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『「ノーマリゼーションの父」N・E・バンク‐ミケルセン』 [仕事の小ネタ]

「ノーマリゼーションの父」N・E・バンク‐ミケルセン―その生涯と思想 (福祉BOOKS)

「ノーマリゼーションの父」N・E・バンク‐ミケルセン―その生涯と思想 (福祉BOOKS)

  • 作者: 花村 春樹
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 1998/07/25
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
本書は、「ノーマリゼーション」という福祉思想が誕生した背景を述べ、今後への展望を探るため次のように構成しました。第一部では、「ニルス・エリク・バンク‐ミケルセン」という一人の行政官の生涯を辿ります。それによって、今や世界の福祉の重要な潮流になっている「ノーマリゼーション」という思想が、どのような経緯で彼の中に形成されてきたのか、彼はその考え方をどのように提唱し行政に反映させ、福祉実践に結びつける努力をしたのかを探ってみようと思います。つづく第二部では、彼の思想の一端に触れるため、彼の講演と論文と最終講義を採録しました。これによって、バンク‐ミケルセンの「ノーマリゼーション」という思想を、彼の言葉を通して理解したいと思います。さらに第三部には、ビヤタ夫人と長男オール氏による「思い出」を載せました。家族から見たバンク‐ミケルセン像を通して、彼の人柄を知ることができるでしょう。
【MS市立図書館】
帰国して真っ先に図書館で借りた。MS市立図書館は、分館の1つが僕の最寄り駅にあるが、僕の住民登録はお隣りのMT市で、そのMT市住民の利用に対する処遇を徐々に厳しくしているように思える。数年前に、MT市住民への貸出可能冊数に厳しい制限をかけたのに続き、最近、発刊から2年以内の本の貸出も不可にした。MT市民なんだからMT市立図書館で借りろというのは正論かもしれないが、僕らの最寄り駅はMS市に属するものの、駅南側に住む通勤・通学客の半数以上はMT市住民の筈だ。逆のケースだってあるかもしれないのに、こんな差別的処遇ってありなのだろうか。「悔しかったらMS市に引っ越して来い」とでも言うのだろうか。

それはともかく、発刊から2年以内の本は借りられないMT市の住民としては、MS市立図書館ではそれより古い蔵書しか借りることが許されないのが現状。それで借りた本は、初版が30年も前に出されたバンク‐ミケルセンの評伝である。

バンク‐ミケルセンとその「ノーマリゼーション」という思想は、僕が度々ブログでも言及しているCOTEN RADIOの「障害の歴史」回で取り上げられた。自分の職場では、徐々に障害児向け自助具の研究開発を取組み重点分野として育てつつある。しかし、早くから障害と向き合ってこられた方々の間では、そこにテクノロジーが入って来ることにピンと来ている方はあまり多くなく、どちらかというと、テクノロジーが入ってくることに対して、懐疑的ないしは否定的な反応が返ってくることが多い。

テクノロジーを持ち込んで新たな課題解決の手段にしようとしている側にいる僕らには、なぜそのような反応が返って来るのかが理解しづらい。今さらなのだけれど、どうしたら理解が得られるのかを考える意味でも、また社会・人文科学の面からも、障害をもう一度、勉強し直してみようと思っている。2024年の前半は、そういう時間に充てたいと思っている。

そこで、COTEN RADIOの「障害の歴史」シリーズで、もっとも印象に残った「バンク‐ミケルセン」と「ベンクト・ニィリエ」という2人の北欧人について、学ぶところからスタートさせた。ちなみに、こうやって2人の人物を並べて書くと、バンク‐ミケルセンは名前と姓で構成されていると思いがちだが、彼の姓は「バンク-ミケルセン」で、ファーストネームは「ニルス・エリク」なのだとか。

本書は、バンク‐ミケルセンと親しかった日本の研究者による評伝なので、生い立ちとか、ご家族からの寄稿・祝辞とか、いろいろなものがくっ付いている。重要なのは第3章「バンク-ミケルセンの思想」と第2部「ノーマリゼーションを語る―講演、論文、最終講義、通信文—」で、今後のことも考えて、ここからは引用をベースに本書を通じた「ノーマリゼーション」の理解をここに書き留める。

 この論文の基本的な視点は、知的障害がある人は、たとえその障害がどれほど思いものであっても、また重複障害であっても、他の人びとと全く平等であり、法的にも同じ権利を持つ人なのだということです。

 このことは、障害者は、その国の人たちがしている普通の生活と全く同様な生活をする権利を持つことを意味します。
 彼らには、障害があるのですから、それに対応する特別なニーズがあり、特別なサービス、援助、支援が必要です。
 世界のすべての社会(国)は、人びとが生活する場所、教育の機会、職場、そして余暇を楽しむ機会を提供しています。さらに必要な場合には適切な療育を受けられるようにしています。
 しかし障害がある人にとっては、その国の人びとが受けている通常のサービスだけでは十分ではありません。障害がある人が障害のない人びとと平等であるためには、特別な配慮が必要なのです。
 障害がある人たちに、障害のない人びとと同じ生活条件をつくりだすことを「ノーマリゼーション」といいます。「ノーマライズ」というのは、障害がある人を「ノーマルにする」ことではありません。彼らの生活の条件をノーマルにすることです。このことは、とくに正しく理解されねばなりません。ノーマルな生活条件とは、その国の人びとが生活している通常の生活条件ということです。
(中略)
 ノーマリゼーションを効果的に実施するには、まず人びとが障害者に対する適切な態度を持つようにしなければなりません。知的障害とはどういうことか、障害をもつ人にはどのような援助が必要なのか、という情報が必要です。「知的障害者の親の会」は、この啓蒙活動をすすめる重要な役割を担っています。
 ノーマリゼーションというのは、経済的にお金がかかるので「空想の世界」に過ぎないと断定する人もいます。しかしこれも誤りです。多くの実戦経験を通して分かったことは、終生収容型の大きな施設は、サービスを提供しつづけるために多くの設備と職員がおおぜい必要なので、経費が一番かかる形態なのです。
 ノーマリゼーションとは、特別に新しい哲学でも、またイデオロギーでもありません。むしろ、ノーマリゼーションとは実践なのです。なぜなら障害者に接するのに、特別な設備など必要ないからです。障害のない人に接するのと同じように接すれば良いのです。知的障害者は、他の人びとと変わりなく、同じような家に住み、同じように学校に通い、同じように職に就き、同じように余暇を楽しむ生活をするのが当然なのです。(pp.166-168)

この引用だけで十分かと思う。この引用の中にある、「障害がある人たちに、障害のない人びとと同じ生活条件をつくりだすこと」にテクノロジーを活用しようというのが、僕らのアプローチなのだと、自分なりには理解した。

これに対して懐疑的な反応が返って来るのは、懐疑的になる何らかの理由があってのことだと思うので、それは対話を進める中でおいおい探っていくことにしたい。

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