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『星のかけら』 [重松清]

星のかけら (新潮文庫)

星のかけら (新潮文庫)

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2013/06/26
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
それを持っていれば、どんなにキツいことがあっても耐えられるというお守り「星のかけら」。ウワサでは誰かが亡くなった交通事故現場に落ちているらしい。いじめにあっている小学六年生のユウキは、星のかけらを探しにいった夜、不思議な女の子、フミちゃんに出会う―。生きるって、死ぬって、一体どういうこと?命の意味に触れ、少しずつおとなに近づいていく少年たちの物語。
一時は作品充填中だったシゲマツさん、去年ぐらいから新刊本が増えた気がする。各所で行なっていた連載が終了し、1つの作品としてまとめて発表されたりするケースが結構多い。中には、単行本化せずにいきなり文庫本として発売されたものもある。

『星のかけら』は、小学館の子供向け月刊誌『小学六年生』に1年間連載されたのを集めた長編である。6章構成になっているので、半年間の連載だったか、あるいは2カ月分を1章として、1年間連載されたのかもしれない。内容的にも想定読者は小学校高学年であることは間違いないので、単行本化するよりは最初から文庫化してしまう方が、コスパはいいかもしれない。いずれにせよいきなり文庫化された作品だ。

一度店頭で立ち読みしたが、明らかに子供向けの作品だったので、購入する気になれずにいた。今回、意外と早く図書館の予約の順番が回ってきたので、軽く読んでみた。200頁ぐらいのボリュームだが、その気になれば2時間弱で読み切ることは可能だろう。

さっさと読んでしまった上で感想を述べるなら、我が家の3人の子供たちのうち、かろうじてまだ小学生(四年生)である次男ぐらいにはいずれ読んでほしいと思う。既に彼は重松作品『くちぶえ番長』を読んでいる。これも『小学四年生』(五年生かも)で連載された後で文庫化された作品で、ちょうどいい学年で年相応の作品としてこれを読むことができた。この夏休みの宿題として最低1000頁以上本を読むという課題を課せられていた次男は、昨日ようやくこれをクリアしたが、他に終わっていない宿題もあるため、『星のかけら』をすぐに読んでみたらとは勧められない。まあ、彼が五年か六年になるまで待ってもいいかもしれない。

「生きてるひとは、みんな、自分の力で歩いていかないと、だめなの」というフミちゃんの言葉が、いちばん大きなメッセージだろう。シゲマツさんが小学生向け月刊誌に書く作品は、今のご時世を反映して、いじめられている子供といじめている子供に対するシゲマツさんの強い思いが込められていると思う。

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『また次の春へ』 [重松清]

また次の春へ

また次の春へ

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2013/03/09
  • メディア: 単行本
内容紹介
終わりから、始まる。厄災で断ち切られたもの、それでもまた巡り来るもの。
喪失の悲しみと、再生への祈りを描く、7つの小さな物語。
小学3年生、母を亡くした夜に父がつくってくれた“わが家"のトン汁を、避難所の炊き出しでつくった僕。
東京でもどかしい思いを抱え、二カ月後に縁のあった被災地を訪れた主婦マチ子さん。
あの日に同級生を喪った高校1年生の早苗さん。
ふるさとを穢され、避難指示の中で開かれたお盆の夏祭りで逡巡するノブさん。
かつての教え子が亡くなったことを知り、仮設住宅に遺族を訪ねていく先生。
行方不明の両親の死亡届を出せないまま、自分の運命を引き受けていこうとする洋行――。
未曽有の被害をもたらし、日本中が揺れた東日本大震災――。
それぞれの位置から、それぞれの距離から、再生への光と家族を描いた珠玉の短篇集。
市立図書館で長いことウェイティングになっていた本が、このところ立て続けに自分の順番が回って来るようになった。僕の後にも多くの人がウェイティングになっていると思うと、ユーザーの権利としての2週間をまるまる手元に置いて有効に使うよりも、一刻も早く読んで返却し、次の人に回した方がいい。善良な小市民の僕はそう考える。

