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『欧米人の見た開国期日本』 [仕事の小ネタ]

欧米人の見た開国期日本 異文化としての庶民生活 (角川ソフィア文庫)

欧米人の見た開国期日本 異文化としての庶民生活 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 石川 榮吉
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/09/21
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
ケンペル、イザベラ・バード、モース、シーボルトほか、幕末・明治期に訪日した欧米人たちは豊富な記録を遺している。彼・彼女らが好奇・蔑視・賛美などの視点で綴った滞在記や研究誌を広く集め、庶民たちの当時の暮らしを活写。著名な日本滞在記の読みどころも一冊で掴める、人類学の巨人が「異文化理解」の本質に迫った比較文明論。

インターネットどころか映像メディアすらなく、国境を越えた人の往来もほとんどなかった時代に、なにかの事情で海を渡った人が、異国の地で未知の風習文化を持つ人と出会い、言葉もわからない中でそれを記録し、帰国後旅行記や探検記として発表する―――幕末から明治期にかけて、そんなことをやっていた欧米人は、アーネスト・サトウやラザフォード・オールコック、イザベラ・バードだけじゃなかったらしい。

このブログでも、過去に中野明『グローブトロッター』R.H.ブラントン『お雇い外人の見た近代日本』などを紹介してきたが、そうした日本訪問者がその滞在記を母国に戻って発表した出版物を集め、徹底的に文献調査を行い、当時の外国人が日本人と日本社会をどのように見ていたのか、そのイメージをまとめたのが本書である。

但し、原文を読んだのか、その後翻訳されて日本でも発売された訳本を読んだのか、その辺は定かではない。原文を読み込むとしたら英語だけでなく、ドイツ語やロシア語もあったらしいから、それはそれはの労作だといえるが…。

文庫本だから軽く読み終われるかと思っていたが、そうはいかず結局3日もかかった。最大の理由は最初の3章を読み込むスピードが遅すぎたことにあるが、この3章は読んでいて嫌悪感を感じさせるもので、読むのをやめようかと何度も思った。

第1章「日本人の容姿」(日本人の身体的特徴、醜い日本の男、美しい日本娘)、第2章「花の命は短くて」(剃眉とお歯黒、入浴好き・熱湯好き)、第3章「破廉恥な日本人」(混浴と羞恥心、変わる羞恥心、性の防波堤、売春天国日本)と続く。当時日本に来ていた外国人が見たものをそのまま描写しているのはともかくとして、その主題選択の仕方とか、自分たちの価値観で美醜の判断をしていることとか、なぜそうなのかを当の日本人と交わることもせず、窓越しに見て想像でものを言っているとか、当時の欧米人の一種の「上から目線」が露骨に出ていて、読んでいて吐き気がしてきた。

今みたいに人の往来が比較的盛んで、各国事情を紹介する活字メディアが充実し、かつインターネットが発達してきた時代なら、ここまでひどい偏見に満ちた異文化紹介は見向きもされないだろうが、異文化理解で陥りやすい落とし穴だと思う。気を付けていないと僕たちでもやりがちなので、そこは戒めないといけない。自分の限られた経験の範囲内で一般化を図ることはかなりリスクが高い。また、当時だったらそういうレアな体験談がつづられた文献がさらに引用されて情報が拡散し、変なステレオタイプが拡散されていってしまう、そんな事態も本書では見え隠れしていた。

こいつら、事実確認をろくにしないで想像でものを書いてるなと思いながら、それでも我慢して読み進めていくと、中にはそれなりに日本人と接して事実確認をしている外国人もいたこととはいたというのが少しずつわかってきて、外見ばかりに触れていた最初の3章で感じた嫌悪感は薄れてきた。それとともに読むスピードは上がり、なんとか読了することができたという次第。

 1862年(文久2)から翌年にかけて、幕府に招かれて北海道の鉱山調査に当たったアメリカ人の地質・鉱物学者パンペリーは、いみじくも、旅行者の意見はがいして自分の体験の中で強く印象づけられた出来事にもとづいている、と述べている。それが先入主となって、公平に、あるいは客観的に見る眼を曇らせてしまうことへの自戒である。パンペリーのこの自戒は、われわれが異文化を理解しようとするばあい、偏見の排除と並んでつねに心すべきことである。(p.257)
―――ここが、まさに僕の言いたいことを言っている。

 彼らのそうした見方を、当時の日本は長年月に及ぶ鎖国のために事実欧米に遅れ、あるいは劣っていたのだからやむをえまいとする卑屈な、あるいは欧米崇拝的な意見もあろうが、たとえば当時の日本人が「時は金なり」の観念をもち合わさなかったからといって、どうしてそれが日本人の劣っている、あるいは遅れている証になるのであろうか。なるほど効率主義あるいは経済至上主義の立場からいえばそうなるのかも知れないが、効率主義とか経済主義は絶対的価値なのか。評価は、「これこれの立場(価値観)からすれば」という相対評価にとどまるべきで、それを絶対評価と錯覚してはならない。
 要するに異文化理解に際して心すべきことは、自文化を絶対視してこれに外れた異文化を蔑視し、無用の優越感に浸ることと同じく、異文化を絶対視して徒に自文化を卑下する愚に陥らぬことである。(p.264)

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