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週報(3/5 - 3/11) [備忘録]

今週最も驚いた記事はこれだ。8日(木)に帰宅途中地元のコメダ珈琲店に寄って東京中日スポーツを開いたら目に飛び込んできた。コルツも思い切ったことをしたもんだ。スタンフォード大のアンドリュー・ラックが相当いいQBだというのは聞いていたけれど、これからドラフト指名するQBと輝かしい実績をあげてきたペイトンを比較して後者を切るというのは、井端や森野を切れなくて結局高橋周や堂上直、吉川らに十分実戦の機会を与えていない高木ドラゴンズの現状とよく似ていると思う。

ペイトンはどうするんだろうか。そもそもコルツは「QBペイトン・マニング」を前提に攻撃システムを組み立ててきたチームだ。昨季はそのペイトンが故障欠場したため、控えQBが高度な攻撃システムに習熟し切れず、連敗に連敗を重ねたのだと思う。もう1年は辛抱して「QBアンドリュー・ラック」でシステムを組み立て直すつもりなのだろうか。それと、ペイトンの高度な攻撃システムが移籍先ですぐに構築できるとも思えないので、ペイトンの去就はかなり注目だと思う。

【すっきりしない…】
今週もあまり体調良くありません。日々の日誌で書いたけれど、5日(月)は急な仕事で睡眠2時間の夜間作業を強いられ、にも関わらず翌6日(火)は夜の宴会に出た。この年齢になると無理な夜間作業をやるとその後数日は体調が良くない。ずっと両肩の痛みと膝の痛みがあり、時々腰痛もある。その状態で9日(金)は二次会、三次会にまで至る飲み会に出たら、翌10日(土)は二日酔いの上に悪寒がひどい。こんな一進一退の繰り返し。

3月5日(月):本来金曜日締切だった作業がその日のうちに頭の整理がつかず、週明け朝一番で回答すると猶予をもらっていた作業が1つあった。週末は別の資料の読み込みに充てていたので頭の整理をする時間を作れず、この日は朝6時40分に自宅を出て、職場の最寄り駅近くのコーヒーショップで少し頭の整理をしてから職場入りし、2頁ほどのメモを書き上げて作業取りまとめ役のスタッフに朝のうちに送っておいた。午後も少しずつ仕事を片付けていったが、夕方になって急遽部長主催の打合せに同席するよう求められ、最初は17時30分スタートと聞かされていた打合せが延びて、18時30分頃からスタートとなった。

打合せでは、分厚い原稿コピーを渡され、今晩読んで明日までにコメントが欲しいという。水曜日に出版社に渡す本の原稿だ。目の前が暗くなった。これだけの分量を一晩で読み込む自信が全くない。単にコメントするだけならいいが、出版社に渡す原稿だから、それなりに目を皿のようにして読み、誤字脱字や用語の不統一、論理展開の不備などを指摘し、かつ改善策の提案も具体的にしなければならない。

お陰で、この日の時間外に集中してやろうと考えていた大学院関係の仕事は後回しにせざるを得なくなった。取りあえず職場を出て、自宅最寄り駅近くの喫茶店で1時間ほどかけて20頁ほど原稿を読み込んだ。頁数を勘定してみたら、A4判190頁だった。1時間20頁ペースなら、9時間半でなんとか終えられる。翌日の始業時刻から逆算して、2時間程度の仮眠は取れると判断し、22時少し前には帰宅し、妻に午前零時に起こして欲しいと頼んで取りあえず寝た。冒頭書かなかったが、この日も午前3時に起床していたので、かなり眠かったのだ。

6日(火):午前零時起床。目が覚めるのに30分ほどかかり、さらに身支度を整えるのに1時過ぎまでかかったが、その後外出して24時間ガストに行き、4時半過ぎまで原稿チェックをやった。途中睡魔に襲われて意識朦朧とし、原稿チェックに集中できない時間帯も度々あり、あまり効率いい作業にはならなかった。帰宅後朝風呂に入って出勤準備し、6時20分に家を出、職場最寄り駅に7時過ぎには到着し、朝マックで1時間、職場入りしてさらに2時間ほど費やし、なんとか190頁を全部読み切った。それから至急コメント案をメールにまとめて関係者と共有し、赤ペンを入れまくった原稿は、執筆者の助手に渡して修正作業に入ってもらった。疲労困憊の僕は昼休みも仮眠を取って過ごした。

