週報(3/19 - 3/25) [備忘録]
ワシントンDC在住のフェースブックの友達から桜の便りが届いたり、インドの友達から「ハッピー・ホーリー!」のメッセージをもらったり、冬から春へと一気に移り変わるこの季節は、人々が軽装で外に飛び出し、春の訪れを祝う楽しい季節だ。子供達が学校を終業して春休みに入った最初の週末など、家族サービスにはもってこいだと思うし、巷のお父さんの多くは普通はそうしていると思う。次男から、「誰々は今日どこどこへ連れて行ってもらうんだって」という話を聞かされると、非常に申し訳ない気がする。
3月19日(月):最近、月曜日はたいてい朝8時前に出社して早めに仕事に着手するようにしている。この日は午後に僕の担当業務の来年度事業の審査会があった。週末から資料はあらかた作ってあったが、一部分の情報記載が会社に行かないとできないものだったので、早めに出社して資料を完成させる作業をやった。その後審査会までの時間は別の仕事に充てた。ちょいとばかし緊張を強いられる審査会だったので、終わった後はちょっとした燃え尽き感あり。夕方は18時前に会社を出て、地元の国際交流協会事務局に出向き、4月下旬に予定されている次の行事の準備に関する打合せをした。思い付いた準備事項を事務局の担当者に押し付けたような格好になってしまったが、僕もこの行事(パネルディスカッション)のモデレーターを務める予定なので、パネリストのプロフィールや関連資料を読み込むという別の大きな仕事が控えている。打合せは19時半には終ったので、それから例によってコメダ珈琲店に移動し、持ち帰っていた仕事の英文資料を読み込んだ。22時前には帰宅した。
【壁…】
20日(火):春分の日の祭日だったこの日は、市内にある実業団の主催の剣道大会があって、道場チームの一員として参加した。午前3時起床し、自宅で朝まで勉強した後、大会会場へと向かった。団体戦の中堅で出場したが、引きメンと出ばなコテであえなく2本負け。2本とも相打ちでの負けだが、惨敗に近い。若くて勢いのある相手にはどうしても気後れしてしまう。言い訳になるが、この日は2月に腰椎椎間板ヘルニア(多分)で3日間動けなかった時以降で腰の状態が最悪で、しかも花粉症と寝不足のせいだと思うが左目のコンタクトが全く合わなかった。でも試合内容を振り返るとどう見ても自分の剣道ができていなかったとしか思えない。未熟者です。ただ、チームとしても1回戦敗退。昼食後、会場を先に失礼することにした。午後は自宅で横になって過ごした。やはり腰が痛い。
21日(水):朝6時20分に家を出て、早めに職場の最寄り駅まで行く。この日は会社の剣道部の稽古日で、いつも防具袋は駅のコインロッカーに預ける。そのつもりでこの日も早めに家を出たが、駅に着いてみると駅ビルの改装工事のためこの日からコインロッカー閉鎖!仕方がないので駅から職場まで竹刀袋と防具袋を運んだ。僕の職場は駅から徒歩15分。しかも坂の上にある。これはしんどい。会社を18時20分に出て稽古場の体育館に向かう。この日の稽古は予めお願いしてあったので日本剣道形の稽古を重点的にやらせてもらった。先生に直されまくった。実技の方の稽古もやらせてもらったが、こちらも散々だった。ちょっとしたスランプに陥ってしまったような感じだ。4月15日に間に合うのか、かなり不安に陥った。21時に稽古を終えて直帰。22時30分就寝。
22日(木):通常時間で出勤。この日の夜は2000~2003年のワシントンDC駐在時代の仕事関係者で集まっての「同窓会」で、東京丸の内OAZOにある中華料理店が会場だった。最近花粉症気味でアルコールが入るとスイッチオンでくしゃみ鼻水が止まらなくなることや、睡眠不足で酔いのまわり方が速すぎるのが気になっており、この日はかなり控え目に飲んだ。殆どの方々が二次会に向かったが、僕は辞去し、23時前に帰宅した。
