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南インドの養蚕村 [シルク・コットン]

1)大迫輝通 「熱帯蚕糸業地域の研究(2)-インドの蚕糸業と蚕糸業地域-」
岐阜経済大学論集 19(3), p1-41, 1985-08  岐阜経済大学学会

2)大迫輝通 「南インドの養蚕村(前)-その実証的研究-」
岐阜経済大学論集 23(1), p27-65, 1989-06  岐阜経済大学学会

3)大迫輝通 「南インドの養蚕村(後)-その実証的研究-」
岐阜経済大学論集 23(2), p59-87, 1989-08  岐阜経済大学学会

依然性懲りもなくインドの養蚕について調べている。今月初旬にご紹介した『日本の養蚕村』の著者が1980年代に発表された論文について本日はご紹介したい。『日本の養蚕村』の序文のところに、著者が南インドをフィールドにして幾つか論文を書いたことについて言及されていた。そこで、国立情報学研究所論文情報ナビゲータ「CiNii(サイニィ)」を使って論文検索を行なったところ、ヒットしたのが上の3論文である。1は著者が1984年夏に行なった3回目の現地調査の結果報告、2と3が発表された時点までに著者は都合5回の現地調査を重ねている。2、3は前編後編の関係にあり、前編ではカルナタカ州マイソール周辺の乾燥(非灌漑)地域の養蚕村での農村調査、後編では同州南東部コラール県の灌漑農業地域の養蚕村での農村調査の結果をまとめている。この前後編を書き上げるまでに、同じ養蚕村を3回訪問している。1の場合も同様にマイソールとコラールの比較を行なっているものの、訪れたのは別の村だったようである。

著者の問題意識は明確だ。天水依存の乾燥農法による桑園の養蚕地域と、灌漑桑園中心の養蚕地域の対照性に注目し、両地域の比較対照を行なっている。ここでは、特に上記3の結論部分の記述を中心にして、両地域の違いを紹介してみたい。

【乾燥農法による無灌漑の養蚕】
地域あるいは各農家における桑園率は極めて高く、1戸当たりの桑園面積もまた大きい。少ない天水のみに依存する無灌漑の桑園であるため、その生産性は低く、また不安定性が目立つ。桑樹、蚕種ともに改良が遅れ、在来種が中心。

【灌漑桑園による養蚕】
桑園の規模は小さく、桑園率、1戸当たり面積ともに非灌漑地域のそれを大きく下回る。しかし、生産性は高く、特に桑園については非灌漑のそれを数倍上回る。桑園、蚕種ともに、乾燥農法の地域に比べて改良が進んでいる。また、し行く回数は、非灌漑地域のそれより多く、器材の利用(借用も含む)や労働力(臨時雇用を含む)をみると、いずれも乾燥農法を上回っている。

相対的に言って、乾燥農法地域の養蚕は粗放的で、灌漑養蚕においては集約的と評される。

また、両地域では、養蚕農家の桑(栽桑)に対する考え方、例えば基本姿勢と桑園の土地利用上における地位が大きく異なると論文では指摘されている。非灌漑地域では、耐旱性作物として桑が固執されているのに対し、灌漑地域では灌漑用作物として高い生産性と収益性への期待の下に栽培されている。そして、土地利用上での桑園の地位も、非灌漑地域では桑園率は極めて高いが、灌漑地域では低い。乾燥地域では生産量を高めるため、自家用食料作物を除いた他は桑園として利用しているが、灌漑地域では高い生産性のため、桑園面積は小さいけれど、いずれの地域においても最高の現金収入源となっている。

しかし、1980年代、乾燥農法地域では灌漑化の進展に伴い、桑園は減少傾向にある。マイソール県で灌漑養蚕を行なっている農家では、桑は各種灌漑作物による多角経営の一環という低い地位に転落しつつある。つまり、乾燥地域の養蚕農家は、耐旱性の強い作物という理由で桑を栽培していたが、灌漑施設導入の強い意欲を持つような灌漑養蚕農家では、養蚕に対する意欲が低下する傾向が見られる。将来への志望を見ると、拡大よりも現状維持というのが多い。

これに対してコラール県のような灌漑養蚕地域では、逆に桑園は増加傾向にあって、そのウェイトはいっそう高まりつつあるという。顕著な桑園拡大志向、蚕室のような施設設備の整備意欲、将来への経営規模拡大希望というのが殆どだという。

このように、非灌漑地域では養蚕に対して消極的であり、灌漑地域では逆に積極的態度が目立つという。

以上は1980年代の農村調査において観察された傾向であるが、本ブログで度々言及してきた通り、マイソール市周辺では都市化という別の要因もあって桑園面積が減少しているという報道は現在でもなされている。灌漑が可能になれば桑よりも別の近郊作物でも作ろうという消極的な養蚕農家が多ければ、早晩マイソール周辺での養蚕はその役割を後退させることにはなるだろう。逆に、コラール県では、当時と比べて現在の方が養蚕が盛んに行なわれるようになってきているのではないかと想像する。

一方で、本論文は、この地域に二化性養蚕が普及する以前の調査結果に基づいている点にも注意が必要だ。著者が1980年代に訪ね歩いたカルナタカ州南部の養蚕地帯に二化性蚕に特化した飼育を行なっている農家が増えてきた場合、これらの養蚕村に何が起こったのか、どのようなインパクトを二化性養蚕が与えたのかは興味あるところだ。想像としては、マイソール県とコラール県では初期条件が相当違うので、二化性養蚕がより普及したとしたらコラール県の方なのではないかと思っている。いずれ調べてみたいと思っている。

さらに、大迫教授が農村調査をされた1980年代と比べて、殆どの農家で世帯主の交代が起きているのではないかと思われる。当然、当時の1世帯当たりの家族数と比べて、今の家族数の方が少なくなっていることも想像できるわけで、そうした中で、養蚕継続の際の労働力調達のあり方も当時と今とではかなり違ったものとなっているに違いない。80年代に一家の大黒柱だったような人は、今や60代か70代であろう。ご健在であれば養蚕におけるこうした方々の役割とは何かについて聞いてみたいものである。これもいずれ調べてみたい。
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