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『三宅島流人 小金井小次郎』 [読書日記]

三宅島流人 小金井小次郎

三宅島流人 小金井小次郎

  • 作者: 下村 昇
  • 出版社/メーカー: 勉誠出版
  • 発売日: 2000/05
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
小次郎は若くして親に勘当され、侠客として頭角をあらわした、したたかな博徒であった。国定忠治とも互角に対決し、獄中で新門辰五郎と義兄弟の契りを結ぶ。流人でありながら、なぜ島の人々から敬愛されるようになったのか?島の人々のつらい暮らしぶりと、小次郎の生き方を知っていただいて、強い心を持ったこどもを育てるよすがとしていただきたい。―漢字教育の権威・下村昇先生が語るやさしい小次郎伝。
毎年、春と秋のお彼岸の時期になると、我が家では妻の父方と母方のお墓参りを行なう。僕の方の墓参りはなかなか行なえない中、ほぼ欠かさず家族全員で出かけるお彼岸の墓参りは、僕が少しだけ故郷の祖父母のことを偲ぶ貴重な機会でもある。

妻の父方の墓地は東京・小金井にあるが、毎回お墓参りに行くたびに、墓地内にひときわ目立つ墓碑に目が行く。「小金井小次郎君追悼碑」と書かれている。「小金井小次郎」って誰だろう?清水次郎長みたいな人だったらしいよ…。そんな会話を毎回毎回妻と交わす。墓碑のまわりを見たら、調布だの府中だのの誰々といった寄進者の名前に交じって、遠く厚木とかの人の名前が彫られていたりする。多摩一円に相当な数の子分を抱えていた大親分だったらしい様子が窺える墓碑だ。

どうもうちの妻の家系に繋がる有名人であるようだし、少しぐらい調べておいたら、次のお墓参りの時にはもっとよく知ることもできるかもしれない―――そう思った僕と妻は、先ずは「小金井小次郎」でグーグル検索をかけ、小金井市役所のHPや、街歩きマニアのブログ等でどういう人なのかを調べてみた。そして、小金井小次郎に関する本も何冊か出ていることがわかった。そのうち、最も最近出版されている1冊を近所の市立図書館で借り、さらに読んでみることにした。本日ご紹介の1冊だ。

小金井小次郎は、上州の国定忠治とも親交があったばかりか、清水次郎長とは義兄弟の契りまで交わしているという。そして、賭博が過ぎて幕府に捕らえられ、三宅島に流刑になり、そこで12年間流人生活を過ごす間に地元島民を味方につけ、同じ流人を子分に従え、多摩一円の親分子分からの仕送りも受けて、三宅島の生活改善に貢献したとある。芝居・演劇のような娯楽の機会を作ったり、井戸を作ったりした。そして、大政奉還とともに赦免され、島を離れることを赦されるが、6年後の1874年に子分を連れて再び三宅島に渡って炭焼きを始めたが、この年に起こった三宅島の噴火で撤退を余儀なくされる。小次郎が東京で亡くなったのは1881年、63歳だった。

著者は子供の教育を研究する学者さんで、専門は国語らしい。どんな問題意識でこの本の執筆に取りかかったのかは、あとがきのところで述べられている。
子供たちが、小金井小次郎という人物がかつて実在したこと、彼が取り締まる側の役人ではなく、取り締まられる側の流人の身でありながら、島人や流人仲間の慰問を計画し、生活の元になる水の確保のために溜め井戸を築き上げたという事実、さらには赦免後、ふつうなら背を向けたくなるであろうこの島に舞い戻り、製炭事業を興そうとしたこと、こうしたことをきちんと知ってほしいと思う。(中略)知的好奇心・探究心を持たせること、郷土の歴史や文化・伝統の理解を深めること、そして愛する心を育成すること、強靭な意志と実践力、自己責任の自覚や自律、自制の心、たくましく生きる力を養うこと、これらは新しい教育課程の基準のねらいになっている。本書がそうしたテーマに沿って話し合う材料としてもらえれば幸いと思う。是非とも小学生を持つ両親、教師のみなさんの口を通して教えてやってほしいと思う。(p.253)
まあ、うちの家系が小金井小次郎にも繋がっているんだから、次の墓参りの時には、うちのご先祖様の一族には、こんなカッコいい任侠の人もいたんだということ、そして、元々は北条氏の家臣で相模国津久井郡根古屋城主・鴨下出雲から出ているらしいということ等、うちの子供達にも話して聞かせてやりたい。

ただ、この本はタイトルには要注意だ。「小金井小次郎」のことは紙面の半分程度で、あとの半分は伊豆七島への流刑制度の歴史や流人の現地での生活について書かれている。それはそれで面白いが、「小金井小次郎」からは大きく脱線し、時に鎮西八郎源為朝、宇喜多秀家なども登場するし、三宅島ではなく、八丈島や神津島の話だったりもする。「小金井小次郎」のネタだけでは1冊持たせられなかった著者の苦労が偲ばれる。

さて、こうして小金井小次郎のことを知るにつけ、三宅島というのもだんだん身近に思えてきた。職場の剣道同好会にいた同僚が、2年近く前に会社を辞めて三宅村役場に転職した。「三宅島にいらして下さい」と随分と誘われ、同好会の剣道合宿を三宅島でやろうかなんて話も時々盛り上がるが、剣道だけなら僕はいいにせよ、他の家族が持たないので、何となく話を進める気持ちにもなれないでいた。今回このような形でうちの妻の家系と三宅島の意外な接点を見出すことができ、三宅島に行ければ小金井小次郎ゆかりの地を巡るというような名目も立てることができることがわかった。

2000年の噴火で全島民の退避を余儀なくされた三宅島で、今これら小金井小次郎ゆかりの地がどうなっているのかはわからない。本書も2000年の大噴火の前に出版されているので、その辺のことには触れられていない。もし縁あって島を訪ねることができたなら、今どうなっているのかをちゃんと調べてみたいものである。剣道家というよりも、歴史オタクとしての血が今から騒いでいる。


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