シゲマツさんの新機軸かな、という気がした短編集である。元々シゲマツさんは身近な人の死がもたらす自分や周囲の人々への影響、心の変化を描くケースが多い作家だった。父親か母親が心筋梗塞や脳溢血、事故などで突然帰らぬ人になったとか、クラスメートの自殺とか、その人の記憶がその時点でストップしてしまうのに対し、残された人々の時間はどんどん経過していく、そのギャップを描くことが多かった。もう1つは癌による親友や家族の死で、宣告を受けてから「その日」を迎えるまでに少しばかりの時間が残される場合、当事者は何を考え、残される人々に何を残そうとするのかを描いた作品が多い。

いずれも「死」を扱った作品で、自分がその当事者だったとしたら、やっぱりそう考えるだろう、そう行動するだろうという共感を抱くことがかなり多い。僕自身は作品を読んでそれほど泣いた経験はないが、一般には重松清は「泣かせる作家」という評価を受けている。

そんなシゲマツさんが、被災地の人々や、被災地を離れて東京に住んでいた人々を描いたらどんな作品を書けるだろうか。そんなことを以前から思っていた。

これまでの重松作品では、死が本人と周囲の人々の時間をストップさせるという描き方が多かったが、今回ご紹介する短編集では、災害は、犠牲になった方々だけでなく、残された人々の大切な過去すらも失わせる。起きたことは仕方がない、未来を見据えて頑張っていきましょうと言われても、今までそこで暮らしてきたという記録を全て押し流されたり、そこに戻ることが許されなかったりするのは簡単には受け入れがたい。また、同じ被災地といっても、高台の新興住宅地と沿岸の古い市街地とでは住民の被災の程度も違うし、中学高校を卒業してずっとそこに残って働いている人と、上京して大学に通い、そこで家族までもうけた人とでは、現実の捉え方が違う。個々の当事者とその家族にとって状況が異なるため、それをきめ細かく拾い上げてその心情を言葉に残しておく取組みは、もっともっと必要だと思う。

この作品集を読みながら、シゲマツさんには、震災や原発事故に直接的間接的に影響を受けた人々の心情を言葉に起こした作品、今後も書いていって欲しいと強く思った。

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『きみの町で』 [重松清]

きみの町で

きみの町で

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 朝日出版社
  • 発売日: 2013/05/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
内容紹介
あの町と、この町、あの時と、いまは、つながっている。初めて人生の「なぜ?」と出会ったとき――きみなら、どうする?一緒に立ち止まって考え、並んで歩いてゆく、8つの小さな物語。失ったもの、忘れないこと、生きること。この世界を、ずんずん歩いてゆくために。累計20万部、生きることをまっすぐに考える絵本「こども哲学」から生まれた物語と、新作「あの町で」を収録。
久し振りに、重松作品をご紹介する。今年に入ってから、新しい作品がいくつか出している重松さんだが、最近、想定読者をより低年齢層に絞って書かれているような気がする。本書もそうだし、『また次の春へ』や最近出た文庫本『星のかけら』もそうだ。そして、どうしてもそうなるだろうなと思うのは、3.11後の日本社会を描こうという取組みだ。『また次の春へ』は1冊まるごとそれをモチーフにした作品集だが、本日ご紹介する『きみの町で』にも、「あの町で」と題した4編の短編作品が収録されている。

本書は、「こども哲学」という子供向けの絵本に連載された作品が収録された短編集である。「こども哲学」なる絵本があること自体を知らなかった。シンボリックなのは、冒頭の「よいこととわるいことって、なに?」という作品だ。電車内での座席を巡る子供の葛藤の話だ。これを読む直前、僕はうちの末っ子が見ていたNHKのテレビアニメ『団地ともお』で、同じような電車内で座席を譲るか譲らないか、譲るとしたらどういう場合か、譲らないとしたらどういう場合か、といった検討が小学校の道徳の授業で行なわれるシーンで出てきたのをたまたま目にした。何が正しいのか、その正しさは普遍的なものなのか、考えさせる格好の事例として、電車の車内の出来事というのはなかなかシンボリックだ。

