トランスローカルマガジン『MOMENT』 [持続可能な開発]
MOMENT 1
URL:https://moment-mag.jp/index.html
内容紹介
都市圏の人口増加やGAFAをはじめとするプラットフォーム企業の台頭が起こるなかで、都市の生態系は大きな変化を迫られています。ーこうした状況の中で、私たちは都市/まちでいかに生き、暮らし、働き、遊ぶのか?
創刊号の特集はエイブルシティ。バルセロナ、アムステルダム、奈良、熊本、各地をめぐって、「人の可能性をひらく都市」のあり方を考えます。いかにしてまちの風土や歴史、リソース、コミュニティを結びつけながら、市民が主体的に暮らしをつくりだしていくのか。一方で、懐古主義に陥らず、新しいテクノロジーとの関わりのなかでいかにしてまちの仕組みを更新し続けるのか。Walk-ableにLiv-able、Play-ableにHack-able……世界の都市が取り組むエイブルなまちのための実践を探ります。
1年前、仕事で知り合った方に勧められ、このトランスローカルマガジンと呼ばれる雑誌の創刊号を買ってみることにした。バルセロナにおける市民主体のガバナンスの取組みには関心があったし、何よりも本誌を紹介して下さった方からは、ファブラボ阿蘇南小国の紹介記事が載っていると聞かされていたからだ。
実際読んでみたら、「ファブシティ・グローバル・イニシアチブ」についても結構な解説がある。特集自体が、循環経済を志向する自給自足型の都市に関するもので(しかも、各々の都市間でもの(物質)が輸送されるのではなくデータやアイデアが共有されるという点で、「トランスローカル」といえる)、かつ市民自治に必要なデータ自体をセンサー内蔵のデータロガーを市内各所に配置して、市民自らがデータを集めて行政に対して発言力を強めようとする取組みまであるわけで、そもそもこの雑誌の創刊趣旨自体がファブシティとは親和性が高い気がする。
そして、ファブラボ阿蘇南小国のような地方の特色あるファブラボというのも、ファブラボ自体がグローバルなネットワーキングを志向しているものなのだから、ファブシティではなくても、「トランスローカル」だとは言える。
大変に勉強になった1冊である。実は、この雑誌で得た情報を膨らませて、僕は昨日英語で1時間ほどのプレゼンをzoom経由でやることができた。6月に読んでいた文献のほとんどもこのプレゼンにつながっているのだが、ことファブシティに関しては、MOMENT第1号が最も詳しく、参考になった。おかげさまで、プレゼンは無事終わった。
『センサーシティー』 [持続可能な開発]
センサーシティー 都市をシェアする位置情報サービス (#xtech-books(NextPublishing))
- 出版社/メーカー: インプレスR&D
- 発売日: 2017/09/29
- メディア: Kindle版
内容紹介
スマホや車、家電、POSなど今や都市に暮らす市民はデジタルデータを発信するセンサーに囲まれて暮らしています。ポケモンGOに代表されるAR、シェアリングエコノミーなど都市の空間とサイバー空間上のデータが密接に結びついた新サービスもこうしたセンサーから発せられるデータに支えられて成立します。そして今や都市に住む人たちはデータをシェアし、それがまた新たな人や車の流れを生み出し、さらに市民自身が能動的にデータを活用するというデータの循環モデルも形成されようとしています。サイバー空間と都市空間のシームレスになり、新たな「共創」の世界を創るセンサーシティー。本書は位置情報を中心とするメディアサービスや都市の取り組み事例を通して、センサーシティーの一端を解説します。
IoTの中でも特に街をセンシングしデータを取得し、そのデータを分析・可視化する「センシング&マッピング」に特化し、その実践が都市や街において様々な貢献をする可能性を論じた1冊。
