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映画館で会いましょう [インド]


現在渋谷オーディトリウムで上映中のインド・ドキュメンタリー映画『ビラルの世界』で、ご縁あって上映後のゲストトークに呼んでいただくことになった。先週から話が進んでいたが(週報を書かなかったので紹介していなかった)、10月8日(月)の体育の日に一度映画館に出かけ、ゲストトークがどのように行なわれるのか、実際に見学をさせていただいた。

『ビラルの世界』は、コルカタの低所得層が密集して住むスラム街で盲目の両親と住む3歳の男の子ビラル君の日常を描いたドキュメンタリーである。既に映画館に足を運ばれた方はお感じになられたと思うが、この映画はスラム街の貧困の実態をありのままに描いている割には悲壮感もなく、日常が淡々と描かれていて、むしろビラル君を含めてそこに住む人々の力強さを感じさせるとてもいい作品だ。ゲストトークに向けた作品のリサーチは直前に再度行なうつもりでいるが、暗さなど微塵も感じさせず、むしろビラル君を取り巻く人々の温かさ、やさしさ、たくましさを感じずにはいられない秀作だと思う。未だご覧になっていない方は、だまされたと思って是非一度映画館に足を運んでみて下さい。

冒頭申し上げた通り、僕は近々ゲストとして映画館で登壇する予定である。このブログでは実名を明かさないのが僕のルールであるだけに、いつというところは申し上げられない。どこかの首相の言い回しだが、「近い将来」としか申し上げようがないが、映画館でお目にかかれることを楽しみにしています。(僕の素性をご存じの方は、個別で僕にお問い合わせ下さい。)

青臭さの残るそもそも論を言えば、「貧困」なんてものは、豊かな生活を送っている外部者である僕達が、コルカタのスラムに住んでいる彼らを見て勝手に抱いている概念に過ぎない。そうした背景を持つ外部者がそんな概念を持ち込まなければ、そこで日常を過ごす彼ら住民は、自分たちが貧しいなんてあまり思っていない。日常を一生懸命に生き、子をもうけ、そして育てる。仕事がなければ家族を食わせていけないが、親の寡婦年金も含めてなんとか家計のやりくりをしていて、だけどもずっとこのままではいけないと、仕事探しを続け、そして新たな自営のビジネスを始める。

家は四畳半ほどの狭いスペースで、そこにベッドを持ち込み、そのベッド下と床を使って、物置や食事のスペースを確保する。これだけの狭いスペースにでんと置かれたベッドで、夫婦と子供2人が寝起きする。ベッドの上は、子供たちの食事のスペースであり、着替えのスペースであり、そして勉強のスペースでもある。家の中に調理のための設備など置くことはできないし、スラム街では各戸別に調理器具を置くのは非効率的なので、周辺に住む家族や親戚で合同で食事を準備する。その方が食材調達も安上がりで、分業もうまくいく。そんなご近所間での相互扶助、セーフティネットが機能してるのがビラル君を取り巻く世界だ。

映画のURLはこちら⇒http://www.ddcenter.org/bilal/

絶対貧困―世界リアル貧困学講義 (新潮文庫)

絶対貧困―世界リアル貧困学講義 (新潮文庫)

  • 作者: 石井 光太
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/06/26
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
絶対貧困―世界人口約67億人のうち、1日をわずか1ドル以下で暮らす人々が12億人もいるという。だが、「貧しさ」はあまりにも画一的に語られてはいないか。スラムにも、悲惨な生活がある一方で、逞しく稼ぎ、恋愛をし、子供を産み育てる営みがある。アジア、中東からアフリカまで、彼らは如何なる社会に生きて、衣・食・住を得ているのか。貧困への眼差しを一転させる渾身の全14講。
さて、ゲストとして登壇して、自分がインドのスラムで見聞したことも踏まえて、映画の感想と解説を述べよとの主催者側からの要望に対して、僕も手ぶらで会場に行くわけにもいかないと思い、昔読んだ文献を読み直し、復習をしてみることにした。最初に呼んだのが石井光太さんの『絶対貧困』。これ自体がスラム居住者や路上生活者の実態を描いていて、とても勉強になる作品だ。