ワシントンDC繋がりということで、世銀の次期総裁選びの進捗についてもちょっと話題になった。
【卒業式、娘の涙にもらい泣き】
23日(金):この日は娘の小学校卒業式だった。朝から天候が怪しく、寒かったが、妻とともに門出を祝う卒業証書授与式には参列した。娘のライフイベントがある度にブログでも書いていることだが、娘は16カ月の時に転んで舌先を噛み切る大怪我をして、僕達は一時は死も覚悟したことがある。それだけに、無事に12年間育ってこうして小学校卒業の日を迎えてくれたことを本当にありがたく思っている。感受性の強いところはお母さんに似ており、式から退場する順番を待っている時には既にハンカチを何度も目に当てていた。今日はそうやって涙していい日だ。6年間よく頑張ってきた。小学校最後の1日を十分に味わってほしかった。その後午後から出社し、20時近くまで残業。帰宅後、学校が春休みに入ってのんびりテレビアニメを見ている子供達を尻目に早々に就寝。
【今週の週末持ち帰り仕事】
年度末が殆どどん詰まりの時期にさしかかり、今週末の仕事のために週末を費やした。残る5日間でレポートを2本書かなければならないが、実際のところ1つは他の人が作ってくれることになっている資料が出来上がっていないので無理だろうな。その分もう1つの方に集中している。A4サイズで4頁分のレポートだが、そのために読んでおくことが必要な英語論文の数は17本。先月末から読み込みにとりかかり、この週末に一気に3本読んで、残すところあと2本というところまでなんとか辿り着いた。土壇場になると本当の馬鹿力が発揮されるというか、この週末は殆ど無駄な時間を作らなかった。読んだ論文は自分なりに日本語要約を作成する。既に12本分の要約は作成済みだ。
24日(土):午前2時30分起床。4:00~6:30(ガストにて論文No.11の見直し)、7:30~9:00(自宅PCにてNo.11の要約作成)。その合間に本を1冊読み切り、前からペンディングにしていた「移民と開発」に関する英文書籍の紹介記事を書いてブログにアップさせた。この日は娘の卒業謝恩会があって妻と娘は僕をアッシーにして午後外出。長男は塾の講習で午後不在だったので、午後は次男と2人で留守番だった。こういうシチュエーションでは仕事などできたためしがなく、次男が撮りだめてあったビデオを見ている間に昼寝して体力温存した。夕方からは次男が剣道の稽古、送り迎えした後、今度は僕が道場で稽古。この日を最後に仙台に単身赴任される同僚の送別会が稽古終了後に行なわれるというので、この日は僕は歩いて道場まで行った。相変わらずスランプ気味だったので、普段は使わない竹刀を使って大きく打つ面にこだわって稽古してみた。20時に稽古を終えて送別会へと向かった。22時30分に散会。お酒を飲まれなかった先生に家まで車で送ってもらい、帰宅後すぐに次男と風呂に入り、23時30分には就寝。なお、妻は小学校の世話人会の打ち上げがあり、三次会ぐらいまで行ったらしく、帰宅したのは午前1時過ぎていたらしい。
18日(日):午前4時30分起床。5:00~6:30(マックにって論文No.12の読み込み)、10:30~16:00(武蔵境駅前の図書館で論文No.12~14の読み込み)、16:30~17:00(近所のコミセン図書室で再来週の社内勉強会の課題図書の読み込み開始)、21:00~22:30(コメダ珈琲店にてレポート用参考文献(日本語)3章分読み込み)。その合間に次男が自宅前でやっていたサッカーの練習に付き合い、ついでの日本剣道形の練習を何度かやった。夜、北欧式マッサージのアルバイトに出かけた妻を23時前に駅で拾い、帰宅後すぐに就寝。(ちなみに翌朝は4時起床)
この時期、日没後の1~2時間は、西の空に金星と木星と月が比較的近い位置で明るく光っている。土曜朝に「早勉」に向かう途中のラジオでそのことを知った僕は、たまたま日没後のそういう時間帯に外を出歩く機会に恵まれたので、デジカメを持って出かけた。カメラ操作の技術が稚拙なのでうまく撮れなかったが、確かに近い位置で見ることはできた。写真は19時30分頃のものだが、もっと早い時間帯であれば、月の位置はもっと木星に近かったのではないかと思う。
