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『4億の少数派』 [インド]

4億の少数派―南アジアのイスラーム (イスラームを知る)

4億の少数派―南アジアのイスラーム (イスラームを知る)

  • 作者: 山根 聡
  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2011/07
  • メディア: 単行本
出版社 / 著者からの内容紹介
9億人近いヒンドゥー教徒の前では少数派となる、4億人の南アジアに住むムスリム。「4億の少数派」の歩みを、おもだった歴史的展開とともに紹介。

2012年は、南アジアにイスラムが到来して1300年目を迎える節目の年なのだそうだ。712年、ウマイヤ朝のムハンマド・ビン・カースィムの率いるアラブ人軍隊が、海路アラビア海を渡ってインダス川中流域まで進み、インダス川西部に居住し始めた。これがイスラムの南アジア世界への最初の伝播らしい。

勿論それが本書を読む動機だといいたいわけではない。最近、イスラム教に関する本は結構沢山読んでいると自分ながら思っているが、その割には南アジアのムスリムについて書かれた本はこのところご無沙汰しているなと気付いた。以前読んだのはインドのムスリムとヒンドゥー教徒との対立の歴史が中心テーマになっていたので、インドだけではなくパキスタンやバングラデシュを含めて、南アジアという地域全体でイスラムを捉えるというものは、おそらく初めて読んだことになる。お陰でとても新鮮だった。

ただ、さすがは版元が歴史教科書で有名な山川出版社である。当然記述は教科書的トーンで、教科書を読むような味気なさもあったのは事実だが、所々は著者の専門領域であるからか、かなり突っ込んだ記述もあった。例えば中盤の汎イスラーム主義に関する記述である。

汎イスラーム主義運動は、20世紀初めには南アジアのムスリムが1つのコミュニティ意識を持つようになるまでに拡大したが、運動家の多くが、英国との関係性において「インド・ムスリム」意識を持たせることに主眼を置いていた。これに対してムハンマド・イクバールは、英国への対抗意識よりも、汎イスラーム主義の流れの中で、ヒンドゥーとの関係性におけるムスリムの連帯を強く強調したという。イクバールは、民主主義における多数決の論理を批判している。南アジアで多数の論理が重視されると、多数派ヒンドゥーの前に、ムスリムが危機的状況に置かれる可能性を危惧したのだろうと著者は言う。イクバールは1908年にこう言っている。

インドに単一の民族を生みだそうとする考えは極めて美しく、また詩情にあふれているが、現在の情勢をして諸集団の無知な行動ぶりからみて、非現実的である」と述べ、領土的ナショナリズムでの団結の困難さを認め、宗教的ナショナリズムへの傾倒を示した。北西インドのムスリム国家―――即ちパキスタン構想の始まりである。

 イクバールはウンマについてヨーロッパ的な領土的枠組みにとらわれない存在であることを強調した。その詩「領土的ナショナリズム―すなわち政治的概念としての領土」においても「領土の束縛は破滅を招く」と記し、ムスリムの理想を束縛なく飛びかう孤高の鷹に喩えた。またシャリーア(イスラーム法)に従い、自律した「完全な人間」像を描くうえで力強さを強調したが、そこにはニーチェの影響があるといわれている。

  イスラーム国家について西洋人に諮るなかれ
  預言者の民の構造は特別なものなれば
  国家も民族もウンマの名のもとにできるもの
  汝のウンマは信仰の力でのみつくられるもの
(p.68)

また、南アジアのムスリムと日本との関係について書かれた囲みコラムも興味深かった。それは江戸時代に遡ることができ、長崎・出島に出入りしていたオランダ商船には、南アジア系の商人も乗り込んでいて、当時南アジアのムスリムの共通言語だったと思われるペルシャ語が話されていたようだと著者は紹介している。

その後、1908年に設立された東京外国語学校には設立当初からヒンドゥスタニ語(ウルドゥー語)科が設置され、そこで教鞭をとった講師は、犬養毅や頭山満らと親交を結び、日本の政治家のインドへの関心を高めようと腐心したという。上で紹介した詩人イクバールも、日本行きの話があったというが、自分はインドでやるべきことをやりたいとして、それを断った経緯があるらしい。

19世紀後半、インド・ムスリム近代化の指導者だったサイイド・アフマド・ハーンの孫にあたるラース・マスウードも、祖父同様にムスリムの近代化に貢献したが、教育の近代化のモデルとして日本を選び、20世紀初めに来日している。マスウードは日本の教育制度に関して克明な記録『日本旅行記』を残し、日本の教育システムを模範として、1919年にハイデラバードに大学を設立した。本書においては表記は「ウスマーニーア大学」となっているが、インド駐在当時の僕らの間で使用されていた表記によれば、それはオスマニア大学――医学教育などに強く、テランガナ州独立運動の拠点ともなった大学である。

西ベンガル州シャンティニケタンのビシュババラティ大学同様、もし僕らがインド駐在時にこうしたオスマニア大学にまつわる日本語の繋がりの経緯を知っていたら、この大学に対する見方、アプローチの仕方も変わっていたのではないかと思われる。(今まだインドで駐在されている我が社の関係者の方々には頑張っていただきたいものだ。)

本書には、ウサマ・ビン・ラーディンとパキスタンに関する記述もないこともない。パキスタン国内では、パキスタン政府を対米追従と批判する急進派によるテロや、レッド・モスク事件、ブット元首相暗殺事件等が発生して、治安を脅かしており、昨年ビン・ラーディンがパキスタン国内潜伏中のところを米軍によって殺害された後も、治安情勢は不安定なままだという記述となっている。

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