかの繋がりがある日本在住の方は、一度読んでみられることをお薦めする。1993年発刊で、既に19年も経っているが、歴史を扱っている書籍は発刊年から時間が経過していても鮮度はなかなか落ちない。今読んでも十分参考になる。
古代から現代にいたる日本とインドの交流の歴史を、政治・経済・文化の各領域から概観する。