3月19日(月):最近、月曜日はたいてい朝8時前に出社して早めに仕事に着手するようにしている。この日は午後に僕の担当業務の来年度事業の審査会があった。週末から資料はあらかた作ってあったが、一部分の情報記載が会社に行かないとできないものだったので、早めに出社して資料を完成させる作業をやった。その後審査会までの時間は別の仕事に充てた。ちょいとばかし緊張を強いられる審査会だったので、終わった後はちょっとした燃え尽き感あり。夕方は18時前に会社を出て、地元の国際交流協会事務局に出向き、4月下旬に予定されている次の行事の準備に関する打合せをした。思い付いた準備事項を事務局の担当者に押し付けたような格好になってしまったが、僕もこの行事(パネルディスカッション)のモデレーターを務める予定なので、パネリストのプロフィールや関連資料を読み込むという別の大きな仕事が控えている。打合せは19時半には終ったので、それから例によってコメダ珈琲店に移動し、持ち帰っていた仕事の英文資料を読み込んだ。22時前には帰宅した。
【壁…】
20日(火):春分の日の祭日だったこの日は、市内にある実業団の主催の剣道大会があって、道場チームの一員として参加した。午前3時起床し、自宅で朝まで勉強した後、大会会場へと向かった。団体戦の中堅で出場したが、引きメンと出ばなコテであえなく2本負け。2本とも相打ちでの負けだが、惨敗に近い。若くて勢いのある相手にはどうしても気後れしてしまう。言い訳になるが、この日は2月に腰椎椎間板ヘルニア(多分)で3日間動けなかった時以降で腰の状態が最悪で、しかも花粉症と寝不足のせいだと思うが左目のコンタクトが全く合わなかった。でも試合内容を振り返るとどう見ても自分の剣道ができていなかったとしか思えない。未熟者です。ただ、チームとしても1回戦敗退。昼食後、会場を先に失礼することにした。午後は自宅で横になって過ごした。やはり腰が痛い。
21日(水):朝6時20分に家を出て、早めに職場の最寄り駅まで行く。この日は会社の剣道部の稽古日で、いつも防具袋は駅のコインロッカーに預ける。そのつもりでこの日も早めに家を出たが、駅に着いてみると駅ビルの改装工事のためこの日からコインロッカー閉鎖!仕方がないので駅から職場まで竹刀袋と防具袋を運んだ。僕の職場は駅から徒歩15分。しかも坂の上にある。これはしんどい。会社を18時20分に出て稽古場の体育館に向かう。この日の稽古は予めお願いしてあったので日本剣道形の稽古を重点的にやらせてもらった。先生に直されまくった。実技の方の稽古もやらせてもらったが、こちらも散々だった。ちょっとしたスランプに陥ってしまったような感じだ。4月15日に間に合うのか、かなり不安に陥った。21時に稽古を終えて直帰。22時30分就寝。
22日(木):通常時間で出勤。この日の夜は2000~2003年のワシントンDC駐在時代の仕事関係者で集まっての「同窓会」で、東京丸の内OAZOにある中華料理店が会場だった。最近花粉症気味でアルコールが入るとスイッチオンでくしゃみ鼻水が止まらなくなることや、睡眠不足で酔いのまわり方が速すぎるのが気になっており、この日はかなり控え目に飲んだ。殆どの方々が二次会に向かったが、僕は辞去し、23時前に帰宅した。
ワシントンDC繋がりということで、世銀の次期総裁選びの進捗についてもちょっと話題になった。
【卒業式、娘の涙にもらい泣き】
