『サイエンスコミュニケーションのはじめかた』 [仕事の小ネタ]
科学を伝え、社会とつなぐ サイエンスコミュニケーションのはじめかた
- 出版社/メーカー: 丸善出版
- 発売日: 2017/09/29
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
内容紹介【MT市立図書館】
国立科学博物館は、2006年より、社会と科学をつなぐ人材であるサイエンスコミュニケータの養成に取り組んできました。本書は、その10年以上にわたるノウハウを集約させた、サイエンスコミュニケーションを始めたいと考えている方のためのテキストです。博物館関係者だけでなく、研究機関やメディア、企業など、さまざまな分野の第一線で活躍されている方の考え方やノウハウがコンパクトにまとまっており、関心のある方が最初に手に取る一冊として最適な内容となっています。また、すでに実践をされている方にとっても、自身と異なる視点を得ることができる内容です。
半年ほど前に「サイエンスコミュニケーション」という言葉を知り、もう少し理解を深めたいと思って市立図書館の蔵書をあさった。狙っていた近刊はなかったけれど、代わりに借りたのが独立行政法人国立科学博物館編のこの1冊だった。この国立科学博物館では、「国立科学博物館サイエンスコミュニケータ養成実践講座」という事業を行っていて、受講修了者は「サイエンスコミュニケータ」として認定されるのだそうだ。本書はその講座のエッセンスをまとめた一種のテキストということになる。
言葉自体を知ったのは冒頭述べた通り最近のことなのだが、実はこれに近いことを昨年末まで赴任していたブータンのファブラボでやりたかった。本書を読みながら、自分が目指していたのってまさにこのサイエンスコミュニケーションだと今さらながら思ったのだが、僕自身は文系出身だし、科学に関する知見がほとんどない。配属先が「科学技術」を冠に抱く工科大学だったので、地元小中高生向けにサイエンスコミュニケーションをやるなら工科大学の学生を動員すればいいと僕は考えていた。
しかし、肝腎なことを僕は忘れていた。彼らは自分が小中高生だった時代に理科実験や科学絡みの探求学習をほとんどやっていない。そんな彼らに理科実験や探求学習の組み立てなど期待しても無理だし、そもそも彼らを指導している教員をうまく巻き込まないと、イメージしたようなコミュニケーションはとてもできない。(このあたりの反省はnoteの方で書いているので、ここでは詳述しないでおきたい。)
『オッサンの壁』 [持続可能な開発]
内容紹介【MT市立図書館】
日本一の「オッサン村」ーー永田町の非常識、政治メディア の実態。全国紙初の女性政治部長が克明に記す「男社会」のリアル。なぜ、永田町と政治メディアにオッサンが多いのか?幾多の「壁」に直面してきた政治記者が男性優位主義の本丸で考えた、日本社会への処方箋。
昨年8月、斎藤幸平『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』のレビューをブログで書いた際、「本書の中で著者が引用した文献のいくつかは今一度チェックして、次に読みたい本のリストには上げておきたい」と結んだ。それに基づき、著者の引用文献をメモしておき、帰国後に市立図書館で探して借りた最初の文献が本日ご紹介する『オッサンの壁』だ。
日本のジェンダー主流化の取組みは相当遅れていると言われているが、それを毎日新聞社の政治記者として大物代議士やその秘書と接する中で体験した具体的な実態として描いている。加えて、そういう政治家を相手にネタをとって来なければならない記者の労働環境とか、有力女性代議士の主張とかから拾って来て、永田町界隈の政治家やメディア関係者を含むコミュニティ全体でのジェンダー主流化の遅れも知ることができる。
さすが普段から記事を書かれているだけに、読みやすいし、頭にも入って来やすい。SDG5(ジェンダー平等を実現しよう)のうち、特にターゲット5.5「政治、経済、公共分野でのあらゆるレベルの意思決定において、完全かつ効果的な女性の参加および平等なリーダーシップの機会を確保する」への日本の取組み状況のどこが良くないのか、具体的に突き付けている内容だと思う。永田町界隈の実態がこんな感じだと、女性の政治参加の実現とか女性のリーダーの台頭とか、そんなに簡単には望めないだろう。
『変な家2』 [読書日記]
内容紹介【人からもらう】
あなたは、この「11の間取り」の謎が解けますか?前作に続き、フリーライターの筆者と設計士・栗原のコンビが不可解な間取りの謎に挑む。「行先のない廊下」「闇をはぐくむ家」「林の中の水車小屋」「ネズミ捕りの家」「そこにあった事故物件」「再生の館」「おじさんの家」「部屋をつなぐ糸電話」「殺人現場へ向かう足音」「逃げられないアパート」「一度だけ現れた部屋」、後編「栗原の推理」———すべての謎が一つにつながったとき、きっとあなたは戦慄する!
