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『テクノロジーは貧困を救わない』 [仕事の小ネタ]

テクノロジーは貧困を救わない

テクノロジーは貧困を救わない

  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2016/11/23
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
いまだITスキルに大きな格差があるインド。学校では上位カーストの生徒がマウスとキーボードを占領している。「これこそまさに、イノベーションにうってつけのチャンスだ。1台のパソコンに複数のマウスをつないだらどうだろう?…そしてすぐに“マルチポイント”と名付けた試作品と、専用の教育ソフトまで作ってしまった」。しかしその結果は…「ただでさえ生徒を勉強に集中させるのに苦労していた教師たちにとって、パソコンは支援どころか邪魔物以外のなんでもなかった。…テクノロジーは、すぐれた教師や優秀な学長の不在を補うことは決してできなかったのだ」こうして、技術オタクを自任する著者の数々の試みは失敗する。その試行錯誤から見えてきたのは、人間開発の重要性だった。ガーナのリベラルアーツ教育機関「アシェシ大学」、インド農民に動画教育をおこなう「デジタル・グリーン」、低カーストの人々のための全寮制学校「シャンティ・バヴァン」などを紹介しながら、社会を前進させるのは、テクノロジーではなく、人間の知恵であることを語りつくす。
【購入】
以前の海外駐在生活では、一時帰国の際の行きのスーツケースはスカスカで、帰りのスーツケースは日本で購入した食材やら本やらでパンパン、というのがいつものパターンだ。ところが、今回は一時帰国自体が1年5か月ぶりというレアな出来事で、気が付けば残りの駐在生活も1年を切っている。幸いにして拠点を首都から地方都市に移したことで冬物衣料はさほど必要なくなり、その一部は持ち帰る必要性が高まった。加えて、赴任に当たって自分自身の情報武装に必要だと思って買い漁った文献も、残りの駐在期間を考えたら少し減らした方がいいと考える時期になってきた。その結果、スーツケースの中は、お土産の他には冬物衣料と書籍が相当なスペースを占めた。

何冊かの本は未読のままだったので、一時帰国の機内や日本での滞在期間を利用して読み、そのまま日本に置いて行くことを考えている。本書はその第1号であり、パロ~バンコクの機中で読みはじめ、帰国してから2日でなんとか読み切った。またブータンに持ち帰りたい気持ちもないこともないが、心を鬼にして日本に置き去りにしたいと考えている。そのためには、内容で気になったポイントをブログで書き留めて、あとで振り返れるようにしておくことが必要だ。

そんなわけで、以下、ポイントを書き留めておく―――。

◆◆◆◆

 テクノロジーは強力なものだが、インドではっきりわかったのは、社会問題にガジェットを投げつけても効果がないということだった。(中略)コンピューター科学者である私が受けてきた教育には数学とテクノロジー関連の知識はふんだんに含まれていたが、自分の専門分野についての歴史や哲学関連の情報はほとんど含まれていなかった。これは、科学・工学系カリキュラムのほとんどに見られる大きな欠陥だ。今何がうまくいくか、明日何がうまくいくかに固執するあまり、過去について学ぶことをほとんどしないのだ。(p.45)

数多くのテクノロジー伝道者たちが主張するように、子どもにデジタル機器を与えて自分で学習するようにしたとしたらどうなるだろう? この場合、テクノロジーは子どもがもともと持つ傾向を増幅する。念のため言っておくが、子どもは学びたい、遊びたい、成長したいという本能的な欲求を持っている。だが同時に、非生産的な手段で脇道へ逸れたいという本能的欲求も持っているのだ。デジタル技術は、この両方の欲求を増幅する。両者のバランスは子ども一人ひとり異なるが、全体として、大人の指導がなければ脇道へ逸れる欲求が勝つ場合が多いようだ。(p.60)

「増幅の法則」の下では、テクノロジーは――たとえ平等に分配されたとしても――格差をつなぐ橋ではなく、隙間を押し広げるジャッキの役割を果たす。既存の格差を広げるだけなのだ。(p.85)

腐敗を根絶しようという純然たる決意を持たない政府は、透明性を確保する新技術があったからと言ってより説明責任を果たすようにはならない。十分に訓練を受けた医師や看護師が不足している医療制度は、電子カルテがあったからと言って医療ニーズを満たすわけではない。不平等な社会基盤を正そうという意志のない国は、どれだけ低価格なテクノロジーを開発したとしても、格差をなくすことはできない。一般的に言って、テクノロジーがいい結果を生むのは善良で有能な人間の力がすでに存在する場合だけなのだ。(pp.91-92)