著者の問題意識として、利用者から価値のあるデータや情報を発信することが可能になると、従来、企業や行政から利用者や市民に一方的に提供され続けてきたデータや情報が、利用者や市民からも提供されるようになり、様々な形で循環し始めるようになる筈だが、現状では、データや情報は循環はし始めてはいるものの、特に日本では、テクノロジーやサービスを提供する立場とそれを利用する立場を超えたデータや情報の共有や、それを踏まえた新しいサービスの共創が十分には行われておらず、ダイナミックなイノベーションが起きにくい状況なのだという。
例えば、スマホにはカメラ(光学センサー)やマイク(音センサー)をはじめ、近接センサー、加速度センサー、ジャイロセンサー、地磁気センサー、指数センサー、虹彩センサー、GPS受信機など様々なセンサーが内蔵されているので、インバウンド(外国人旅行)の位置情報ビッグデータを分析することで、どのエリアにどの国の人が滞在したのかが見えてくる。その結果、観光案内所やWi-Fiの設置、ホテル、レストランの言語対応をより的確に進めることが可能だった。今まさに新型コロナウイルス対策として論じられているようなことが、2017年当時には既に指摘されていたということである。
AXIS vol.204「捨てないためのデザイン」 [持続可能な開発]
AXIS(アクシス)2020年04月号(捨てないためのデザイン)
- 作者: AXIS編集部
- 出版社/メーカー: アクシス
- 発売日: 2020/02/29
- メディア: 雑誌
AXIS vol.204
特集「捨てないためのデザイン(Design to keep)」
日々のゴミを減らし、環境負荷の少ない循環型社会の実現を目指す動きが世界で加速しています。その一方、いくつもの複雑な問題が絡み合い、個人でできることの限界を感じる人も少なくないかもしれません。本号では廃棄物にまつわる歴史を振り返りながら、その解決に向けて立ち上がった起業家やデザイナーらの取り組みや考え方を追いました。私たちが次なる一歩を踏み出すときの後押しになることを願って。
Facebook上で、僕の友人がこの雑誌の4月号を勧めていたので、読んでみることにした。製本版だと1,800円もするので、僕は電子書籍版1,100円で済ませた。アート&デザイン系の雑誌は、挿入写真やアート作品の掲載にかなりのスペースを取るので、ボリュームの割には文字が少ないことが多い気がする。また、その文字情報も、日本語だけでなく各記事やキャプションの後には英訳も付いているので、実質的にはもっと情報量が少なくなる。写真やイラストが付加価値であり、英語が読める読者も想定されているのだからこの強気の値段設定なのだと言われそうだが、僕にはどうしても1,800円は出す気にはなれなかった。
結局、連載やルポ、某企業の提灯記事のようなものはあまり読まず、特集「捨てないためのデザイン(Design to Keep)」の関連記事だけを読み込んだ。備忘録的に、関連記事のラインナップを以下に列挙しておく。
◆◆◆◆
「ゴミという言葉がいらなくなる日まで」(巻頭言)
「廃棄物を出さない循環サイクルで人とメーカーをつなぐテラサイクル」
テラサイクル社が展開する持続可能なショッピングシステム「Loop(ループ)」の話
「牛糞から生み出した新素材「メスティック」が畜産農家を救う」
オランダ・アイントホーフェンのバイオアート・ラボラトリーズが取り組む、新素材開発の社会実装の話
「「ゲットオンボード:リデュース リユース リシンク」展から始まるプリーストマングードの旅」
航空業界における産業デザインを手がける英国のプリーストマングード社が取り組む、航空会社及び乗客と協力した空の廃棄物問題の解決に向けた取組みの話
タグ:クリエイティブリユース インド
『ホハレ峠』 [持続可能な開発]
内容紹介
日本最大のダムに沈んだ村、岐阜県徳山村の最奥の集落に、最後の一人になっても暮らし続けた女性(ばば)がいた。奉公、集団就職、北海道開拓、戦争、高度経済成長、開発……時代を超えて大地に根を張り生きた理由とは?足跡をたどり出会った人たちの話から見えてきた胸をゆさぶられる民衆の100年の歴史――。映画『水になった村』(第16回地球環境映像際最優秀賞受賞。書籍、情報センター出版局刊)監督の最新刊!
