でたらめ字幕に大爆笑 [インド]
先週のことであるが、西ベンガル州出張前夜、身支度をしながら昔のボリウッド映画のDVDを観はじめた。1997年のヤシュ・チョプラ監督作品、シャー・ルク・カーン、マードゥリー・ディクシット、カリーシュマー・カプール主演の『Dil To Pagal Hai』(「心は乱れて」といったような意味でしょう)である。1997年最大のヒット作で、ボリウッド映画ファンならDVDのストックに絶対入れておくことをお薦めしたい作品である。シャー・ルク・カーンのファンの方は勿論のこと、この作品を見た人はマードゥリー・ディクシットの踊りの凄さを実感できるに違いない。
現在でも彼女に匹敵する踊り手はアイシュワリヤーぐらいしかいないだろう。今となってはオバサンの域に達しつつあるし、この作品公開当時も、このプージャ役を演じるには実年齢が10歳ぐらい高いので多少無理があるような気がしたが、ショービズ業界を扱っていてミュージカルを多く盛り込んでいる作品では、彼女ぐらい踊れるキャストを使わなければいけない必然性があったように思う。それに、1990年代のボリウッド女優としては、文句なしに最高の美人だろう。
カリーシュマーについては今をときめくカリーナの姉で、当時はイケイケドンドン的な役柄が多くてこの作品もその1つであるが、見なおしてみると意外と助演としてはとてもいい演技をしていたような気がする。親の七光で女優になれただけで、演技力はあまりないなと当時は思っていた。
というわけだが、ストーリーについては紹介しません。むしろ、今日の話題はその字幕になる。デリーでこの作品のDVDを購入して驚いたのは、字幕の言語選択の中に日本語が含まれていたことである。これは丁度いいと思い、日本語を選択して観はじめたのだが、翻訳がひどくて妻と2人で大爆笑してしまった。
「静かな泥棒のようにいつかもしりません、愛の最初の一見は、私の心を盗んだ。」
「月光は私の道路に、そして私の家に来た。「あなたは恋に落ちるべきである」と言うために。」
「ちゃんと会うわかりました。」
「2人の愛好家が初めて会うとき、非常にゆっくりとそれが愛を教える、それは彼らを笑わせる、そしてそれは彼らをなかせる」
「これらの物語を断念しなさい。狂気のこれらのすべての表示、すべての人々の心配、このばかげた心のおかげですべてである」
「おお雨のキング、あなたはどこからであるか?」
この辺までならまだまだ何が言いたいのか想像できるから許せる。しかし、どうも途中で翻訳者が交替したのか、最後のクライマックスシーンの字幕は完全にデタラメで、何が何だか全くわからなくなった。
「脂っこい 麿 恋仲 麿!」
「想い 其れ故、万物の霊長! 万丈」
「麿 ノウ アト 女の子 when 彼奴 微笑 イット 降雨」
「麿 ノウ 一男 when ヒューマンエンジニアリング sings」
「拝啓 what's 続発? 麿 don't 全く ノウ」
(これだけは解説可能。原文は「アレレアレレ、キャーフワー(あらら私どうしちゃったのかしら)」で、それに近い翻訳をしていた字幕が途中で出てきていた。だから、同じ訳文になっていないということは、訳者が交替したとしか思えないのである。)
そういうわけで、この日本語字幕も本作品の魅力(?)として紹介しておきたい。はっきり言って笑える。シリアスなシーンでこの訳だから、字幕が作品のイメージを台無しにしているとも言えるが。こんな翻訳でも食っていけるんだったら、僕が本気でヒンディー語を覚えて字幕翻訳の仕事でもやったらそこそこやれてしまうのではないかという気もした。それ以前に、インドにおける日本語学習層の底の浅さを垣間見たように思う。インド国内にある大学で日本語を教えている先生方には仕事柄お目にかかったことも何度かあるが、皆さん非常に日本語がお上手だった。それなのに、何でこんな翻訳がまかり通ってしまうのだろうか。笑える作品だったが、こんな字幕なら英語の方がまだましだ。
記事掲載通算1000号に到達しました。
これからもヨロシクお願いします!!
