カトマンズ再訪 [ネパール]
《再建中のパタン旧王宮前の様子》
5月3日から7日まで、お休みをいただいてネパールの首都カトマンズを訪ねて来た。僕は昔、ネパールに駐在していた時期があり、今からちょうど20年前の5月、満開のジャカランダを眺めながら、涙の離任をした。その後3回ほど訪れる機会があったのだが、最後の訪問は2012年で、震災後初めての再訪となる。
パタン旧王宮は再建が進んでいて、どうも日本が協力しているらしく、そこらじゅうに日本の国旗の看板が出ていた。ブータンもそうだが、カトマンズもネパール人観光客がすごく多い。
9年前と比べていくつか街の変化に気づいた。1つは飲食店がものすごく増えたことで、これって外国に出稼ぎに行って修行してきた人が、稼いだ資金と磨いた経営手腕とで立ち上げたんじゃないかと思う。小洒落たカフェやパーティー会場も目立ち、20年前どころか、9年前とも雰囲気が全然違う。いずれ別の記事でも書こうと思うが、民間企業の活動の活発化が感じられる。(ブータン人はよく、「ネパールのようにはなるな」と言うが、民間の経済活動の活発化は、同じ内陸国として見習う部分もあるのではないかと思う。)
2つめはそれとの関連で、大きなショッピングモールが出現していたこと。さらには、20年前はバリダラに1軒しかなかったスーパーマーケット「バートバテニ」がチェーン店化し、市内数カ所に大きなビルのショッピングセンターを建てていたこと。中に入って見てみると、品ぞろえもそこそこ豊富で、20年前だったら「ナマステ・スーパー」、「ブルーバード・デパート」、「ジェミニ・スーパー」等で買い物するしかなかったものが、ショッピングの選択肢が非常に増えた気がする。パタンのラリトプール市役所横にできた「ラビン・モール」はビックリ。インド・デリーあたりのメガモールと大して変わらない。大音響で音楽流しているところも含めてだけれど。そんなところまでインドに似なくてもいいのにと思わぬでもない。
《ラビン・モール周辺と中の様子》
3つめは、停電が少なくなったこと、そして停電時間が短くなったこと。これは2009年に訪れた時との比較になるが、当時は夜の20時以降は計画停電で、全体的に生活時間帯が早朝から夜の早い時間までにシフトしていた感じがした。20時以降に起きている場合は、ロウソクの灯りで過ごすしかなかった。ところが、今は普通に電力供給がなされていて、22時頃まで平気で外食していられる。
4つめは、高層マンションが沢山出来ていたこと。カトマンズの地盤を考えたら大丈夫なのかと不安になるけれども。そういうところに住める人が増えてきたということなのだろう。なんだか、インドのグルガオンあたりの様子に近付いていこうとしているのかとも思える。
5つめは、とはいってもまだ震災の爪痕はそこら中に残っていること。但し、市内の道路の舗装はかなり進んでいて、多くの道路は拡幅工事が行われていたし、周辺には新しい家も建てられていて、昔の面影をとどめていなくて懐かしの場所を訪ねるのにも道に迷ったりした。こうして主要道路の再建は進みつつあるけれど、1つ奥の歩道に入ると、瓦礫がまだ残っているところも結構あった。そういうところに住んでいた昔の知人を訪ねていくと、高層マンションや大型ショッピングモールとはまったく異次元の昔の長屋生活が続けられており、なんとなく、ネパール人の間でも格差が広まっているのではないかと感じた。
《昔住んでいたサネパの道路の様子》
6つめは、震災復興との関連だろうけれど、援助機関の数が増えた。パタン周辺を歩いていると、そこら中に国連とかのプロジェクトが一軒家を借りて事務所としていた。国連とかの国際機関や政府系の援助機関だけではなく、国際NGOとおぼしき事務所も民家を1軒まるまる借りているところが激増しているように思える。このポイントはもう少し整理して、見てきたものをブログでまたご紹介してみたいと思う。
2015年の震災から3年。僕の古くからの知り合いも被災して、今どんな暮らしをしているのか心配していたけれど、皆さんお元気そうで、でも20年の歳月を経て少し貫禄も付き、当時まだ赤ちゃんだった子が今年は20歳の立派な女子大生になっていた。(本人は1999年生まれの19歳だと両親から聞かされているらしいが、1998年1月生まれの二十歳である。何かの事情があってのことだと思うけれど(笑)。)
短期間とはいえ、多くの方と再会でき、また今後発展していきそうな可能性を垣間見ることもでき、有意義な訪問だった。
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