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『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』 [読書日記]

出版社からのコメント
◎もはや論理的思考・MBAでは戦えない……
◎「直感」と「感性」の時代
◎組織開発・リーダー育成を専門とするコーン・フェリー・ヘイグループのパートナーによる、複雑化・不安定化したビジネス社会で勝つための画期的論考

最近、著書をやたらと書店店頭で見かけるようになった人だ。そしてその著書の多くが「アートとサイエンス」というキーワードを用いている。昔からそうだったかというとそうでもないらしいが、この人を「アート vs.サイエンス」という切り口で有名にしたのは、2017年に出た本書だったのではないかと思う。

世界のビジネスエリートが美意識を磨くのに美術館に出かけている、なんて主題の類書が何冊か出ている。この歳になって大学1、2年次に主に単位取得する一般教養科目―――リベラルアートの重要性が理解できるようになってきた僕らの世代にとっては、心の琴線に響く主題だとはいえる。

実際、本書の冒頭でも、グローバル企業の幹部が美術系大学院のエグゼクティブ向けプログラムに参加する話が登場する。ただ、そのおかげで、僕は「美意識=美術」なんだと思いながら読み進めてしまった。美術館なんてほとんど行かない50代のオッサンには、もはやなんともしがたい領域だよね。僕は早々に諦めの境地である。それに、本書は、美意識を前面に出して成功している日本企業のケースとしてマツダを取り上げているが、確かにマツダの最近の車はなんか違うと思うところはあるけれど、食指が動くかと言われると、僕の好みにはちょっと合わない。もっとも、自分が今乗っているホンダの車に関しては、インテリアはもうちょっとなんとかならないのかなと思ってしまうけれど。

どこかの大臣が「セクシー」なんて言葉を国際会議の場で使って本邦メディアが目くじらを立てていたのを思い出す。僕がいる業界でも、「美しい姿」「美しくない姿」という言い方は昔からよく聞いた。そのアイデアや構想の全体像が、しっくる来るか否かというところを示す言葉だ。そこにはある種の美的センスも伴っていたとも思う。なので著者の言わんとすることもなんとなくはわかる。でも、それが美術館に行ったり美大のエグゼクティブプログラムを取らないと学べないのかというところでの引っかかり、「今さら」感を常に感じながらの読書だった。

それでも救われたと思えたのは、文学や詩もありという、本書でも相当大詰めになってようやく出てきたこの「アート」の領域の拡張にあった。僕は美術についての造詣はないけれど、本だけは人に胸が張れるぐらいは読んでいる。こういうビジネス書や専門書ばかりじゃなく、小説も読むし、気が向けば文学書だって読まないわけでもない。勿論、文学や哲学に造詣のある人は美術にも造詣がなければならないと言われてしまえばそれまでだが、世の中のオッサンに比べれば僕はまだましなのかなと思う。

欧米の人がやたらと個展や文学、偉人の言葉を引用して、本を書いたりスピーチをやったりするのを見て舌を巻き、自分もそうならなきゃと思ったことがある。それで自分がやるスピーチの中で他人の言葉を引用するというのを常套手段として使うようになった。それもあったからか、「あいつのスピーチはインパクトがある」と一目置かれるようになった。そういう経験は自分自身でもしてきているだけに、本書の論点は非常に腑に落ちる。そうしたなんとなくわかっていたことを文章化してくれたのが本書の付加価値なのかとは思う。

ただ、腑に落ちないところもある。それが本当に日本と欧米との対比で日本の組織特有の課題なのかという点である。だって、1970年代から80年代にかけて、日本企業は欧米の企業よりもパフォーマンスが良く、「日本的経営」としてもてはやされた時期があったではないか。その当時はもてはやされた日本的経営が、今どういう位置付けでこうなっているのか、もてはやされた当時は、日本の組織経営者は今の経営者よりももっと美意識に富んでいたのだろうか、そうだとしたら、日本が美意識というものへの軽視に至ったのはなぜなんだろうか、そういう疑問にはこたえて欲しい。

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