4月下旬に発刊されたばかりの本であるが、アマゾンで注文して、入手できしだい、半日がかりで一気に読み切った。著者は中学の5年後輩で、弟の同級生である。大西監督の映画『水になった村』(下記動画)は、昨年見た。
岐阜県揖斐郡内で生まれ育った僕らの世代は、生まれて物心がついた頃から、「徳山ダム」の建設計画のことはよく聞かされた。日本最大級のダムが故郷の揖斐川上流にできるという宣伝のされ方は、子ども心に地元愛のようなものをかきたてられたが、その一方で、ダム湖の底に沈む集落に住む住民の移転の問題もメディアでは度々指摘されていた。その住民移転という代償の部分は、小中高生だった頃はあまり深刻には捉えていなかった。僕の意識の低さの問題である。
高校の時は、徳山出身の同級生がいた。大垣市内に下宿して、学校に通っていた。親しく話せるほど近しい関係でもなかったので、村のことを訊いたことは一度もなかった。
運転免許証を取得してからは、父の車を借りてドライブで出かけたことが何度かある。付き合っていた彼女とのデートでも。徳山村の中心地・本郷集落から国道417号線で北上し、東側の尾根を抜けて根尾谷の方から南に下りるルートだ。いずれ湖底に沈んでしまう集落だ。そうなる前に、目に焼き付けておこうと思って訪れた。その頃も、ダム開発には肯定的だった。
そのダム開発に、疑問を抱くようになったのは、転職して今の会社で働くようになってからのことである。年齢的には30歳近くになっていた。
―――徳山ダムは2007年9月に試験湛水を開始した。
『僕たちはファッションの力で世界を変える』 [持続可能な開発]
僕たちはファッションの力で世界を変える ザ・イノウエ・ブラザーズという生き方
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2018/01/23
- メディア: 単行本
内容紹介
国籍や人種、宗教や信条を超えて、確固たるスタイルで自らを表現し、同時に自分たちのビジネスに関わる人すべてを幸せにしたい、という井上聡と井上清史。「どこかで、誰かが不幸になるビジネスなんていらない」「僕たちはファッションの力で世界を変える」。青臭い理想論とも捉えられがちな彼らの言葉ですが、ふたりは実際にこうした生き方を貫き、そのためには勇気と希望が必要だと語ります。毎日の生活に追われ、夢見ることを忘れてしまったわたしたちに必要なのは、こんな“純粋で、真っ直ぐな"気持ちなのではないでしょうか?本書には、井上兄弟から現代を生きる人たちへ向けた、「生き方・働き方・人生の捉え方」に関するポジティヴなメッセージが詰まっています。新しい時代の生き方、働き方を模索するすべての人に読んでほしい一冊。
月が替わってしまったけど、読み切ったのは3月31日。これを以って、3月の巣ごもり読書を終えた。5,440ページ、19冊、いずれも多分過去最高である。
読了から4日もかかってようやくブログで記事をアップすることになった。年度の切り替わるこの週、僕自身の立場も変わり、僕の周りの人びとにも異動があった。それまでいた人との最後の仕事の片付けをやり、4月に新しく来る人の仕事のブリーフィング日程を組み、そして直接的に僕の後任になる人への引継ぎを進めた。完全には新しい部署への移籍はまだ済んでいない。それは金曜日に僕の担当で大きな仕事が残っていたからだが、それがコロナウィルス問題で吹っ飛んでしまい、おかげで引継ぎを早めに始めることができた。これも手間だった。結局今週は在宅勤務はしなかった。予約投稿してあった前半を除き、ブログの記事更新はとてもやっている余裕がなかった。
さて、この本は、ライターさんが井上兄弟とそのお母さんのオーラルヒストリーを聴き取り、それを1冊の本に編集した内容となっている。(ひょっとしたら、お母さんに関してはご本人の執筆かもしれないが。)未だにこのファッション・アパレル業界のことを正しく理解できているとは思わないが、特にこの、「ザ・イノウエ・ブラザーズ…」という、欧州を拠点とする企業のことになると今まで聞いたことがなかった。南米アンデス山脈のアルパカの毛を用いた、ファッション性の高い高付加価値の服を仕上げ、それをもって産地の人びとの生活向上につなげていこうという取組みのようだ。趣旨には大いに賛同するけれど、それじゃあ製品を購入して貢献できるかといえば、財布の中身との相談になってしまう。高所得者層から低所得者層への所得移転の仕組みのように僕は捉えている。