イラストレーターとコラボしてカラーの挿絵があるという重松作品は珍しく、しかも登場する主人公のほとんどが小5~高校生であるため、収録作品をうまく指定すれば我が家の3人の子どもは全員がこの本を読めるような気がする。『団地ともお』を見ていた小4の末っ子であっても、この短編をもとにして考えることができそうだ。(ただ、親が期待したようには子は読む本を選ばないというのも事実なんだけど…)

自分1人で読むのなら、1~2時間程度であっという間に読んでしまうことができる。ただそれだけではもったいないので、いつか家族の誰かが手にして、書かれている内容について話し合う機会が作れるかもしれない。そうした意味でも、この本は我が家の蔵書として常備しておいてもいいのかもしれない。

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『くちぶえ番長』 [重松清]

くちぶえ番長 (新潮文庫)

くちぶえ番長 (新潮文庫)

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2007/06/28
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより) 小学四年生のツヨシのクラスに、一輪車とくちぶえの上手な女の子、マコトがやってきた。転校早々「わたし、この学校の番長になる!」と宣言したマコトに、みんなはびっくり。でも、小さい頃にお父さんを亡くしたマコトは、誰よりも強く、優しく、友だち思いで、頼りになるやつだったんだ―。サイコーの相棒になったマコトとツヨシが駆けぬけた1年間の、決して忘れられない友情物語。
重松清の作品はたくさん読んできたが、小学生が主人公の作品はさすがに自分の年齢も考えたらなかなか読みづらい。何年か前には発表されているものでも、実はまだ読んでいないというのが何冊かはある筈だ。

『くちぶえ番長』もそんな1冊だった。それを今回読むことになったのは、小学4年生の次男が学校で読みはじめたからだ。しかもそれを次男は自慢げに僕に語った。僕が重松作品を片っぱしから読んで来たというのを、どうして次男が知ったのかはわからない。勘のいい子どもなので、そういうところは気付いていたのだろう。重松作品を読みはじめたことをオヤジに知らせたくて、先生に許可を得て学校から現物を持ち帰ってきた。彼が寝ている間に、僕もコツコツ読んだ。結局僕の方が先に読み終わってしまった。

小学生読者には受ける作品だというのは間違いない。本をあまり読まないうちの次男であっても、きっと夢中になって最後まで読み切れることだろう。うまくいけば、うちの娘が小3で『西の魔女が死んだ』を読み切ったのに続き、次男にとっての最初の文庫本読了となるだろう。

ただ、お父さんお母さんがあまりにもいい人なんで戸惑ったりもした。どう考えてもこの作品の舞台は1970年代前半なので、主人公ツヨシのお父さんお母さんは戦前生まれでしょう?高度成長期に結婚し、子どもが1人の核家族という設定はまあわからないでもないが、子どもにとって大切な日だからというだけの理由で会社を休んで家にいるような、家族想いの父親が、戦前生まれの世代にいるとはあまり思えないのである。子育ては基本的に母親に任して自分は仕事に専念していたような人たちだろう。

ツヨシの家族構成が核家族であることも、ツヨシが1960年代前半の生まれだと考えるとちょっと違和感があるのも事実だ。この作品の舞台はツヨシが親の代から暮らしている地方の都市だと思われるが、それならツヨシの祖父母が登場してもおかしくないのではないか。

今はアラフォーで作家をしているツヨシの、小学生時代のお話である。なのに場面の設定は今の小学校のイメージに近い。従って、今の小学生読者なら入って行きやすい話だと思う。こうやって、うちの次男が重松作品に興味を持ってくれたのが嬉しい。重松作品をエントリーポイントにして、もっとたくさんの本を読んでいってくれたらと思う。

さて、息子はどんな感想を述べるんだろうか。楽しみである。

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『空より高く』 [重松清]

