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『忘れられた日本人』 [宮本常一]

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

  • 作者: 宮本 常一
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1984/01
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
4 昭和14年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した著者(1907‐81)が、文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを、古老たち自身の語るライフヒストリーをまじえて生き生きと描く。辺境の地で黙々と生きる日本人の存在を歴史の舞台にうかびあがらせた宮本民俗学の代表作。
宮本作品の中でおそらく最も有名なのが『忘れられた日本人』だろうと思う。以前ご紹介したちくま日本文学『宮本常一』にも、本書からは「対馬にて」「村の寄りあい」「子供をさがす」「女の世間」「土佐源氏」といった、ほぼ本書の半分近くを占める作品が収められている。発表は1960年(昭和35年)である。

宮本のあとがきによると、本書は、当初は「伝承者としての老人の姿を描いて見たい」と思って描き始めたらしい。しかし、途中からは「いま老人になっている人々が、その若い時代にどのような環境の中でどのように生きてきたかを描いて見よう」と思うようになったという。それは「単なる回顧としてでなく、現在につながる問題として、老人たちのはたして来た役割を考えて見たくなった」からなのだそうだ(p.305)。

宮本のアプローチはこんな感じである。先ず目的の村に行くと、その村をひととおりまわって、どういう村であるかを見るという。次に役場へ行って倉庫の中を探して明治以来の資料を調べ、それをもとにして役場の人たちから疑問の点を確かめる。同様に森林組合や農協を訪ねて行って調べる。古文書があることがわかれば、旧家を訪ねて必要なものを書き写す。一方で何戸かの農家を選定して個別調査をする。たいてい1軒について半日程度はかけるという。午前・午後・夜で1日3軒済ませば上々だ。古文書から湧いてきた疑問は、村の古老に会って尋ねる。はじめはそうした質問から始め、後はできるだけ自由に話してもらう。そこで相手が何を問題としているのかがよくわかってくるという。その間に主婦や若者の仲間に会う機会も作り、こちらの方は多人数の座談会形式で話も聞く(pp.308-309)。

―――なんだか、現在においても、そしてそれが日本でなく途上国で行なう農村調査であったとしても、このあたりのアプローチの仕方は参考にすべきところが多い。



宮本は目的の村に行くと、高い場所から村を一望して位置関係や土地利用等を把握するところから始めたと言われている。今自分がインド駐在時代に経験した農村調査を振り返ってみると、こうしたプロセスを意外と端折っていきなり村の中心集落を訪ねて住民の代表者にインタビューを始めてしまったケースが結構多い。インドが平地で高いところから村を俯瞰すること自体が難しいということはあるかもしれないが、地図でも模型でもいいので全体像を把握する手順は踏むべきだったと改めて反省させられる。

私の一ばん知りたいことは今日の文化をきずきあげて来た生産者のエネルギーというものが、どういう人間関係や環境の中から生まれ出て来たかということである。(p.309)
とはいえ、宮本は著書の中であまり明示的には述べていないが、こうした「彼らはどこからどのように来たのか」という過去と現在を繋ぐだけではなく、「彼らはこれからどこへ向かって行くのか」という未来についても見えていたのではないかと思う。村のお年寄りから村の歩みを聞き、村の若者からも話を聞けば、次を担う世代がどのように育ってきたのか、どのような意識を持っているのか把握できるだろう。そうすると、若者は村に残るのか、村を離れて都会へと向かうのか、それがどれくらいの規模で起きるのか、イメージもできるかもしれない。

今秋は10月に名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開催されるということもあり、動植物、昆虫の多様性についての啓発活動が全国各地で行なわれているが、本書を読みながら、生物多様性もさることながら、文化や民俗の多様性についても絶滅の危機が迫っているのではないかと気になった。宮本の著作を読んだことがある人なら誰もが感じるだろうが、戦中戦後頃までの日本の農村とそこに住む人々の生活は村ごとに異なる特徴が相当にあったようだ。今や全国どこへ行ってもコンビニはあるし、系列のレストランやショッピングモールがある。テレビ番組もほど同じだ。地域ごとの特徴がどんどん薄れていっているように感じるのは僕だけだろうか。


最近なにかと話題の所在不明の超高齢者問題。何となく、区切りの歳のお祝いを自治体の首長がやらなくなったからこんな事態になってしまったのだろう、地方行政と末端の世帯との繋がりが希薄になってしまった一因は平成の自治体合併の影響かなと最初は思っていたが、実際のところ、30年ぐらい前だったら1つの自治体で100歳を迎えるようなお年寄りは少ししかいなかったので自治体の首長が一軒一軒訪れて直接記念品贈呈をやっていたのが、今や超高齢化が加速して首長がそんなことをやっている余裕がなくなってきたというのもあるらしい。

実際のところ何歳でお亡くなりになったのかはわからないのだろうが、こういった長く生きてこられた(であろう)方々に、昔のその地域がどんな様子だったのか、何がどのように変わっていったのか、ちゃんと聞き出して記録にとどめられなかったのは残念だ。
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