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『みんなの民俗学』 [読書日記]

みんなの民俗学 (平凡社新書0960)

みんなの民俗学 (平凡社新書0960)

  • 作者: 島村 恭則
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2020/11/13
  • メディア: Kindle版

内容(「BOOK」データベースより)
民俗学が田舎の風習を調べるだけの学問というのは誤解だ。キャンパスの七不思議やわが家のルール、喫茶店モーニングやB級グルメといった現代の日常も、民俗学の視点で探ることができる。本書ではこれらの身近なものをヴァナキュラーと呼んで“現代民俗学”の研究対象とした。発祥の経緯やその後の広がりを、数々のユニークなフィールドワークで明らかにする。
【MS市立図書館】
早いもので、僕が一時帰国してから既に2週間が経過した。この時期の一時帰国は、例年よりも長く見られたサクラを楽しむことができた。しかし、この時期はスギ花粉がひと段落する一方で、ヒノキやハンノキの花粉がピークを迎えるため、僕はお隣りの神社のハンノキの花粉に過剰反応し、東京にいたこれまでの10日間は、連日鼻水と喘息に似た症状に悩まされ続けている。

そんな中、これまで2カ月間の読書のできなさを取り返すため、しばらくの間「読みたい本」リストに挙げてあった本を、近所の図書館で片っ端から借りて、連日読み続けている。

本書もそんな1冊だ。新書なだけに、よほどキンドルでダウンロードしてブータン滞在中に読んでしまおうと思ったかわからない。でも、図書館に行けば待ち時間ゼロですぐに借りられるタイプの書籍だとわかっていたので、ここまで取りあえずは我慢してきた。

本書の印象をひと言で言ってしまえば、以前熱狂的に読みまくった宮本常一を、現代版のテーマに落とし込んで読んでいるような感覚に捉われた。もし宮本常一が今世紀を生きておられたら、同じようなテーマを見出して、その土地に住む人ひとりひとりのライフヒストリーを聴き取って、同じような語り口調で描かれていただろう。

特に興味をそそられたのは、喫茶店の「モーニングサービス」の起源が語られているところだろう。僕は、現庁所在地間比較で1世帯当たりのモーニングへの年間支出額が最も多いと言われる岐阜県の出身だ。帰省すればたとえ1泊2日であっても滞在期間中に必ず1回はモーニングに行く。残念ながら著者や引用されている他の研究でも、岐阜をフィールドにしたものは掲載されていないが、そんなことでも民俗学調査のテーマになるのかと、改めて気付かされた。

喫茶店で朝食を取る理由として、著者は①時間・労力の消耗を軽減する手段、②コミュニケーションの場として必要、という整理をされている。また、訪れる喫茶店もだいたい決まっているだけでなく、座るテーブルまでだいたい決まっているのだと指摘している。

この一般化には、個人的にはちょっと抵抗がある。1つは、自宅で朝食を取らずに喫茶店にモーニングに行くというより、自宅での朝食を軽めにして、その上でモーニングに行くというパターンもあるのではないかという気がする。うちの母は、「モーニングは別腹」と言っている。

もう1つは、地元の人はご近所から異なる喫茶店の情報を仕入れていて、出入りする喫茶店をけっこうな頻度で変えているということである。僕たちがたまに帰省すると、母に連れて行かれる喫茶店は毎回違う。当然、常連さん同士のコミュニケーションの場という要素は薄めで、日常とは異なる空間で、家族や気の置けない友人とのコミュニケーションを楽しむという要素の方が強い気がする。

それはともかくとして、モーニングサービスでも民俗学的調査の対象となるのなら、調査対象にできそうなことは、うちの故郷にもたくさんありそうな気がしてきた。僕は間もなく退職年齢を迎えて、たぶんしばらくの間は故郷で母と多くの時間を過ごすことになると思うが、その中でできるささやかな趣味として、こういう観察ができたらいいなとは思っている。

さて、そんな各論でのツッコミはひとまず置いておいて、序章での概論部分で、とても心に響いた一説があったので引用しておく。

(前略)民俗学がさかんな国や地域は、どちらかというと、大国よりは小国である。また大きな国であっても、西欧との関係性の中で、自らの文化的アイデンティティを確立する必要性を強く認識した国、あるいは大国の中でも非主流的な位置にある地域だという点だ。
 こうした国や地域の人びとは、民俗学の研究と普及を通して、自分たちの暮らしのあり方を内省し、その上で自分たちの生き方を構築することで、自分たちを取り巻く大きな存在、覇権(強大な支配的権力)、「普遍」や「主流」、「中心」とされるものに飲み込まれてしまうのを回避しようとしてきたといえる。(pp.19-20)

こういうところは、今僕が派遣されている国では特に意味があると思うのだけれど、民俗学どころか、文化人類学や社会学もうっちゃって、高等教育が実学の方に流れていくのを見ていると、大丈夫なのかなという気がしてくる。

最後に1つだけ注文。本書はとても読みやすいのだが、本編を通して「民俗学」という言葉が使われているのに、あとがきになった途端、「文化人類学」や「社会学」が登場する。なんとなく市井の研究者が趣味的にコツコツ取り組めるのが民俗学で、文化人類学や社会学はもっと学術的要素が強いのではないかという違いはわかったが、あまり明確な定義もないままに使用されているので、最後の最後に来て「あれ?」と頭が混乱した。
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