空より高く

空より高く

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2012/09/24
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
僕らは廃校が決まった東玉川高校最後の生徒。平凡な高校生として、それなりに楽しくやっていたのに、赴任してきた熱血中年非常勤講師・ジン先生のせいで調子がくるった。通学路で出会ったピエロさんの大道芸に魅せられた僕は、ジン先生の持ち込んだ迷惑な「ウイルス」に感染して…。思わぬところから転がり込んだ「セーシュン」、そして明らかになる、ジン先生の―トンタマ一期生の、過去。
久し振りに重松清の新刊本を読んだ。とはいっても半年近く前に発刊され、図書館での8人待ちをようやく乗り越えて手にとったものだが。しかも、自分の順番が来たことを知らせるメール連絡は、僕が海外出張に出発した翌日のことで、取り置きの期限は僕が出張から戻って来るまさにその日。自宅の最寄り駅に着いた僕は、車で迎えに来てくれた妻にわがまま言って、帰宅途中で図書館に立ち寄ってもらった。ぎりぎりセーフだった。

表紙に乗っているアトラクション、『ディアボロ』っていうんだ。初めて知った。僕がこのディアボロを初めて見たのは今から10年前、米国駐在時代の夏休みの家族旅行で、フロリダのウォルトディズニーワールドに出かけた時のことだ。夜のアトラクションでシルク・ドゥ・ソレイユの『ラ・ヌーバ(La Nouba)』という公演に出かけたが、その中で当時まだ3歳だったうちの娘が最もエキサイトしたのが、東洋系の少女4人組が演じたディアボロを使った演技だった(動画参照)。


物欲があまりなくて「あれが欲しい、これが欲しい」とほとんど言ったことがない娘であったが、ディアボロだけは例外で、劇場から外に出るやいなや、「あれ買って!」とせがまれた。珍しいことだったし、旅行中という開放感もあったので、すぐに売店で購入したが、実際に扱ってみるとなかなか上手く回せない。娘には早いと思ったが、大人の我々でもうまくいかず、結局使いこなせないまま今も子供部屋のがらくたの中に埋もれている。

「ディアボロ」にまつわる苦い思い出だが、高く跳ね上げられたディアボロがいかに見る人を惹き付けるか、そして、それを見て自分もやってみようと思っても、なかなかうまく使いこなせるようにはならない、練習が必要だということを、身をもって知っている僕にとっては、小説の主人公ネタロー君への感情移入は楽であった。

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『とんび』(文庫版) [重松清]

とんび (角川文庫)

とんび (角川文庫)

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2011/10/25
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
昭和37年、ヤスさんは生涯最高の喜びに包まれていた。愛妻の美佐子さんとのあいだに待望の長男アキラが誕生し、家族三人の幸せを噛みしめる日々。しかしその団らんは、突然の悲劇によって奪われてしまう―。アキラへの愛あまって、時に暴走し時に途方に暮れるヤスさん。我が子の幸せだけをひたむきに願い続けた不器用な父親の姿を通して、いつの世も変わることのない不滅の情を描く。魂ふるえる、父と息子の物語。
この1月から3月までのテレビドラマのクールで比較的健闘していると言われているのが日曜夜9時からTBSで放送されている日曜劇場『とんび』である。僕のフェースブック友達でも毎回見て涙しているという人がいるが、確かに涙腺が緩むようなストーリーが毎回繰り広げられているので、通しで見ていなくても、各回の放送を見るだけでも泣ける人はいるかもしれない。

四半期で1サイクルとなっているテレビドラマは、だいたい10回から11回で構成されている。重松清の原作は、元々は東京新聞(中日新聞)の系列紙で連載されていたもので、1ヵ月1章、合計12章構成となっていた。このため、美佐子さんが事故で亡くなるまでの3章分を初回放映分でまとめてしまい、それ以降を各章1話でほぼ原作と同じ順序でテレビドラマは描いている。原作の方ではよくわからなかったアキラの方の視点も、成長して雑誌編集部で働いているアキラを初回から登場させて、うまく回想シーンに持って行っている。由美さんとどう出会って愛を育んでいったのかも、うまく描いていると思う。

