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土佐源氏 [宮本常一]

5月4日(水)は、この三連休中唯一快晴の行楽日和だったので、子供達を連れて府中郷土の森博物館に出かけることにした。ニュース報道などを見ているとこのGWは近場の行楽地が大混雑していたらしい。この日は朝の5時台のラジオニュースでも中央自動車道の下りで渋滞が始まっていると報じられており、僕と末っ子を除いたらいつもお寝坊の我が家では、朝の時点で完全に出遅れ。近場は近場でも都心のはとバスなんかは駄目かもしれないが、府中あたりの公園なら大丈夫じゃないかと考えて、外出決行することにした。自宅から郷土の森までは車で10km程度だ。僕達は昔京王線の聖蹟桜ヶ丘に住んでいたので、郷土の森あたりはドライブでもジョギングでもよく通っていたので土地勘もある。

Ikimonogatari.jpg子供達にはプラネタリウムの番組『いきものがたり(A Story of Biodiversity)』(右図)を餌にして行かないかと誘った。実際に連れて行ってみると、ここの博物館は常設展示室がかなり充実しており、特に最近日本史を学校で勉強している子供達には有用な展示が相当多いということがわかった。特にオヤジの知ったかぶりに拍車をかけたのは、鎌倉時代末期の新田義貞軍の鎌倉進軍ルートに関する展示であった。義父は小金井ご出身で鎌倉幕府方の武士の出だと聞いていたので、鎌倉街道沿いで新田軍と幕府軍が戦闘を行なった小手指原合戦か分倍河原合戦で負けて小金井あたりに土着したのだろうと想像するが、そういう話を地図を交えてリアルに説明できる展示になっていた。

とはいえ、実は僕自身の本当の狙いは別にあった。府中と言えば民俗学者・宮本常一の居宅があった土地で、多摩・武蔵界隈で宮本が撮った写真としては府中周辺のものが最も多い。その宮本が代表作『忘れられた日本人』の中で紹介した有名なエピソード「土佐源氏」について、ここの博物館で企画展が開催されていることを偶然知り、是非行ってみたいと以前から考えていたのである。

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宮本の著作を読み始めてから比較的日が浅い僕は、恥ずかしながらこの「土佐源氏」が坂本長利という俳優の一人芝居として既に上演回数1000回を突破しているロングセラーとなっていることを知らなかった。いや、知らなかったというのは語弊がある。佐野眞一『旅する巨人』の中に、この一人芝居については書かれている。僕が見落としていただけなのである。それはともかくとして、この博物館の展示は、この一人芝居のDVD上映(1時間10分)と、芝居のポスターや宮本の著作などを集めて展示されたもので、今年は宮本常一没後30年ということで全国各地でフォーラムが開催されており、6月4日には東京・府中でも開催予定となっているが、それに併せての企画展ということだろう。

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子連れだったのでDVD上映をじっくり鑑賞することはできなかったけれど、土佐源氏にまつわる様々な配布資料はここでいただくことができたので、いずれ整理してまたブログでもご紹介できればと思う。ど素人が申し上げることでもないかもしれないが、ここの展示は基本的には「土佐源氏」が収録されている宮本の著作と坂本の一人芝居に関する資料だけで、土佐源氏ゆかりの高知県梼原町あたりが昔どんな状況で、今はどうなっているのかがわかるような展示はなかったのが残念。まあ、馬喰(馬を使う運搬人)という仕事が貴いものであったとはとても思えないので、そういう人を輩出した土地というのを売りにするのは難しいということもあるのだろう。

その点については、佐野眞一『旅する巨人』の第14章「土佐源氏の謎」でも書かれている。佐野は宮本の足跡を辿って梼原町を訪れ、「土佐源氏」こと山本槌造氏の孫という方に会ってインタビューをしている。その時の模様を次のように書いている。
 下元の口ぶりに宮本を非難するニュアンスはなかった。ただ、この作品が有名になり、俳優の坂本長利が独り芝居にして全国公演に回るようになって以後、”梼原の乞食”ということだけが一人歩きするようになったのは迷惑だといった。その独り芝居が梼原に公演にきたとき、「梼原の乞食のジイさんの芝居です」とアナウンスを流しながら宣伝カーが村じゅうを走り回ったことがあった。下元もさすがにこのときだけは抗議に行った。
「ジイさんの話芸はそりゃ舌を巻くほどうまかった。東京から話を聞きにきたお客さんをだますくらいは序の口だった。ジイさんは一世一代の乞食話を、腕によりをかけ、虚実とりまぜながら宮本さんにしたというのが、”土佐源氏”の偽らざる真相でしょう」(p.386)
このように、宮本が山本槌造氏から聴き取ったという「土佐源氏」の話自体、半分ぐらいは山本氏のフィクションだということなので、それに近い話は梼原に限らず全国いたる所にあったのかもしれないが、これを高知県梼原町と繋げて見てはいけないのだということも理解しているつもり。下記のブログには、実際の梼原町での現在の受け止められ方についても紹介されている。
http://blogs.yahoo.co.jp/yuuutunarutouha/12403764.html

因みに、宮本の没後30年というのにタイミングを合わせたわけではないだろうが、『忘れられた日本人』が英訳されて昨年出版されていることもこの企画展で知った。こういう、少し前の日本人について知ってもらえるような著作が英訳して世界中の人々に知ってもらえるのはとても嬉しいことだ。


The Forgotten Japanese: Encounters With Rural Life and Folklore

The Forgotten Japanese: Encounters With Rural Life and Folklore

  • 作者: Miyamoto Tsuneichi
  • 出版社/メーカー: Stone Bridge Pr
  • 発売日: 2010/03
  • メディア: ハードカバー



*府中郷土の森博物館訪問については、続編にてまたご紹介したいと思います。
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yukikaze

小説や喜劇、エッセイが発表されるとそれを読んだ人がその登場人物や登場する舞台、登場する時代をリアルに想像してしまい、それが現実のものとして理解してしまうことが往々にあるようです。それを「事実が嘘をつく」と表現した人もいます。剣豪宮本武蔵も吉川英治という小説家が描いた小説が浸透し、歴史的事実ではない岡山県がそれを観光資源として利用しています。しかし、歴史的には宮本武蔵は播州(兵庫県)出身だったりするわけです。今回の場合は話を聞きに行った人が地元の人に担がれたという話ですが、私の地元、河内には「今東光」という方の著作があり、そのイメージが広がっていて、マイナスの遺産となっています。私の大叔母の嫁ぎ先が今東光が住職をしていたお寺の檀家ですが、地元では有名な方だけに悪くは言えないが、「嘘ばかり書き散らかしたおかげで…」と言われています。実際、今東光の著作は今ならJAROの「嘘、大げさ、紛らわしい」の類です。おかげで、今東光の作品を読んで、ここが「今東光師が住職をされていた…」とガイドが説明するとほとんどの方が、周囲のイメージが違うので???となるそうです。地域の人も河内弁ですが、今東光が描いたような言葉を使う人はいません。というのも、河内の若衆が水争いなどで献花するときに威勢よくする掛け声のような言葉が今東光の作品では日常会話として収録されているからです。何事も、こういうことが多いように思いますが、要するに「悪事は千里を走る」といいますが、「名人の文章も千里を走る」ということだと思います。
by yukikaze (2011-05-06 17:30) 

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