『21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考』 [持続可能な開発]
内容(「BOOK」データベースより)
『サピエンス全史』で人類の「過去」を、『ホモ・デウス』で人類の「未来」を描き、世界中の読者に衝撃をあたえたユヴァル・ノア・ハラリ。本書『21 Lessons』では、ついに人類の「現在」に焦点をあてる―。テクノロジーや政治をめぐる難題から、この世界における真実、そして人生の意味まで、われわれが直面している21の重要テーマを取り上げ、正解の見えない今の時代に、どのように思考し行動すべきかを問う。いまや全世界からその発言が注目されている、新たなる知の巨人は、ひとりのサピエンスとして何を考え、何を訴えるのか。すべての現代人必読の21章。
たまにミーハーで、こういうベストセラーも読んでみることにした。発刊早々の頃、職場で開催された勉強会にお招きした講師の先生がさっそく言及されていたし、どこの書店に行っても、「読んで下さい」とばかりに店頭に平積みで置いてある。こういう本をほとんど読まないうちの新成人の娘ですらが、「見たことある本だね」と言っていた。オヤジとしては、当然、読んでくれてたらもっと嬉しかったけど(苦笑)。
コミセン図書室で借りたベストセラー。返却期限が近付いてきていて、それが原動力になって読み進められたけれど、結局4日かかった。1日5レッスン、100頁読むのが限界。今週前半は仕事の上で時間との戦いを強いられて、生きた心地がしなかった。「間に合わなかったらどうしよう…」という不安感が頭から離れず、読書どころではなかったのだ。後半一種の「神風」のおかげで一息つくことができ、それでようやく読み込みが捗るようになった。
そうなると、前半読んだ記憶が忘却の彼方に行ってしまい、何が書いてあったか思い出せなくなってしまう。そうした中でどうブログで紹介しようか悩んだが、読んでみて感じたことをザクっと述べてみようかと思う。先ずは目次だけ見てみよう。
『WIRED』VOL.34 [持続可能な開発]
WIRED (ワイアード) VOL.34 「ナラティヴと実装 ~ 2020年代の実装論」(9月13日発売)
- 作者: Condé Nast Japan (コンデナスト・ジャパン)
- 出版社/メーカー: プレジデント社
- 発売日: 2019/09/13
- メディア: 雑誌
内容紹介
2020年代に向けて、社会実装の可能性を探るべく「ナラティヴと実装」を総力特集
これまで、IDEAS + INNOVATIONSを掲げ、0から1を生み出すアイデアやイノヴェイションの最前線に身をおいてきた『WIRED』日本版。しかし、本当に困難で死屍累々の墓場となっているのは、実は0→1ではなく1→10の実装局面ではないだろうか。そんな仮説から始まった本特集は、プロダクトやビジネスモデル、クライメートアクションからLGBTQIA+までの社会課題、あるいは特区や規制といったルールまで、2020年代の主戦場で展開されるあらゆる実装に迫っていく。デジタルにおいて「計算不能」を意味する[NaN](Not a Number)がイノヴェイションの培養地となり、そこにナラティヴが生まれることで社会へと実装されていく[NaN→10]の一気通貫から見えてきた、2020年代の実装論をお届けします。
正月休みに『WIRED』の最新号を購入して読んでから、ひょっとしてバックナンバーだったら市立図書館で借りられるかもと思い、調べてみたらやはり借りることができるようだった。さっそく借りたのは、1号前の、昨年10月に出た34号で、特集は「ナラティヴと実装」であった。
「ナラティブ」(本書は独特のカタカナ表記を使っているが、僕的にはこちらの方がしっくり来る)は最近何かと耳にする機会が増えた言葉である。英語での会話の中では昔から時々耳にしていた言葉だが、ネイティブが使っているのに聴いていただけで、僕自身が自由自在に使いこなせるタイプの言葉ではなかった。それが日本語にも入ってきたということなのだが、英語でも使用する文脈がイマイチ理解できてなかったものを、いきなり日本語で出てきたからといってすぐに理解できるわけではない。
