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宮本常一『忘れらた日本人』 [勝手にブックカバーチャレンジ2020]

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今日の日経新聞土曜版「NIKKEIプラス1」で、家にいても旅気分が味わえる10冊というのが紹介されていた。新型コロナウィルス感染に伴う国の緊急事態宣言が出されて、外出自粛して家にいても、在宅勤務の時間帯はともかく、それ以外でできることといったら、適度に体を動かすウォーキングと、こういう時じゃないとできない読書ぐらいかと思う。そんな中で、「巣ごもりにおススメの●●冊」的な需要は確実にあるのではないだろうか。

僕の場合は、こうなったら積読状態で放置されていた洋書を1冊でも2冊でも取り崩そうと格闘中で、すぐに読了してブログでご紹介できるわけでもない。そこで、過去にご紹介した本に、再び脚光を当てる企画でもやろうかと思い立った。

1回目の本は、このNIKKEIプラス1の第3位に挙げられていた宮本常一『忘れられた日本人』である。2010年8月29日にブログで紹介しているが、うち本書に収録されている中でも最も有名だと思われる土佐の馬喰の話「土佐源氏」については、別途2011年5月5日でも取り上げている。

これまでに本書について書いた2つの記事に加えて、もう1つ、2012年4月に、地元の国際交流協会主催の行事でクロストークのモデレーターをやらせてもらった際に、『忘れられた日本人』に収録されていた「世間師」の章に言及した(「世間師」2012年4月22日)。読書でインプットしていたものを、公開セミナーのような場でアウトプットしたケースはそれほど多くないので、非常に印象に残っている。

僕が引用で使った箇所を、ここで再掲する。

 日本の村々をあるいて見ると、意外なほどその若い時代に、奔放な旅をした経験をもった者が多い。村人たちはあれは世間師(せけんし)だといっている。旧藩時代の後期にはもうそういう傾向がつよく出ていたようであるが、明治に入ってはさらにはなはだしくなったのではなかろうか。(p.214)
 それにしてもこの人の一生を見ていると、たしかに時代に対する敏感なものを持っていたし、世の動きに対応して生きようとした努力も大きかった。と同時にこのような時代対応や努力はこの人ばかりでなく、村人にもまた見られた。(中略)
 明治から大正、明治の前半にいたる間、どの村にもこのような世間師が少なからずいた。それが、村をあたらしくしていくためのささやかな方向づけをしたことはみのがせない。いずれも、自ら進んでそういう役を買って出る。政府や学校が指導したものではなかった。
 しかしこうした人々の存在によって村がおくればせながらもようやく世の動きについて行けたとも言える。そういうことからすれば過去の村々におけるこうした世間師の姿はもうすこし掘りおこされてもよいように思う。(p.259)
【出典】宮本常一、『忘れられた日本人』、岩波文庫

これまでの1年間、自分が仕事で関わって来た日本の近現代史は、政治や外交が中心で、確かにそれは中央(すなわち東京)から近代化をリードしていった大事なストーリーであると思うが、なぜ中央の政策が地方の、さらに遠隔地にまで浸透していったのかについては、単に上意下達の行政機構の整備の話だけでは語れない何かがあったのではないかと思う。

そういうところを、戦前から戦中・戦後を通じて丁寧に掘り下げていったのが宮本常一である。大きな功績だと改めて思う。
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