現在でも彼女に匹敵する踊り手はアイシュワリヤーぐらいしかいないだろう。今となってはオバサンの域に達しつつあるし、この作品公開当時も、このプージャ役を演じるには実年齢が10歳ぐらい高いので多少無理があるような気がしたが、ショービズ業界を扱っていてミュージカルを多く盛り込んでいる作品では、彼女ぐらい踊れるキャストを使わなければいけない必然性があったように思う。それに、1990年代のボリウッド女優としては、文句なしに最高の美人だろう。
カリーシュマーについては今をときめくカリーナの姉で、当時はイケイケドンドン的な役柄が多くてこの作品もその1つであるが、見なおしてみると意外と助演としてはとてもいい演技をしていたような気がする。親の七光で女優になれただけで、演技力はあまりないなと当時は思っていた。
というわけだが、ストーリーについては紹介しません。むしろ、今日の話題はその字幕になる。デリーでこの作品のDVDを購入して驚いたのは、字幕の言語選択の中に日本語が含まれていたことである。これは丁度いいと思い、日本語を選択して観はじめたのだが、翻訳がひどくて妻と2人で大爆笑してしまった。
「静かな泥棒のようにいつかもしりません、愛の最初の一見は、私の心を盗んだ。」
「月光は私の道路に、そして私の家に来た。「あなたは恋に落ちるべきである」と言うために。」
「ちゃんと会うわかりました。」
「2人の愛好家が初めて会うとき、非常にゆっくりとそれが愛を教える、それは彼らを笑わせる、そしてそれは彼らをなかせる」
「これらの物語を断念しなさい。狂気のこれらのすべての表示、すべての人々の心配、このばかげた心のおかげですべてである」
「おお雨のキング、あなたはどこからであるか?」
この辺までならまだまだ何が言いたいのか想像できるから許せる。しかし、どうも途中で翻訳者が交替したのか、最後のクライマックスシーンの字幕は完全にデタラメで、何が何だか全くわからなくなった。
「脂っこい 麿 恋仲 麿!」
「想い 其れ故、万物の霊長! 万丈」
「麿 ノウ アト 女の子 when 彼奴 微笑 イット 降雨」
「麿 ノウ 一男 when ヒューマンエンジニアリング sings」
「拝啓 what's 続発? 麿 don't 全く ノウ」
(これだけは解説可能。原文は「アレレアレレ、キャーフワー(あらら私どうしちゃったのかしら)」で、それに近い翻訳をしていた字幕が途中で出てきていた。だから、同じ訳文になっていないということは、訳者が交替したとしか思えないのである。)
そういうわけで、この日本語字幕も本作品の魅力(?)として紹介しておきたい。はっきり言って笑える。シリアスなシーンでこの訳だから、字幕が作品のイメージを台無しにしているとも言えるが。こんな翻訳でも食っていけるんだったら、僕が本気でヒンディー語を覚えて字幕翻訳の仕事でもやったらそこそこやれてしまうのではないかという気もした。それ以前に、インドにおける日本語学習層の底の浅さを垣間見たように思う。インド国内にある大学で日本語を教えている先生方には仕事柄お目にかかったことも何度かあるが、皆さん非常に日本語がお上手だった。それなのに、何でこんな翻訳がまかり通ってしまうのだろうか。笑える作品だったが、こんな字幕なら英語の方がまだましだ。
記事掲載通算1000号に到達しました。
これからもヨロシクお願いします!!
千記事達成おめでとうございます!
ボリウッドというのは始めて聞きました。インド映画は踊る~くらいしかみたことがありませんので。
翻訳ソフトのような字幕ですね。経費削減で、使ったのでしょうか?
by 降龍十八掌 (2008-11-08 20:11)