午後は幾つかの仕事を片付け、定時に職場を上がった。だがこの日は自宅にまっすぐ帰らず、地元の国際交流協会の委員会に出席した。僕が準備に関わってる4月21日のイベントの準備進捗報告を兼ねていた。このイベント自体は次年度開催となるが、国際交流協会自体が次年度から組織改編があるため、この日は国際理解活動を企画立案・実施する委員会としては最後の集まりだった。このため、委員会終了後はメンバーによる打ち上げがあり、近所の高級中華料理レストランで飲んだ。当然ながら酔いのまわりが速かったが、委員にはご高齢の方が多いのでお開きになるのも早く、しかも自宅から近かったので、22時前には帰宅。すぐに就寝した。

この日は夕方会社を出て暫くして、舞っている花粉に気付いた。鼻がむず痒くなり、目がしょぼつくようになった。

7日(水):朝出社してみると、南米某国の支社から僕宛にメールが届いていた。先週前半に自分が起案した同支社長宛業務依頼電の中で本信とは別途「送る」と述べてあった予算の送付が、1週間経ってもなされていないがどうなっているのかとの問い合わせだった。予算の送付は先週水曜日に管理部門の担当スタッフの席を訪ねて直接依頼した2件の作業のうちの1つだったのでどうなっているのか彼女に尋ねたところ、何か確認したいことがあって処理を止めていたとのこと。「至急やります」と言われて1日待ったが、僕が午後別件の会議で2時間会議室にこもっていて17時を過ぎてしまった時点でも処理された形跡がなかった。「至急やります」と言ってた担当スタッフは、育児時間を取っているので既に退社してしまっていた。おいおい、俺は支社からの問い合わせに対してどう答えたらいいんだよ~。

3月8日(木):できたら剣道の稽古に行きたいと考え、朝8時前に会社入りした。昨日から持ち越しになってしまった作業が2つあり、それらを片付けた。稟議書2本を作成し、自分で持ち回った。育児時間で帰ってしまったスタッフの仕事のカバーである。早口で言い訳されたけれど、ポイントがずれているような気がした。午後も同様の作業をした。18時前に会社は出れる態勢にはなったが、この日できれば午前中に読み切りたいと思っていた資料の読み込みが進んでいなかったので、帰宅途中コメダ珈琲店に立ち寄り、2時間30分かけて英語の論文を読み切った。帰宅は22時近かった。

2日(金):この日は午前9時出勤。前日僕が退社した後に管理部門の課長から送信されていたメールに不愉快な思いを抱きながら仕事した。主に翌週へ向けた段取りに充てた。夕方、本社で行なわれた若手の勉強会に出席、先々月出版された本のことについて話をさせてもらった。僕の職場と違い、本社の若手は活気があるなぁと感心した。そのまま場所を変えて二次会、三次会と付き合ったが、しまいは相当に酔いが回っており、最寄り駅まで午前1時に妻に迎えに来てもらう体たらくだった。

【また週末仕事持ち帰りだ】
10日(土):朝は6時30分まで目が覚めなかった。前夜の睡眠補給が不十分だったのか二日酔いで頭痛がひどく、寒気もした。午前中はカイロプラクティックの予約が入っていたので外出したが、施術後の電車やバスの車内で吐き気がひどくなり、なんとか帰宅はしたものの、横になっているしかなかった。午後は3時間まとめて昼寝。寒気が残っていて剣道の稽古もまた休んでしまった。睡眠時間はたっぷりだったが、22時には再び就寝した。計画通り過ごせなかった休日というのは損した気持ちになる。

11日(日):前日相当に寝たので、この日は午前2時過ぎに起床。24時間ガストで3時間弱の「早勉」、持ち帰っていた英語の論文を読んだ。この週末のノルマは2篇。前日全く何もできなかったので、日曜日は相当頑張らないといけない。しかし、早勉だけでは読み切れなかった。

朝食後、次男を連れて市立体育館へ。この日は春季三鷹少年剣道大会。次男は小学生低学年の部でエントリー。今日も負けたけれど、今まで見てきた彼の試合の中では最も良かった。試合に出るたびに徐々に良くなっている気がする。結果には納得するが、審判の旗の上げ方にはイライラ感が募った。主審がパッと旗を上げると、自信なげに副審の1人がそろっと旗を上げる。なんか主審の判断に引っ張られていて副審独自の確固たる判断で旗を上げていないように感じた。

午前の部が終わって、僕は会場を一時退却し、ファミレスや喫茶店で読みかけだった論文を読み終え、さらにもう1篇の読み込みに入った。大会は終了までかなり時間がかかり、17時近くになっていた。中抜けして論文を読み込んだので作業が滞るという事態はなんとか免れたが、土曜日のロスは十分挽回できず、夜も夕食後2時間30分の仮眠の後、午前零時から読み込み再開し、結局終われなかったけれど午前3時半過ぎにもう一度眠ることにした。

試合会場では、開会式の時に黙とう。
震災の時刻にも、隣りの市役所の防災無線で黙とうのアナウンスがあった。
犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
こうして試合ができることに感謝しないと。
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