そういう人間からすると、本書は読み手を選ぶなと思わざるを得ない。誰もが「ナラティブ」という言葉を理解しているという前提で特集が組まれていて、そもそも「ナラティブ」ってどういう定義なのか、理解もできない中でページをめくっていくことになった。
半ば過ぎになって、池田純一の寄稿の中にあった「論証となるファクトではなく、語り手の気配から立ち上がるコンテクストによって聞き手や読み手に入り込む一連の「お話」」というのが、この本の中にあった定義らしい定義だったかと思う。
僕ですらよく用いる「文脈」という言葉も、この定義では「コンテクスト」と言い換えられている。「インスタレーション」っていうのも、「インストールすること」を指しているらしいが、パソコン用語で「インストール」と言ってもらえばまだしも、そんなの知ってるだろと言わんばかりに「インスタレーション」って言われちゃうと、初心者にはかえって理解しづらい。
収録されている各記事が、特集との関連記事なのかどうかもわかりにくい。どれが特集と関連している記事なのか、理解できないものも多かった。そういうものがごっちゃに収録されていると、なんかわかりにくいけどなんか面白い、ってな感じの雑誌になる。このへんのセンスは、僕には理解がしづらい。そういうごっちゃの中で読み進めていくと、結局、「ナラティブと実装」って特集で、いったい何を言いたかったのかがよくわからなくなってしまった。
タグ:スタートアップ
『WIRED』VOL.35 [持続可能な開発]
WIRED (ワイアード) VOL.35「DEEP TECH FOR THE EARTH」(12月12日発売)
- 作者: Condé Nast Japan (コンデナスト・ジャパン)
- 出版社/メーカー: プレジデント社
- 発売日: 2019/12/12
- メディア: 雑誌
内容紹介
『WIRED』日本版VOL.35は、「地球のためのディープテック」を総力特集。グレタ・トゥーンベリが大人に「おとしまえ」迫るように、クライメートアクションがいま世界中で起こっている。急速に進むこの「深い社会課題」を前にして、単に循環型経済や自然回帰を標榜するだけでなく、文明を大きく一歩前に進めるような「射程の深いテクノロジー」によるブレイクスルーが、いまや人類には必要だ。10億人のための食やエネルギーのイノヴェイションをはじめ、極小のナノボットからドローンや衛星、果ては宇宙進出まで……。人類がテクノロジーを手にして引き起こした問題を、新たなテクノロジーで解決しようとするわれらが文明の大いなる矛盾を真正面から受け止めながら、「地球のためのディープテック」を模索し、「テクノロジーによる自然」を引き受ける覚悟をもつことが、2020年代を生きる上でのもっとも誠実な態度であるはずだ。その先にこそ、「人間中心主義」を超えた文明の手がかりを、ぼくらは掴めるのかもしれない。
少し前に「ディープテック」というタイトルの本を読んで、ブログでも紹介記事を書いた。個人的にはこういう、地球の未来にも関わる大きな問題をテクノロジーを用いて解決していこうというアプローチは好きなので、『WIRED』第12号の特集が「地球のためのディープテック」だと聞きつけ、先月目黒の書店で購入し、お正月休みを使って読み切った。
同名の書籍を読んだ時には、日本の持つテクノロジーでもまだまだ使いみちはあるぞという著者の論調に共感を抱くことができたのだが、『WIRED』の特集記事はジェフ・ベゾスの人工衛星の話とか、オランダの「フード・ヴァレー」の話とか、核融合エネルギーの話とか、レアアース採掘の影響とか、とかく話のスケールがデカすぎて、これを読んだから僕自身が何かのアクションにつなげられるかというところでの展望がほとんど開けなかったのが残念だ。これを読んだら、すごい人はすごいという思い以外に抱けるものが何もない。せいぜい、Spiberのブリュード・プロテインでできた衣類をそのうち買ってみようかな、という程度だろうか。(Spiberの話は、ファッション週刊誌WWDジャパンの2019年11月25日号の特集「サステナビリティ推進か、ビジネスを失うか」でも取り上げられていたから知っていた。)
