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『シン・日本プロレス』 [読書日記]

シン・日本プロレス: すべてはここから始まった、総合格闘技の源流と末流

シン・日本プロレス: すべてはここから始まった、総合格闘技の源流と末流

  • 出版社/メーカー: サイゾー
  • 発売日: 2022/12/26
  • メディア: Kindle版
内容紹介
疫病と戦乱の生じさせた黒雲が世界を覆い尽くした2021年から2022年にかけて、前田の個人史に大きな節目が訪れた。自身のライフワークであるファイティングネットワーク・リングスが設立から30年、一応の閉幕から20年を迎えたのだ。22年は古巣・新日本の旗揚げ50周年にも当たる。予期せぬことではあったが、師であるアントニオ猪木に今生の別れを告げる仕儀ともなった。この機会に、前田自身の経験にあらためて斬り込んでみたい。そう考えた。幸運にも快諾が得られ、二度にわたるロングインタビューが実現。その全貌を基底とし、加筆・構成したのが本書に収めた2本の記事である。
【Kindle Unlimited】
僕の親友で、今、北の大地でブックコーディネーターという仕事をしている奴がいる。もう40年近くも続いている大学時代の友人で、バイト先で出会った。そんな彼が今、SNS上で自身の本や書店・出版業界とのつながりを歴史を回顧するメモを時々アップしていて、楽しみに読ませてもらっている。

僕たちは同い年で、立場は違ったけれど、同じ神田の大型書店の同じフロアで働いていた。1984年秋から85年初夏頃までのことだったと思う。当時、僕は週刊プロレスや東スポの読者であったが、彼は週刊ゴング派だった。しかも、どちらかというと新日本プロレスの方のファンであった。全日本プロレスもハンセン、ブロディ、「スーパーフライ」ジミー・スヌーカなんかが活躍していた華々しい時代で、僕も当時住んでいた寮の先輩たちに誘われ、全日の試合観戦に行ったことは何度かあるが、それでも毎週金曜夜8時の「ワールドプロレスリング」は、先輩の部屋で欠かさず観て、その後『ふぞろいの林檎たち』や『必殺』シリーズ、さらには『タモリ倶楽部』に至るまで、先輩の部屋に入り浸っていた。

僕たちが大学2年の頃にIWGPは始まっている。その前年ぐらいに、前田日明は「10種類のスープレックス」と「フライングニールキック」を売りに、新日マットに登場していたと記憶している。その頃から週プロのムックが出はじめていて、それらを買うのに、バイトで稼いだお金を投入していた。

その親友とのプロレスの話題の中で、「前田日明」が話題に上ることはまだなかった。まだルーキーに近かったこともあるし、話題の中心はやっぱり「猪木」だったのである。

その親友が、今、本にまつわる自身の歴史の中で、振り返っているのがこの時期である。彼がいつ頃から週刊ゴングを購読し始めたか、どこで買っていたのか、このFacebookのポストを見て初めて知った。

そんなタイミングでもあったので、しかもKindle Unlimitedだったので、何か当時のプロレスのことを回顧できる本でも読みたいなということで、本書を見つけてダウンロードした。

前田がリングスを立ち上げたあたりから、それ以降は僕もあまり総合格闘技どころかプロレスすら観なくなってしまっていた。断片的な記憶しかなかったのだが、そこはこういう回顧録的なものが出てきて、「ああ、そういうことだったの」と腑に落ちたところは相当ある。

だが、それ以上に、新日本プロレス入りからUWF立上げ、さらにはUWF分裂からリングス立上げに至るまでの歴史を振り返ることができたのが、ほぼ同世代の前田の隠れファンとしては嬉しい。しかも、力道山以前の格闘技の歴史とか、本人が相当勉強し、いろいろな人からも話を聴いて、かなり奥深い知識を有することがインタビューの中からも垣間見える。もちろん、聞き語りするインタビュアー側にも、それなりの裏付けリサーチが求められ、またそれなりの筆力も必要であることは言うまでもない。

本書を読んでみると、改めて前田日明が好きになれる。世間を騒がせたような出来事の真相については、それに関わった人ひとりひとりの見方がある。それに関わった時の立場の違いとか、そこに至る経緯とか、それらを取り巻く人間関係とか、さまざまな要素があるので、1人だけの目線で捉えた「真相」が、他の人にとっても「真相」といえるのかどうかはわからない。前田には前田の言い分があるように、高田にも高田の言い分があり、佐山にも佐山の言い分があり、安生や宮戸にも同様に言い分があると思う。本書だけ読んで真相がわかったような気になるのは危険だが、少なくとも前田はどう見ていたのかは語ってくれていると思う。

この親友と交流していたバイト時代は、今思い返しても本当に楽しかった。学生寮が閉鎖されて、初めて一人暮らしを始め、間に1年間の米国留学を挟んだけれど、1984年秋から1987年夏に至るまで、約3年間にもまたがる神田神保町の日々は、僕にとっても最も懐かしい、青春の日々だった。
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