『「新しい働き方」の経済学:アダム・スミス『国富論』を読み直す』 [読書日記]
「新しい働き方」の経済学: アダム・スミス『国富論』を読み直す (いま読む!名著)
- 作者: 義朗, 井上
- 出版社/メーカー: 現代書館
- 発売日: 2017/10/17
- メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
『国富論』を「21世紀の貧困論」として読む。こんな大胆な試みで見えてくる市場経済の理想と現実。その矛盾の中で私たちは誰と何を争い競争しているのか。日々追いかけられる日常のなかで勇気を持って立ち止まり「新しい働き方」を実現させるための「新しい企業」の姿を考えてみる。
そもそも経済学の古典中の古典である『国富論』を読んでないのに、読み直して新解釈を試みる本に先に手を出すのもどうかとは思ったけれど…。とにかく、これも数日かけて読み切った。
経済学を勉強していれば、原典は読んでなくてもアダム・スミスの有名な「神の見えざる手」という言葉は、市場メカニズムを端的に示すものとして、誰もがよく知っていると思う。ちょっと前まで優勢だった「新古典派」の市場万能主義が拠って立つ思想だが、『国富論』が書かれたのは1776年だ。20世紀終盤から21世紀初頭にかけての現代経済社会の実態を、18世紀後半の時代背景を踏まえて書かれた本をベースに論じて、それで市場メカニズム礼賛を論じるのって、なんか違和感があるようにずっと感じてきた。
そもそもアダム・スミスが『国富論』で論じたかったことというのは、当時の時代背景を踏まえたらどういうことだったのだろうか?―――その疑問から考察をスタートさせ、その上で現代経済社会を振り返ってみるという、本書はそんな試みから書かれた興味深い1冊だ。そして、「『国富論』の理想は、資本主義の歴史のなかでいったん挫折したかに見えたが、それが今、もしかしたらよみがえろうとしているのかもしれない。そして、その先鋒を担うのが、社会的企業なのかもしれない」(p.15)として、なんと現代の社会的企業の台頭とアダム・スミスの理想の社会のあり方とをつなごうと試みている。
著者によれば、アダム・スミス的には、資本主義経済の下で市場経済を回復させる試みが「株式会社」だが、この株式会社の理想を、現代によみがえらせようとしているのが社会的企業だという。社会的企業とは、「福祉・教育・環境といった、従来なら政府か、あるいはNPO・NGOしか取り組むことのなかった社会的課題に対して、これを企業の本業として引き受け、しかも、自らの事業収入によって、こうした問題に取り組んでいこうとする民間企業体」(pp.14-15)で、「NPOでもなければ、株式会社でもない」のだという。
社会的企業を、アダム・スミスの『国富論』とつなげて論じるような文献は、読むのが初めてだったので、とても新鮮だった。また、そした、「株式会社でもないし、NPOでもない」という某一般財団法人の運営にプロボノで関わっている身としては、何か心の琴線に触れるものがある本だった。
ふつうの人々が、自分のささやかな得意を活かして参加できること、その得意を生業にして、他の人々と交換の関係を結んでいくこと、そうして広がる分業と協業の秩序が、生活に必要な「必需品と便益品」を、社会の隅々にまで行き渡らせるようになること。これがスミスの考える市場経済の姿であり、『国富論』の描こうとした、貧困のない社会の風景だった。これが、資本主義経済の経験を経て実現されたと見るか、それとも、似て非なる世界に変わってしまったと見るか、その判断は、基本的に、わたしたち一人ひとりに委ねられていると言っていいだろう。(pp.208-209)―――僕も、これからも自分のささやかな得意を活かしてやれることをやっていこうと思う。
それともう1つ。本書の中であまり本論の文脈とは関係がないけれど、自分の印象に残った記述をもう1カ所引用しておく。
もちろん、不均衡による拡大をいつまでも許容することはできないけれども、少なくとも福祉・教育・環境といった分野に比重をかけ直した経済は、じつは高成長化しやすい経済になるはずなのである。普通、そうした経済のことを、強い経済というのではないだろうか。
福祉・教育・環境といった分野に、人とお金を回していくと経済が弱くなるという話は、経済学的にはまったく支持されない話なのである。経済学が示唆する解釈はその逆で、経済の体質はむしろ強くなるはずなのである。そして今、そうした分野を担う新たなエージェントとして、社会的企業という新しい存在が現れつつあるのである。社会的企業の経済学的な位置づけとは、まずはこのようなものであることを、わたしたちは1つ知っておいていいだろう。一言で言えば、社会的企業は、これからの時代における、マクロ経済的な要請に適合性を持つ存在なのである。社会的企業が担おうとする分野を広げていくことが、経済の体質をじつは強くすることになる。これは何より、経済の冷徹な論理が示していることなのだ。(p.202)
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