23日(金):この日は娘の小学校卒業式だった。朝から天候が怪しく、寒かったが、妻とともに門出を祝う卒業証書授与式には参列した。娘のライフイベントがある度にブログでも書いていることだが、娘は16カ月の時に転んで舌先を噛み切る大怪我をして、僕達は一時は死も覚悟したことがある。それだけに、無事に12年間育ってこうして小学校卒業の日を迎えてくれたことを本当にありがたく思っている。感受性の強いところはお母さんに似ており、式から退場する順番を待っている時には既にハンカチを何度も目に当てていた。今日はそうやって涙していい日だ。6年間よく頑張ってきた。小学校最後の1日を十分に味わってほしかった。その後午後から出社し、20時近くまで残業。帰宅後、学校が春休みに入ってのんびりテレビアニメを見ている子供達を尻目に早々に就寝。
【今週の週末持ち帰り仕事】
年度末が殆どどん詰まりの時期にさしかかり、今週末の仕事のために週末を費やした。残る5日間でレポートを2本書かなければならないが、実際のところ1つは他の人が作ってくれることになっている資料が出来上がっていないので無理だろうな。その分もう1つの方に集中している。A4サイズで4頁分のレポートだが、そのために読んでおくことが必要な英語論文の数は17本。先月末から読み込みにとりかかり、この週末に一気に3本読んで、残すところあと2本というところまでなんとか辿り着いた。土壇場になると本当の馬鹿力が発揮されるというか、この週末は殆ど無駄な時間を作らなかった。読んだ論文は自分なりに日本語要約を作成する。既に12本分の要約は作成済みだ。
24日(土):午前2時30分起床。4:00~6:30(ガストにて論文No.11の見直し)、7:30~9:00(自宅PCにてNo.11の要約作成)。その合間に本を1冊読み切り、前からペンディングにしていた「移民と開発」に関する英文書籍の紹介記事を書いてブログにアップさせた。この日は娘の卒業謝恩会があって妻と娘は僕をアッシーにして午後外出。長男は塾の講習で午後不在だったので、午後は次男と2人で留守番だった。こういうシチュエーションでは仕事などできたためしがなく、次男が撮りだめてあったビデオを見ている間に昼寝して体力温存した。夕方からは次男が剣道の稽古、送り迎えした後、今度は僕が道場で稽古。この日を最後に仙台に単身赴任される同僚の送別会が稽古終了後に行なわれるというので、この日は僕は歩いて道場まで行った。相変わらずスランプ気味だったので、普段は使わない竹刀を使って大きく打つ面にこだわって稽古してみた。20時に稽古を終えて送別会へと向かった。22時30分に散会。お酒を飲まれなかった先生に家まで車で送ってもらい、帰宅後すぐに次男と風呂に入り、23時30分には就寝。なお、妻は小学校の世話人会の打ち上げがあり、三次会ぐらいまで行ったらしく、帰宅したのは午前1時過ぎていたらしい。
18日(日):午前4時30分起床。5:00~6:30(マックにって論文No.12の読み込み)、10:30~16:00(武蔵境駅前の図書館で論文No.12~14の読み込み)、16:30~17:00(近所のコミセン図書室で再来週の社内勉強会の課題図書の読み込み開始)、21:00~22:30(コメダ珈琲店にてレポート用参考文献(日本語)3章分読み込み)。その合間に次男が自宅前でやっていたサッカーの練習に付き合い、ついでの日本剣道形の練習を何度かやった。夜、北欧式マッサージのアルバイトに出かけた妻を23時前に駅で拾い、帰宅後すぐに就寝。(ちなみに翌朝は4時起床)
この時期、日没後の1~2時間は、西の空に金星と木星と月が比較的近い位置で明るく光っている。土曜朝に「早勉」に向かう途中のラジオでそのことを知った僕は、たまたま日没後のそういう時間帯に外を出歩く機会に恵まれたので、デジカメを持って出かけた。カメラ操作の技術が稚拙なのでうまく撮れなかったが、確かに近い位置で見ることはできた。写真は19時30分頃のものだが、もっと早い時間帯であれば、月の位置はもっと木星に近かったのではないかと思う。
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