細かく見ていくと原作とドラマとは細かいところでは少しずつ異なる。例えば、原作のアキラは昭和37年生まれで、僕と同じぐらいの世代だが、ドラマでは昭和47年生まれとなっており、それによって現代のアキラも佐藤健君が実年齢に近いところで演じられている。この10年の違いは大きく、ヤッさんが赤ん坊のアキラを抱きながら「こんにちは、赤ちゃん」を歌っているのはおかしい(この歌は昭和38年7月にリリースされて大ヒットしている)。また、原作は高度成長の中で運送業が活況を呈していく風景やバブルが弾けてリストラが行なわれていく様子がうまく描かれていたが、ドラマはその部分の情景描写を端折っている。年代と風景とに齟齬が生じているのだ。

逆に、原作だとアキラが中2の時に後輩に「ケツバット」をやっていたことになっているのに対し、ドラマでは高2に移したことで余計にリアリティが湧いた。ここは高2の設定の方がいいと思った。

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タグ:ドラマ 父親
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『ロング・ロング・アゴー』 [重松清]

ロング・ロング・アゴー (新潮文庫)

ロング・ロング・アゴー (新潮文庫)

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/06/27
  • メディア: 文庫
内容説明
最後まで誇り高かったクラスの女王さま。親戚中の嫌われ者のおじさん。不運つづきでも笑顔だった幼なじみ。おとなになって思いだす初恋の相手。そして、子どもの頃のイタい自分。あの頃から時は流れ、私たちはこんなにも遠く離れてしまった。でも、信じている。いつかまた、もう一度会えるよね――。「こんなはずじゃなかった人生」に訪れた、小さな奇跡を描く六つの物語。『再会』改題。
2年少々前に発刊された直後に読んだ『再会』の再読。収録短編中最後の作品と書名が入れ替えられている。『再会』発刊当時に書いて当ブログに載せた感想は今でも有効だと思うので、リンクを貼っておきます。できればそちらの方もお読み下さい。
http://sanchai-documents.blog.so-net.ne.jp/2010-01-08

今日は、本書とあまり関係のないことを書く―――。

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タグ:重松清
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『峠うどん物語』(上・下) [重松清]

峠うどん物語(上)

峠うどん物語(上)

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/08/19
  • メディア: 単行本

峠うどん物語(下)

峠うどん物語(下)

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/08/31
  • メディア: 単行本

内容(「BOOK」データベースより)
中学二年生のよっちゃんは、祖父母が営むうどん屋『峠うどん』を手伝っていた。『峠うどん』のお手伝いが、わたしは好きだ。どこが。どんなふうに。自分でも知りたいから、こんなに必死に、汗だくになってバス停まで走っているのだ。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん。そして『峠うどん』の暖簾をくぐるたくさんの人たちが教えてくれる、命についてのこと―。
久し振りに重松清の作品を紹介する。既に高校入試は終わり、中学校は卒業式を迎えたところだというが、東京での中学高校受験にやたらと詳しくなった妻によると、重松作品は国語の入試問題でよく取り上げられるのだとのこと。森浩美じゃねーのと即座に反応した僕ではあるが、重松作品は中高生を読者層として狙って書かれているものがかなり多いので、さもありなんだ。ただ、読んでいた作品が入試で出題されたら即試験で有利かというとそういうものでもないような気がする。理想を言えば、重松作品を数冊読んで、その傾向を大づかみで把握しておくことがよいと思う。作品は幾つもあるけれど、そこで込められているメッセージは意外と共通していたりする。


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タグ:重松清
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『季節風 夏』 [重松清]

季節風 夏 (文春文庫)

季節風 夏 (文春文庫)

