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再々読『貧困を救うテクノロジー』 [持続可能な開発]

貧困を救うテクノロジー

貧困を救うテクノロジー

  • 作者: イアン・スマイリー
  • 出版社/メーカー: イースト・プレス
  • 発売日: 2015/08/19
  • メディア: 単行本

Mastering the Machine Revisited: Poverty, Aid and Technology

Mastering the Machine Revisited: Poverty, Aid and Technology

  • 作者: Ian Smillie
  • 出版社/メーカー: Practical Action Pub
  • 発売日: 2000/11/01
  • メディア: ペーパーバック

邦訳が発刊された直後の2015年12月、そして2018年8月以来の再読となる。なぜに再読が二度も続くのかというと、前回読んだときに、この本を自分が教えている大学での次年度からのテキストに採用しようかと思い立ち、そして今年度実際にそうしたからである。

履修生と輪読してみて気付いたこともある。この本、意外に無駄な記述が多く、何が論点なのかを見えにくくしている。学生が1回読んだだけで著者が各章で言いたいとすることを的確に把握するのは難しいかもしれない。これは、訳本の編集の問題というよりも、原書自体が持っている問題なのでどうしょうもないが、この業界で仕事して、それなりの経験を積み重ねてくると、「ああ、この節ではこんなことが言いたいのだな」というのが見えてくる。しかし、履修生に各章の要旨をまとめてレポートさせてみると、ちゃんと著者の言いたいことを掴んだのかどうかが怪しい履修生もいる。

かく言う僕も、三度目の読書だから、またテキストとして熟読を求められたからこそ理解できた細かい部分もあった。第三部の終盤を読んでいて、ようやく、第一部や第二部で書かれていたことがここにつながってくるのかというのが見えてきたようにも思えた。こうした経験から言えるのは、やっぱり誰か有識者かそれとも翻訳者による巻末解説が必要だったのではないかといういうことだ。出典明記がないこと、索引がないことは致命的だと前々回、前回と指摘してきたが、もう1つの本書の問題は巻末解説がないことだ。

三度目の読み込みはまた、大学のテキストとは別の文脈からもいいタイミングだった。自分の問題意識を今さらここで詳述している余裕もないし、それをやるとネタをパクられる恐れもあるのでここでは書かないが、今自分が思っていることを支持してくれそうな記述をいくつか見つけたので、ここに列記しておく。

 大規模な援助組織は、単独では、計画づくりの柔軟性と時間が求められるような労働集約型の小規模な介入には不向きであるケースがほとんどだ。もし支出の中で貧困の削減をより重視しようとするなら、より適正な技術を開発して利用しようとするなら、改良された新しい計画づくりのメカニズムが必要になるだろう。そのひとつが非政府組織(NGO)の支援だ。(p.415)
但し、NGOの間にはあまりにも多くの無駄な重複やアマチュア精神がはびこっているとも指摘、融資や「縄張り」を巡る競争は激しく、まとまりに欠け、組織に蓄積された経験や知識は乏しい。そのどれもが、知的な杜撰さにもつながっていると、特に北のNGOに対して批判的である。

一方、南のNGOには、将来性の高い実験や規模拡大を行ってきたところもあり、存在感を強めていると著者は注目する。
 利益という動機への伝統的な嫌悪感を克服できる非営利組織は、(単純なクレジットの提供とは対照的に)零細企業や小企業の開発において、ますます重要な役割を担うようになっている。(中略)最貧国の多くでは、零細企業の開発環境は改善し、非公式部門が以前よりも注目や支援を受けるようになってきている。したがって、NGOは役割を変える覚悟を持つべきだ。自分自身が起業家としてふるまうのではなく、真の起業家たちの世話役に徹するべきなのだ。十分な思慮と、NGO同士、NGOと小規模起業家、一部の学界や研究界との戦略的な同盟があれば、NGOがすでに行ってきた投資は、大きな開発の「配当」をもたらすに違いない。(pp.415-416)

さらに、著者は南のNGOが、政策提言から政策策定の分野にまで進出を始めているという点に注目し、北のNGOは、これまでのように金銭的・精神的支援を提供するだけでなく、もっと新たな役割を担っていくことが求められるだろうとも述べている。
「北」のNGOの中で生き残るのは、技術サービスや、クレジット、健康、教育に関する専門知識など、相手に提供できるような真の得意分野を持つNGOだろう。しかし、南北のNGOのパートナーシップにとっていちばん大事なのは、重要な政策問題を中心として築かれた同盟だ。健康、教育、環境、そして貿易、投資、援助といったより幅広い分野の問題に対し、入念でバランスの取れたプロフェッショナルな政策介入を行うためだ。(p.418)

次の引用は、ファブラボにおけるユーザー参加のものづくりに関して役に立ちそうな記述である。
 広く認められてはいるがあまり実践されていない開発関連の教訓のひとつが、参加に関するものだ。優秀な適正技術の実践者たちは、新しいアイデアや新しい技術の普及や持続のためには、受益者自身が最初から参加する必要がある、ということを苦労の末に学んできた。変革を管理する能力を築くことは、より良い製品を作ることと同じくらい重要だ。(中略)シューマッハーの言うように、「人々がしようとしていることを理解し、それをもっと効率的にできるよう手助けする」べきなのだ。(pp.418-419)

もう1つは、まるで自分の働いている会社のことを言われているような既視感を覚えるこの記述。
 皮肉なことに、援助機関は一方では個人にますます重きを置くようになっているのに、他方では個別性と戦っている。(中略)個人が往々にして無視されていているというのは、暗い面といえる。本書が実証しようとしてきたように、もっとも成功する援助事業の多くは、非常に特別な個人たちのスキル、粘り強さ、長い努力から生まれる。(p.420)
ここでは援助機関として南のNGOのことを指しているようにも取れるのだが、こうした傑出したリーダーシップを持つ社会起業家たちが作り上げ、彼らの個性がビルトインされている組織が、きわめて献身的で有能な個人の努力ではなく、ひとつの現象の一部として最初から組み込まれているかのごとく特定個人への言及を避けているように思えると著者は言う。言い換えれば、援助機関では個人に光が当たりにくいという指摘になっている。
援助組織は、ほとんどのビジネス・ライターが成功企業を調査した末に発見する特徴とそっくりそのまま逆だ。秘密主義で、サイロ化されており、意思決定の構造が非常に中央集権的だ。もともとリスクのある事業なのに、リスクを回避する。個人が同じ仕事にとどまることはめったにないし、2~3年以上、同じ国の計画にとどまることもない。海外任務は一般的に2年間で、平均的な二国間援助事業の立案期間よりも短い。失敗に対する許容度は低く、建設的な議論はほとんどなく、統率、規律、スムーズな書類の流れを促すような報酬システムもない。巨大な援助機関に属する男女は、その大多数が本当に真面目で勤勉だが、そうしたシステムの中では、献身的な努力、リスク・テイク、議論が、成功したいという欲求にたちまち負けてしまうことがあっても不思議ではない。(pp.430-431)
残念ながら、この指摘、今もかなり当たっていると思う。

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