2023年の単行本フィクション部門で第1位と第2位を占めた雨穴という作家のミステリー小説最新作。妻が友人からもらってきた本で、妻が読み始める前に先に読んでしまった。400頁以上あるが、これもその気になれば3時間少々で読了することができる。
フリーのジャーナリストが調査して集めた情報で怪しい間取りの謎を解き明かすというものだったので、最初のうちはノンフィクションだとばかり思っていた。それが、ケースが揃っていくにつれて、なんかある落としどころに向かって無理やりピースを持ってきている感じがどうしても拭えなくなり、終盤に栗原の推理が始まる時点で、いくらなんでもその推理は断定的すぎるのではないかと思えてきた。その時点でこれはフィクションだと気付いているんだから僕も世話ない。
まあ、面白くてページをめくる手が止まらなかったのだから許すけど。
うちももう子どもたちが全員成人しているからいいけど、この著者のシリーズはベストセラーだし、中高生どころか、下手したら小学生でも手にしかねない。そう考えた時に、この真相はほんとうにこれで良かったのだろうかと首は傾げたくなる。
続編は妻が人からもらってきたが、実は第1巻は娘が友人から借りて今読んでいるところだ。そのうち読む機会もあるだろう。
『ルミネッセンス』 [読書日記]
内容紹介【コミセン図書室】
低層の団地群を抱くその町は寂れていた。商店街にはシャッターが目立ち、若者は都会に去り、昔からある池には幽霊が出るという。その土地で人びとが交わすどこか歪な睦み。母の介護にやって来た男はバーで出会った少年に惹かれ、文房具店の女は一人の客のためだけに店を開ける……。終着点は見えている。だから、輝きに焦がれた。瞬く間に燃え尽きてもいいから。直木賞作家のダークサイドで染め上げられた連作短編集。
なんだか、僕は窪美澄という作家と相性悪いんですかね…。
2014年に『雨のなまえ』の寸評をした際も、「あまり感想を書く気になれない短編集」と短いコメントを残している。それ以来、窪美澄作品を遠ざけていて一度も読んだことがなかったが、『夜に星を放つ』で2022年の直木賞を受賞しているし、2月にはうちの街で講演会も予定されていて、何の気なしに申し込んでしまったので、その前に最新作でも読んでおこうかと手に取った。
結果的には『雨のなまえ』の再来。この作家さんはわりと地元だし、世代も近いので登場人物とか舞台設定とかには惹かれるところも共感するところもある。作品数もそこそこあるのでもっと読んでみたいという気持ちはあるものの、落胆することこれで二度目だ。ここまで嫌悪感を抱く作品に当たってしまう作家というのは僕にとっては初めてで、借りた本も期限までキープせずにとっとと返却したいという思いに駆られた。
読者のそういう反応も織り込み済みで描かれているのだろうか。そうだとしたらそれもスゴイと思うけれど…。本連作短編に登場する中年男性の主人公それぞれについて、置かれている境遇とか、抱いている閉塞感とか、なんか自分自身とも通じるところがあって、僕自身の内面がえぐり出されているような感覚も覚えた。それが怖いもの見たさにつながったと言えなくもないし、読んでみて抱かされた嫌悪感にもつながったように思う。そういうところを狙っている作家さんなのだろうか。
新米読者が抵抗感なく入っていける窪作品、誰かお薦めいただけないですかね(苦笑)。講演会に来る観客が、窪作品にどのような感想を述べるのか、聴いてみるのも一興だと思う。
『老いては「好き」にしたがえ!』 [読書日記]
内容紹介【コミセン図書室】
人生を充実させるコツは、心の赴くままに行動すること――。モノマネでブレイクして以降、役者をベースに、ボクシング、絵画、ヨガの世界でも活躍する著者。還暦を機に離婚した現在は、「60代は体が元気に動く最後の時間。漫然と過ごすのはもったいない」と終活には目もくれず、自分のしたいことだけに情熱を注ぐ。常に挑戦をしてきた経験から、「何かを始めるのに年齢やセンスは関係ない」と断言。やりたいことの具体的な見つけ方から、自身も苦しんだ「男の更年期」の乗り越え方まで、老いに負けない極意がここに!