『生きのびるためのデザイン』 [持続可能な開発]
内容紹介
ヴィクター・パパネックの古典的な研究。現代のエネルギーと資源不足の世界で生き残るための青写真を提供し、人間のニーズに応える製品を開発するための戦略を示唆した1冊。
この本は今月初旬に実は読了していた。岐阜おおがきビエンナーレ2019を見学するのに、予習も何もしていかないのもまずいかなと思い、長きにわたって読書メーターの「読みたい本」リストに挙げてあった本書を市立図書館で借りて、それを旅行中に読み切ったのである。借りた本だからマーカーで線を引いたりはできないが、代わりに付けておいた付箋が40枚近くにもなり、返却前にこれを全て外してコピーを取り、さらに読み直してコピーに線を引く作業をやっていたら今日に至った。
訳本は1974年発刊だが、原書は71年に出ている。こういう問題意識が50年近く前に既にあったということや、こうした訳本を扱っていた出版社が当時はあったということには大いに感銘を受ける。付箋を付けた箇所が40以上にも及んだというところからもわかる通り、本書は今を生きる僕たちにとっても依然として参考にできるポイントが数多く、この論点は今でも生きていると思う。もっと極論言ってしまえば、この本自体、開発学のテキストにしたいぐらいである。
本書を貫く思想は、「デザイン」とは問題解決することだということだ。行けるところまで来てしまった感がある先進国に住む僕たちにとっては、生活していて不便だと感じるものが少なくなり、メーカーは物を売るのに蛇足のようなデザインを施す。それがデザインだと僕らは思ってしまっているが、これが開発途上国であれば、社会の問題を軽減ないしは解決してくれるようなものを試作し、実用化できる余地が今でも相当に広い。
著者は、デザイナーは途上国に出かけて行き、しばらくの間そこに住み、その土地の住民の要求に本当に適合したデザインを考えるべきだと述べている。また、できればそこで地場のデザイナーの養成も行ない、一緒にデザイン活動を進めるべきだとも主張する。
僕らに非常に刺さる著者からのメッセージは他にもある。
再々読『貧困を救うテクノロジー』 [持続可能な開発]
Mastering the Machine Revisited: Poverty, Aid and Technology
- 作者: Ian Smillie
- 出版社/メーカー: Practical Action Pub
- 発売日: 2000/11/01
- メディア: ペーパーバック
邦訳が発刊された直後の2015年12月、そして2018年8月以来の再読となる。なぜに再読が二度も続くのかというと、前回読んだときに、この本を自分が教えている大学での次年度からのテキストに採用しようかと思い立ち、そして今年度実際にそうしたからである。
履修生と輪読してみて気付いたこともある。この本、意外に無駄な記述が多く、何が論点なのかを見えにくくしている。学生が1回読んだだけで著者が各章で言いたいとすることを的確に把握するのは難しいかもしれない。これは、訳本の編集の問題というよりも、原書自体が持っている問題なのでどうしょうもないが、この業界で仕事して、それなりの経験を積み重ねてくると、「ああ、この節ではこんなことが言いたいのだな」というのが見えてくる。しかし、履修生に各章の要旨をまとめてレポートさせてみると、ちゃんと著者の言いたいことを掴んだのかどうかが怪しい履修生もいる。
かく言う僕も、三度目の読書だから、またテキストとして熟読を求められたからこそ理解できた細かい部分もあった。第三部の終盤を読んでいて、ようやく、第一部や第二部で書かれていたことがここにつながってくるのかというのが見えてきたようにも思えた。こうした経験から言えるのは、やっぱり誰か有識者かそれとも翻訳者による巻末解説が必要だったのではないかといういうことだ。出典明記がないこと、索引がないことは致命的だと前々回、前回と指摘してきたが、もう1つの本書の問題は巻末解説がないことだ。