既にこのブログで二度にわたって紹介しているので、今さら書くことも少ないが、この手の本はその時その時の自分の問題意識に応じて新たな発見があり、今回も通読して今までとは違った面白さがあった。例えば、

1)スラムに暮らすのは、その国や地域で差別を受けている人たちが多い。「差別→生活が困難→都市で出る→職に就けない→スラムに暮らす」というケースが少なくない。差別という観点からは、①同じ身分や職業の者が集まっているスラム、②宗教や民族や出身地別に成り立つスラム、に分類される。(p.24)

2)スラムが街化していくプロセスは、先ずバラックの集まりに過ぎないスラムで住民の中に隣人を相手に商売を始める人(生活必需品である食べ物を売る八百屋や肉屋、雑貨屋など)が出てきて、次に酒屋や賭博場ができる。そして、次にスラムの中でちょっと成功した人が、新しく住みついた貧困者を使って、人力車の貸し業や売春窟が作られるようになる。

3)スラムが巨大化して街になり、生まれてくる表のまっとうな仕事としては、①人力車、自転車タクシーの運転手、②廃品回収業、③日雇いの肉体労働者、家政婦などがある(p.58)。スラムの住人のほとんどは、廃品回収や肉体労働といったクリーンな表の仕事をしている。皆汗水流して少しずつお金を稼いで生きている(p.62)。

4)スラムの名誉のために言えば、スラムは決して恐ろしいところではない。スラムで働く人々の9割が合法的な仕事をし、正義感を持ち、立派に生きている。スポーツだって勉強だってしている。全体としては明るい地区である。一部の人だけが隠れたところで犯罪を行なっているに過ぎない。にもかかわらず、そうしたグレーゾーンやダークゾーンだけが大きく取り上げられてしまうため、犯罪地帯のようなイメージがついてまわってしまう。(pp.71-72)

5)コミュニティ内での食事の風景として、大人の男たちはそれぞれ同じ額だけ食費として出し、女たちはまとめて食材を買い、手分けして全員分の料理をいっぺんにする。こうすれば食費や薪代を節約することができる。1回の食事の用意に2時間も3時間もかかり、これを1日に3回繰り返す。後片付けや洗濯を含め、スラムの女性はこれらの作業だけで1日が終わってしまう。このため、母親は授乳期間中の赤子を除いて幼い子供の世話をすることはなく、幼児の世話は、その兄や姉の仕事である。また、地域の幼児の世話は、同じ地域の年長の子供が、たとえ血のつながりがなくても行なう。同一コミュニティ内の兄弟姉妹ということで世話をしている。(pp.117-118)

6)母親が売春婦をやって稼いだ金で子供に教育を受けさせているケースも。「わたしは、娘を絶対に売春婦にさせたくないの。だから、いま売春婦になって働いているのよ。そうすればご飯も食べさせてあげられるし、日中は学校へ通わせてあげられるでしょ。たぶん、娘が大きくなれば、売春婦であるわたしを軽蔑すると思うわ。けどそうなってくれれば、彼女は売春婦になることはなくなるはず。そうやってしっかりとした人間になってくれれば良いのよ。」その結果育った娘は高校生になり、ペラペラの英語で著者を迎えた。スラムの子供たちの多くが初等教育すら受けていないのに、売春宿の子供達だけは高校へ進み、しっかり勉強していた。そして、その中に売春婦になった子供はいなかった。(pp.292-293)

売春婦云々ではないが、劇中、ビラル君は近所の年長の男の子から英語を習っているシーンがあった。3歳の子供に英語云々はちょっと時期尚早かとも思ったし、ちゃんと受け答えしないビラル君をひっぱたく近所のアニキの姿にインドの縮図も垣間見えた気もするが、こうして大きくなっていくビラル君が15歳ぐらいになった時、彼は間違いなく我が家の3人の子供達よりも英語での受け答えができるようになっていると思われる。そう考えたら、ビラル君の日常を一方的に僕らが「かわいそう」だと考えることは難しいし、また失礼にもあたるのではないかと思う。

以上の情報や僕の思いを、ゲストトークでどのようにプレゼンするか、あと2、3日、考えてみたいと思う。

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