新年最初の土曜日、ようやく業務再開した近所のコミュニティセンター図書室に出かけた。今後の貸出はバーコード管理するということで、そのバーコードを貼付する作業のために、4カ月近く閉鎖されていたそうだ。なんにせよ、コミセン図書室が新刊を借りるにはいちばんいいので、ここが利用できるようになったのは大きい。さっそく、新着本の棚にあった中から4冊ピックアップして借りることにした。(新しい利用者カード発行手続の際に、司書のシニアボランティアの方が、僕が申込書に記入した個人情報を読み上げながら入力していたので、他の利用者にまる聞こえになっていたのは気分悪かったが。)
冒頭の内容紹介でも書かれている、「60代は体が元気に動く最後の時間。漫然と過ごすのはもったいない」という記述に惹かれ、はずしてもダメージの少ない新書だからというので手に取った。3時間弱で読了した。
著者の始めたことがどれも自分にはあまりフィットせず、正直言えば著者がそうしているから自分もそうせねばとはほとんど思わなかった。片岡鶴太郎の足跡と今を描いたライフヒストリーだと割り切れば、それなりに読める本だと思うが、ここまで徹底してやりたいことを突き詰めるには時間とおカネが必要だし、いい人的ネットワークも必要だと思う。(そして、そういう良質の人的ネットワークを利用して何かをやろうとすれば、それなりにおカネもまたかかる。)自分が好きなことに没頭したいからといって、還暦とともに妻と別れるなんて選択も僕にはとてもムリだし、1日一食も、朝型だか夜型だかわからない深夜の時間帯で起きて3時間のヨガから1日を始めるライフスタイルなんてのも、とてもムリだ。
「やりたいこと」の事例はともかくとして、メタで見れば著者の主張には首肯できるところはある。60代を漫然と過ごしたいとは思わないが、60代にやりたいことのリストの中身の見直しはして、「やるべきではないこと」は思い切って捨てる覚悟も必要だと改めて思った。逆に、「やるべきこと」にもっと投入できる時間を増やすべきだというのもそうだと思う。
個人のライフスタイルの紹介だと割り切って読むには軽く読める1冊。自分がどうあるべきかは自分で考えるしかない。
『きみと暮らせば』 [読書日記]
内容紹介【MT市立図書館】
だから今日も、うちに帰ろう。
猫の肉球、ポトフ、あいまい弁当。幸せのにおいがつまった、兄妹物語。
十年前、陽一の母とユカリの父が結婚し、二人は兄妹になったが、五年前に両親は他界。中三のユカリは義母のレシピ帳を参考に料理し、陽一は仕事で生活費を稼ぎ、支えあいながらの二人暮らし。ある日、庭先に猫が現れる。二人は猫を飼い主らしき人へ届けに行くのだが――。のんびり屋の兄と、しっかり者の妹が織りなす、陽の光差すような、猫もまどろむほのぼのあったかストーリー。
八木沢里志の連ちゃんです。多作な作家ではないため、本作品を読み切ることで、全作品を制覇してしまったことになる。また、1編100頁近くある長めの「中編」作品を読んできた後で、1編300頁ある長編作品を読み切るのはかなりハードな作業で、続けざまに作品を読み進めるとちょっと疲れも感じざるを得なかった。(著者には大変申し訳ない気持ちです。)
ただ、この登場人物の背景設定で、しかもこのタイトルなら、オチはある程度予想がついてしまうものだが、その予想を見事に外してくれたので、その点については著者に感謝したい。
ひょっとしたら「きみ」の対象はこの迷い猫だったのかもしれない。確かに、場面場面ではこの猫「種田さん」は登場してくるが、そのわりには作品を通じて種田さんがものすごく重要な役割を果たすわけでもなかったように思えた。
書き進めるうちにどんどんネタばらしになってきそうだし、オジサンの読書対象としてはちょっと違う気もするので、今日はこれくらいにしておく。ここ2、3週間、読書に関するリハビリのつもりで読みやすい小説を選んで読むようにしてきた。おかげでかなり読書スピードは上がって来たと思うので、ここらへんからもう少し他ジャンルの読み物にも手を出していきたいと考えている。
そういう意味では、ありがとう八木沢里志。
『しあわせの香り~純喫茶トルンカ』 [読書日記]
しあわせの香り 〈新装版〉 純喫茶トルンカ<新装版> (徳間文庫)
- 作者: 八木沢里志
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2023/01/12
- メディア: Kindle版
内容紹介【MT市立図書館】
あなたにとって、しあわせの香りとはなんですか——。コーヒー香る『純喫茶トルンカ』で繰り広げられる三つのあたたかな再会。二十年間店に通う高齢女性・千代子によみがえる切ない初恋の思い出、看板娘の幼馴染の少年・浩太が胸の奥深くに隠す複雑な本心、人生の岐路に立つイラストレーターの卵・絢子の旅立ち。ままならない今を生きる人たちをやさしく包み込む。大人気シリーズの第二弾!
