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大学は出たけれど… [ブータン]


【抄訳(www.DeepL.com/Translator(無料版)翻訳を筆者編集)】
王立ブータン大学(RUB)傘下の大学10校と私立大学2校からは、毎年何千人もの卒業生が就職市場に輩出される。公務員のほか、民間企業への就職も多い。しかし、特にCLCSとCNRの卒業生は、就職に苦労している様子が窺われる。

CLCS卒業生も同意見で、自分たちが学んだコースは就職市場では需要がないと感じている。雇用主が必要とするスキルを身に付けていないため、就職機会に挑戦することすら躊躇してしまう。CLCS卒業生にとって、唯一の市場はゾンカ語教師だが、CLCSのコースで学んだ知識と、就職先で求められるスキルの間にはギャップがある。CLCSの同窓生のほぼ85%が失業中。大学で教わったことをベースに仕事が得られるのは、工科大学や看護大学の学生がほとんどだという。

CNR卒業生もまた、同じ苦境に立たされている。しかし、CNRの場合、自分たちのコースが就職に関連していると考えている卒業生も少なからずいる。雇用機会が少ないことが失業につながると指摘されている。例えば、CNRのコースと森林管理者の仕事で求められる条件との間には十分な関連性があるが、就職枠はほとんどなく、どの分野でも卒業生の数が常に枠の5倍から10倍になっている。今年のブータン公務員試験では、2つの枠しかなかった。

就職に有利なのは、IT関連のコースだという。

CLCSでは、ブータン・ヒマラヤ研究などのコースを廃止し、2021年にゾンカ・文化研究という新しい学位コースに変更し、就職に有利になるよう改編した。

一方、以前なら求人が発表されると何百人もの求職者が応募し、激しい競争が繰り広げられたが、最近はそうでもないようだ。このため、新卒者や失業者にも多くの求人がある。しかし、その分、応募者も減っている。

CLCSのある卒業生は雇用可能性と彼らの労働市場への備えの関係について、市場が自分たちに求めているものと、自分たちが仕事に求めている内容との間に大きなギャップあると指摘する。卒業時には基礎的なことしか学んでおらず、就職の準備ができていない。就職口は多数あるのに、応募者が少ないという話をよく聞くが、若者が仕事に就かないのは、勉強して学んだ科目と、仕事が求める基準が全く違うからだと指摘する。

CNR学長によると、雇用の問題はどの大学でも同じだと指摘する。国土が狭いので、公務員になれる席は限られている。CNRの場合、自然資源に関する勉学が中心なので、自営業のチャンスならあるし、コースも適切だと強調。しかし、雇用機会という点では、政府が主要な雇用主であり、政府機関では毎年限られた席しかないため、全員が吸収できるわけではない。この点はどこの大学でも同じだと主張。
《後半に続く》
CLCSの学務部長によれば、雇用問題はコースの妥当性の問題ではないと主張する。一般的に、人文科学系の科目を学ぶことは、社会的な思想家、作家、学者になるためのものだ。この問題はコースの妥当性の問題ではなく、職がないことがそもそもの原因だ。社会科学や人文科学の就職先には限りがあり、コースの妥当性の問題ではなく、国内の就職先と卒業生の数との間にギャップがあるのだという。

そのため、教育現場では改革が行われ、一部の高等教育機関では段階的にコースが廃止される予定。

ほとんどの卒業生が、市場への対応力という点で、教えられ学んだスキルと市場への対応力の間にギャップがあると述べている。ジャイ・ビル・ライ教育相も、市場の即応性と教育との間にはギャップがあると指摘する。

「そう、市場適応力と教育との間にはギャップがある。しかし、教育とは就職のための準備をすることではなく、自分の生まれつきの能力を発見することであり、自分で適応し、探求し、イノベーティブになることだ。市場力学など一夜にして変化するものであり、その都度、市場力学に適応するようにシステムを変えることはできない」(同教育相)

一般的な教育レベルは高校までだと教育相は言う。 大学では、スペックを絞り込む必要があるが、応用力や実践力は身につかない。理論や実践は教えられるが、最終的に採用されるスキルを身につけるのは、自分の情熱である、と彼は付け加えた。

「教育のビジョンは、就職に有利になることでも、市場に有利になることでもない。教育の主なビジョンは、より高い目的のために次世代を備えることであり、自分自身の可能性と課題を理解し、その可能性がどこまで行くかを見極めることだ」(同教育相)

ブータンでの就職難という現実が、多くの卒業生のやる気を失わせ、彼らの多くは海外でより良い展望を見出そうと躍起になっている。今回取材を受けた卒業生によると、友人のほとんどがオーストラリアに行き、失業するよりもオーストラリアに行く方が得策だと考えている人もいるとのこと。

僕自身もRUB傘下の大学に身を置いているので、ちょっと身につまされる記事の内容だった。あまりまとまっていないけれど、ブータンの大学と日本の大学を比較してみて大きく違うなと感じることを思いつくままに挙げてみる。

1.学生はほとんどが大学構内の寮で暮らしている。周辺地域との接点がほとんどない。

2.勉強時間を切り取ってバイトに時間を費やしている学生は皆無。

3.試験は人生を左右する大きなイベント。試験前になると、試験以外のことは目に入らない。

4.労働市場との接点は学期中に行われるスタディツアーぐらい。しかも行き先は限定的。

5.大学教員側も教務に忙殺されていて、労働市場との接点を強化しようとの取組みには積極的でない。
 特に、民間企業とのコネクション開拓は熱心とはいえない。

6.民間セクターや公的機関出身者を中途で大学教員に採用する仕組みがない。

7.教員は、RUBの学部卒業生の成績優秀者をヘッドハントして採用されるケースが多い。
 つまり、教員自身が社会人を経験したことがない。

8.学生が何かを自主的にはじめる文化がない。サークルや同好会などは少ない。
 各市民社会組織の大学アフィリエイトとか、外から持ち込まれて設立された「学生クラブ」が多い。
 そして、学生クラブには顧問の教員がいる。

9.学科が縦割りになっていて、横の交流が少ない。
 ややもすると、学生クラブも特定学科の専属だったりする。

10.「ゼミ」という概念が薄い。特定企業や組織とのパイプを持つ教員のゼミというのがない。

そういう目で記事を読むと、ギャップは当然だよなと思う。ただ、ギャップ解消には大学側の変革も必要だし、学生側の意識変革も必要だし、採用する側の変革も必要だ。今までそういうカルチャーの中でやってきてしまったので、どこかだけを変革しようとしても、全体の最適化にはつながらないのではないだろうか。

今、大学教育制度改革が進められている。学科の改編は各RUBのカレッジで進められているようだし、シンガポール人のコンサルタントが来られて、教員の教授法に絞って「教える」から「学びを促す」方向への変革が指向されている。その各々の方向性は正しいと思う。ただ、上で列挙したような「制度」の枠組みまでいじる包括的なものでは必ずしもないとの印象を受ける。

そんな中でも、プロジェクトを通じて僕自身が接点がある学生も多いわけで、ちゃんと仕事について欲しいという気持ちは僕の中では強い。
タグ:RUB 大学教育
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