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『英語化する日本社会』 [英語一期一会]

英語化する日本社会―日本語の維新を考える

英語化する日本社会―日本語の維新を考える

  • 出版社/メーカー: サイマル出版会
  • 発売日: 1982/12/
  • メディア: 単行本
内容紹介
古い日本語のパターンでは、もはや今日の日本社会の思想や感情を表現しきれなくなっている。日本語の語彙は遠からず完全に国際化するだろう。過去に中国語が漢字を媒介として完全に日本語の一部になったように、英語の語彙も中心をなすものすべてが日本語に吸収されるであろう―――世界的に著名な文化人類学者で、社会学者、日本研究の権威が、急激な日本語の新しい変化から、日本社会と文化の構造的変容をさぐったエッセー。

昨年、帰省する度に少しずつやっていた僕の蔵書の断捨離。完全には終わっていないけれど、かなり進んだ。思い切って捨てた本が多かった中で、捨てる前にもう一度読んでおこうと思い、実家から東京の自宅に持って来た本も中にはある。ハーバート・パッシン教授の著書もその1つで、僕が学生をしていた1980年代、結構勢いがあったサイマル出版会から出ていた1冊である。

1998年に廃業となったサイマル出版会だが、僕の学生時代にはサイマルから出ていた本を結構購入していた。村松増美『私も英語が話せなかった』、村松増美・小松達也『ビジネスマンの英語』、グレゴリー・クラーク『日本人』、ロバート・ホワイティング『菊とバット』、西尾道子・バーバラ片岡『聖書の英語』、渋沢雅英『日本はアジアか』等々。実家の蔵書を見てたら、僕は結構なお得意様だったと思う。そのほとんどは断捨離の過程で既に処分してしまったのだが、パッシン教授の著書は残した。言語人類学とでもいう領域での日本研究者だったからである。

これまで1年間、政治史や外交史の面から日本研究を眺める視点が業務上求められてきたけれども、僕自身のこれまでの歩みを振り返れば、日本研究の原点は1980年代に大学で英語を専攻するその過程にあった。当時はサイマルをはじめとして日本研究者の著書をよく扱っていたし、もっと遡れば僕が高校生時代に聴いていたラジオ講座『百万人の英語』の木曜講師だった國弘正雄先生が、ライシャワー元大使やパッシン教授の著書を翻訳されていて、よくご自身の講座の題材として使用されていた。いわば、パッシン教授の著書は、僕の英語学習の原風景の1つとも言える。

だから、4月になって政治史や外交史のくびきから解放された今、僕は改めて1980年代までの日本研究の名著を読み返してみようという気持ちにもなれた。

第Ⅰ章「日本語のイメージー言葉の比較文化論」なんて、イディオムの宝庫ともいえる。He gets on my nerves.(彼はカンにさわる)とは言えても、I feel it in my bones.(確信する)、He sets my teeth on edge.(いらいらさせる)、It gets me in the pit of the stomach.(腹にしみてわかる)なんて、言えます?ああ、そういう表現があるんだという驚きのオンパレードであった。

第Ⅱ章「心の伝えかたー日本語の表現構造」は、語彙というよりもなぜ日本人はそう振る舞ったりそういう言葉を使ったりするのか、日本人の僕たちにはわからないが、外国人から見たら疑問に思われることに答える内容だ。それはイエスなのかノーなのかとか。これに最近なら、「大丈夫です」というのが加わる。これも、「それはイエスなのか、ノーなのか」と尋ねないと相手の意思が確認できなかったりする。(パッシン教授が本を出された頃にはなかった言い方だ。)それに、口で語らず目で語るとか、あと驚いたのは、日本語には相手を罵倒する表現が非常に少ないらしい。こういうのって、日本語を勉強している外国人に知ってもらったら結構面白いかも。第Ⅲ章「新しい性・新しい日本語ー「愛」の表現変化」もそれに近いか。

そして、本書のタイトルに最も近い内容なのは第Ⅳ章「日本語のバイタリティー外来語の役割」だろう。この章の中でも最も驚いたのは、森有礼が一時期ぶち上げたという「国語廃止、英語採用論」だった。

 森有礼が具体的にどんなことを考えていたのかは、ちょっとわかりにくい。日本人同士がしゃべるときにも英語を使うべしと考えたのか? 日常会話は日本語でもいいが、官用語として英語を用いよと言うのか? 学校で近代的教育をするためには英語を使えというのか? あるいはまた、新しい概念形成に当たって漢語を廃止し、英語を語源とした用語を用いるべしというのか?
 以上のどれもが森の言わんとすることらしく、時によってその説は浮動している。いずれにしても、森の主張に沿って国語を廃そうとの機運は起こらず、まもなく森自身、自説を引っ込めてしまった。
 明治の指導者たちは、そういうわけで、外来語の大量輸入は見合わせた。最近の開発途上国のようなことはしなかった。そのかわり、漢字を使って近代的概念を創造しようと苦心した。こうしてデモクラシーは「民主主義」となり、ライトは「権利」となった。福沢諭吉は、スピーチに「演説」という新語を当て、エレキは「電気」と書かれるようになった。
 日本語を習い始めたころ、私は、そのような日本語に出会うたびに、ペンをおいて感嘆これ久しうした。日本人がいかに伝統の文化を大切にしようとしたかがわかったからである。明治の日本は、脇目もふらずに西欧の物質文化、近代文明を受けいれた。だが、そんなときにも民族の心と魂を忘れなかったのである。和魂洋才というのは、まさにそのようなのをいうのだろう。
 それはさておき、和魂洋才の処しかたは、発展しようという国にとっては、実に卓抜した方式だったというほかない。今日でも、世界の開発途上国のなかには、高等教育になると自国語ではできない国が多い。むずかしい抽象概念を表現する自国語の語彙がないからである。そのような国々では、国語を豊かにし言葉としてのレベルを高める可能性が永遠に消滅してしまったわけである。
 その点、日本は幸運だった。森有礼の英語国語論は、幸いにも用いられるところとならなかった。近代的教育制度が実施されると、初等教育と中等教育には、はじめから日本語が使用された。まもなく設立された東京帝国大学でも、外人教師を必要とする科目以外は、全教科の授業が日本語で行われた。日本人はなんでもないように思うかもしれないが、今日の発展途上国の多くでは、そうはいっていないのである。(pp.160-161)

なんか、日本の国語政策、英語政策って、業務の中でもっと掘り起こしてもよかったんじゃないかと思えてきた。実は、江利川春雄『英語と日本軍』を昨年夏に読んだ後、一時期そういう提案を社内でしていたんだけど、「誰がそんなアイデアを頭出ししたのか」と某役員に嫌味を言われ、引っ込めたことがあった。政治や外交の話を中心に据えている間は浮かばれないテーマかもしれないが、僕がブータンに駐在していた頃、「なぜ日本は英語を国語化しなかったのか、その政策の経験を学びたい」と言われたことがあった。そう、ブータンは高等教育どころか、初等・中等教育も英語になっている。「英語化する日本人」どころか、「既に英語化しちゃったブータン人」という状況である。

パッシン教授の著書『日本近代化と教育』、読んでみたくなりましたわ。

英語学習者にも日本語学習者にも、おススメの1冊である。

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