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Number 999「名将・野村克也が遺したもの」 [ベースボール]

内容紹介
●追悼特集 名将 野村克也が遺したもの。
2020年2月11日、日本のプロ野球を代表する知将がこの世を去った。自らを月見草に喩えながらも、27年間、第一線で戦い続けた強打の名捕手。ID野球とも呼ばれた「考える野球」で、弱小球団を栄光へ導いた名監督。唯一無二の野球人だった野村の実像とは。そして彼が遺したものとは――。今や球界全体に広がる盟友・愛弟子たちが、惜別の言葉とともに振り返る。

野村克也さん逝去の報は、2月の日本を駆け抜けた。断片的なニュースでも、自分が野村さんからどのような影響を受けたか、野村さんがどのように自分に接してくれたのかなど、野球人のコメントを数多く報じられている。贔屓の中日ドラゴンズが長年の低迷状態にある中、僕はプロ野球関係のことはこのブログでほとんど書いていないが、昔読んだ本の中には、『野村ノート』も含まれている。このブログを開設してからまだ1年も経たない、初期の頃の読書日記として。

そんな野村克也さんの追悼特集を、隔週刊のスポーツ雑誌Numberが組んだ。Number自体も通巻999号、いよいよ大台乗せという直前の特集になる。先週末、僕は1週前とはいえ彼岸の墓参りも兼ねて里帰りした。東京駅新幹線のキオスクで、売られていたNumberを購入し、他に携行していた本を全部読み切った後、復路の新幹線車内で特集記事だけは読み切った。第2特集であるベイスターズの記事の方は読まなかった。僕もドラゴンズファンなので(苦笑)。

あんなに口の悪い指揮官で、上司には持ちたくない、特に自分がキャリアを積んで仕事に関して一家言あるような現役晩年になってくると特に上司に持ちたくなくなるタイプの人だ。あるいは、現役を退いてコーチングスタッフに名を連ねるようになってからであっても、こういう、注文の多い管理職の下で働くのは嫌になる。体調崩す人だっているだろう。自分がここ2カ月ほどそういう状態にあったから余計に身につまされる。僕の場合は後になって振り返ってみたからといって、「〇〇さんに育ててもらった」な~んて感謝の言葉は、絶対に言わないと思うが(苦笑)。

でも、これだけ多くの野球人が、「ノムさんに育ててもらった」と感謝の言葉を語っているというのもすごいなと思う。身近にいないと凄さが実感できないが、結果として成績を残しているのだから、信じてついていくことができたのだろう。阪神の矢野や楽天の山崎、鉄平など、ドラゴンズ出身者を再生して、豊かな野球人生を歩まして下さったことには感謝する。

ヤクルト時代のID野球の威力がそれだけすごかったから、それをまねようとするチームも出てきたり、大リーグでもセイバーメトリクスが出てきたりして、それだけID野球の効力は2000年代以降逓減してきているようにも見える。誰もやってなかった頃は革命的だったが、みんながやりだしたら革命じゃなくなる。裏をかいて別の攻め方をするようなケースも出てくるだろうし、阪神や楽天で優勝にまで至らなかったのはわからぬでもない。それだけ、ノムさんが育てた人材が、各所で活躍を始めていたということなのだろうと思う。

昨日、職場の新人を連れて、近所のお寿司屋さんにランチに出かけた。もうこの界隈では20年近く営業していて、僕が初めてこの地に着任した2003年10月にも、僕の前任者に連れてきてもらった、僕にとっては市ヶ谷での最初の外食であった。久しく行ってなくて、それこそ10年近いブランクがあったが、久々に入った店内で、ノムさんの色紙やサイン入りユニフォームの展示が目に飛び込んできた。ノムさんの著書もほとんどすべてが置かれてあった。

ランチを済ませ、お会計してお釣りをいただくのを待っていた時、お店の店員の方々がノムさんを囲んで撮られた写真も飾られているのに気づいた。いつ頃の写真ですかと尋ねたところ、「つい最近です」と仰っていた。

「いい人を亡くしましたよね」―――一瞬しんみりした。店主の目が優しそうだった。



タグ:野村克也
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