年明けの最初の読書は八木沢里志の「純喫茶トルンカ」シリーズの続編。連作中編が3編収録されていて、それぞれの主人公は異なるが、ほぼ同時並行で起こっていた出来事をそれぞれの目線から取り上げているのがちょっと面白い。
元々、トルンカに出入りしている店員や常連さんの目線で描かれている作品群で、登場人物がものすごく限られているため、このシリーズの本編と続編で収録された中編計6編で、ほぼ全員を主人公にして描いてしまった気がする。残っているのは、このトルンカのオーナーである立花とその妻、また常連さんの中では「滝田のじいちゃん」ぐらいしかいない。こうなると、よほどのことがない限り、「純喫茶トルンカ」のシリーズは今後それほど続かないのだろう。(というか、この作家は2015年以降新作を発表していないので、そもそもシリーズもクソもないのだけれど…)
作品を読みながら、美味しいコーヒーが飲みたくなった。前回『純喫茶トルンカ』を読んだ時にも同じようなことを感じた。僕がここ数年でもう一度飲みたいと思った美味しいコーヒーは三鷹駅南側徒歩圏内にあった隠れ家的喫茶店の一杯で、今のところ、これと同等の味のコーヒーにはなかなか出会ったことがない。2010年頃までは仕事帰りによく立ち寄って、ちょっとだけ読書を進めてから家路についたのだが、今はそのエリアは駅前再開発の対象となり、今は大きなビルに建て替わってしまった。「隠れ家」を1つ無くしてしまった、そんな喪失感に駆られたものだ。
こういう、美味しいコーヒーと人とのつながりが両方期待できるお店はほんとうに少なくなってきた。レア感があるだけに、作品の良さもしみじみ感じた。
2023年のGOOD-BAD-UGLY [ご挨拶]
12月17日に帰国して、翌日から普通に出勤して新しい仕事を始めています。とはいっても「早期退職」という人生で最も重大な出来事を前にした一時的な腰かけに過ぎない職場です。勤務開始してから2週間、システムの不具合もあって在宅勤務や有給休暇の申請ができないため、ほぼ毎日出勤して周囲を観察していましたが、なんだか仕事が個人レベルでサイロ化していて、誰が何をやっているのか見えにくくなっているように感じました。
「オープン」が1つのキーワードだったこれまでの仕事と比べて、ものすごく大きなギャップです。それでも、席をいただけただけでもありがたいと思わないといけないですが。
以上申し上げた上で、2023年の回顧録をまとめてお送りしたいところだったのですが、ブータンでの仕事が大半を占め、職住近接の極めて狭い行動半径の中で公私もクソもない状態で12月まで過ごしたので、その活動の大半はnoteで書いた55本の記事と、J●CAの公式HP(日本語)で昨年1年間で掲載した22本の記事、それに私が配属されていたプンツォリンのFabLab CSTのFacebookページで掲載した数多くの英文ポストでほぼ語りつくしていて、かつJ●CA専門家としての業務完了報告書とプロジェクトの業務完了報告書まで提出して、それぞれ派遣期間2年7カ月とプロジェクト協力期間3年間の総括もそこでしてしまいました。この2つのレポートもいずれ公開されると聞いているので、あえてSSブログで駄文を新たに掲載するのもどうかと思います。
ただ、1つ言わせてもらうとすれば、体力的にも精神的にも疲弊しまくった1年間でした。なんとか無事で乗り切れたのでホッとしましたが、もう一度やれと言われも絶対やりたいとは思いません。帰国してからもいきなり仕事だったし、その勢いで正月休みを過ごしたら、とうとうぎっくり腰をやってしまいました。
「オープン」が1つのキーワードだったこれまでの仕事と比べて、ものすごく大きなギャップです。それでも、席をいただけただけでもありがたいと思わないといけないですが。
以上申し上げた上で、2023年の回顧録をまとめてお送りしたいところだったのですが、ブータンでの仕事が大半を占め、職住近接の極めて狭い行動半径の中で公私もクソもない状態で12月まで過ごしたので、その活動の大半はnoteで書いた55本の記事と、J●CAの公式HP(日本語)で昨年1年間で掲載した22本の記事、それに私が配属されていたプンツォリンのFabLab CSTのFacebookページで掲載した数多くの英文ポストでほぼ語りつくしていて、かつJ●CA専門家としての業務完了報告書とプロジェクトの業務完了報告書まで提出して、それぞれ派遣期間2年7カ月とプロジェクト協力期間3年間の総括もそこでしてしまいました。この2つのレポートもいずれ公開されると聞いているので、あえてSSブログで駄文を新たに掲載するのもどうかと思います。
ただ、1つ言わせてもらうとすれば、体力的にも精神的にも疲弊しまくった1年間でした。なんとか無事で乗り切れたのでホッとしましたが、もう一度やれと言われも絶対やりたいとは思いません。帰国してからもいきなり仕事だったし、その勢いで正月休みを過ごしたら、とうとうぎっくり腰をやってしまいました。