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2011/07/08
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
転校が決まった“相棒”と自転車で海へ向かう少年たちの冒険「僕たちのミシシッピ・リバー」、野球部最後の試合でラストバッターになった輝夫と、引退後も練習に出続ける控え選手だった渡瀬、二人の夏「終わりの後の始まりの前に」など一瞬の鼓動を感じさせる「季節風」シリーズの「夏」物語。まぶしい季節に人を想う12篇を収録。
頭の切り替えがあまりできていないうちに、次の仕事に巻き込まれている。時差が8時間もある国に到着して2日目の夜を迎えているが、夕方から眠くなり、深夜になって目が覚めるという完全な時差ぼけ状態だし、この2日間ほど集中して英文を読んでいるけれども、先週お伝えした通り眼鏡の新調が間に合わず、度が合ってない眼鏡で読み物をしているから非常に疲れる。僕の右目は乱視がひどく、眼鏡をつけてもはずしても、資料を近づけても遠ざけても、全く焦点が合わない。先日メガネ屋さんで指摘されて始めて気づいたのだが、僕は現在左目だけでものを見ている。それが理由なのかどうかはわからないが、出張に来てから左の肩こりがひどい。

英語の論文ばかりを読んでいると煮詰まってしまうと思ったので、書店で新規購入したり図書館で借りたりして、何冊かの小説を携行している。こういう時は短編集は重宝する。2年ほど前まで重松清は驚くべきハイペースで単行本を世に出していた。この1年はそのペースが落ちているが、その先行投資が効いているのか今年に入ってから文庫化される作品が多く、こういう旅のお供に文庫化された彼の作品を持ち歩くことが可能になった。『季節風』シリーズは『なぎさの媚薬』シリーズと同様、単行本の時にはわざわざ買ってまで読もうという気にならなかった。後者のシリーズをあまり読まなかったのには他にも理由があるが、『季節風』シリーズを買わなかったのはそれが短編集だったからだ。短編集は文庫化された後で読もうと決めていた。

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タグ:森浩美
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『季節風 冬』 [重松清]

季節風 冬 (文春文庫)

季節風 冬 (文春文庫)

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2010/11/10
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
出産のために離れて暮らす母親のことを想う5歳の女の子の素敵なクリスマスを描いた『サンタ・エクスプレス』ほか、「ひとの“想い”を信じていなければ、小説は書けない気がする」という著者が、普通の人々の小さくて大きな世界を季節ごとに描き出す「季節風」シリーズの「冬」物語。寒い季節を暖かくしてくれる12篇を収録。
実は今週12月2日(木)から7日(火)まで、私事目的でインドに渡航する予定にしている。ウッタルプラデシュ州カンプールで開かれる知人の結婚式に出席するのが第一の目的である。その方は日本人ではない。ただ、ラクノウで駐在されていて同じ結婚式に出られる予定の日本人Yさんから「読み終わった文庫本があったら持ってきて下さい」と頼まれて安請け合いしたのはいいが、実は僕はこのところ自分で買って読んだという文庫本が『永遠のゼロ』しかなく、自宅の書棚から引っ張り出してきてインドで再利用していただけるような文庫本の在庫が殆どないことに気がついた。Yさんも、ラクノウのような日本人がそもそも住んでいることなど考えも及ばないところで単身でご苦労されているので、日本語の紙メディアに飢えておられるというのは非常によくわかる。このため、先週末、敢えて数冊の文庫本を書店で購入することにした。

かなり趣味が反映された選択だったと思う。中味を読まずに現地で手渡してしまうのももったいないので、カンプール入りする前に読めるだけ読んでしまおうと考え、週末の空き時間を利用してコツコツ読んでいるところであるが、その第一弾が11月に発刊されたばかりの重松清の「季節風」シリーズの1冊である。250頁を少し上回る程度のボリュームで、12編もの短編が収録されている。1話平均すると20頁弱といった分量であり、重松作品のファンの僕も、さすがにこの短さについては違和感があり、ずっと敬遠してきたシリーズである。実際、今回文庫化された「冬」を除き、これまでに出ている「春」から「秋」までの短編集については僕は全く読んでいない。

ただ、今回初めて重松作品としては最も短い短編集を読んでみて、肩肘張らずに気楽に読み進められるという点ではなかなかいい本だという印象を受けた。

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タグ:重松清
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