 私たちは介入パッケージに大規模な成果を求めるが、介入自体はほかのものに依存している。それは個人や組織における前向きな意志と高い能力という基盤だ。しかもこの基盤は、社会問題が根強い地域ほど不足しているものでもある。
 決定的に重要なこの人間基盤を形成するのは、どのような人々だろう? 私の研究チームが実施した教育テクノロジー関連プロジェクトでは、カギになったのはテクノロジーを開発した研究者たち、テクノロジーを採用した教師たち、そしてテクノロジーを使った生徒たちだった。この三つのグループは言い換えれば指導者、実施者、そして受益者と同義になる。(p.106)

重要だが数値化できない資質が常に存在すること、そして意志決定においてはその事実を確実に考慮することを、私たちは今ここで受け入れなければならない。残念ながら、このビッグデータの世界において、私たちはより大きな英知を見失いかけているようだ。数値データが次々と測定可能になるにつれ、私たちは数字にばかり注目して、測定可能な結果を伴わない資質を無視する傾向にある。(p.141)

 残念ながら、ヴェーララガヴァンと私が実施した調査は、テレセンターが事業目標や社会的影響目標を達成できるということはめったにないという結論に達していた。私は南アジアとアフリカの約50カ所のテレセンターを訪れたのだが、そのほとんどでたいした成果が見られなかったのだ。たいていのテレセンターの運営者にはサービスを売るために必要なマーケティング能力がなく、観客候補は人間味に欠ける遠隔診療、教師不在の教育、能楽についての学術論文などにほとんど価値を見出していなかった。(中略)
 完全なる失敗に終わらなかったわずかなテレセンターは、三種類あった。インターネット・カフェとして再生し、社会的大義は諦めて商業的に成功したもの。パソコン技能認証の需要に目をつけて、比較的裕福な層を主な顧客としたIT訓練学校に転身したもの。テレセンターは既存のプログラムを強化するものだからという理由で、献身的な非営利組織が慈善活動の一環として無条件に支援したもの。テレセンターは運営者に内在する意図と能力を増幅するものではあったが、それ自体が根深い社会的問題の解決に役立つことはほとんどなかった。(pp.154-155)

 テクノロジー至上主義者たちはテクノロジーと知識と知性を激賞するが、良い社会的変化にはそれよりもっと多くが必要だ。(中略)対外援助の批判者ウィリアム・イースタリーは、テクノロジー至上主義的幻想によって私たちは「専門知識の不足」に苦しんでいると思いこむ、と書いている。だが実際に欠けているのは思いやりであったり、能力を持って目的を最後まで遂行することだったりする。すぐれた判断力は手始めにすぎない。その上に必要なのは秀でた意図と強い自制心だ。シンガーの溺れる子供が提示する問題は子どもを救うかどうかではなく、どの介入パッケージが一番多くの子どもを救えるかでもなく、どうすれば私たちがもっと多くの子どもを救えるような、そしてそれを実行するような人間になれるか、ということだ。(p.288)

◆◆◆◆

抜粋したところをさらに拾って要約してみると、テクノロジーが格差縮小に役立つには、導入する側に明確な意思と判断力、利用する側の利用し続けようとする強い意思や自制心が求められるということが、本書のメッセージだと整理できそうだ。

そもそも本書を読もうと思ったきっかけは、一時帰国を機会に、今自分がやっていることを一度冷静に振り返ってみたかったからである。何度か言及してきたが、2017年7月にできたブータン初のファブラボ「ファブラボ・ブータン」は、今年8月にDeSuung Skilling Programme(DSP)に経営譲渡された。

「ファブラボ」という概念自体、本書でも言及のある「テレセンター」普及の失敗とその反省の上に立っていた筈だが、ファブラボ・ブータンを見る限り、ユーザーの獲得にはあまり成功しているようには見えなかった。今年6月のJigme Namgyel Wangchuk Super FabLab(JNWSFL)の開所式に出席した来賓の人たちは口々に「あそこはマネジメントが悪い」とのひと言で済ませていたが、そこは認めざるを得ないものの、一方で、ファブラボ・ブータンを利用しようとした政策立案者の意志や判断力、自ら自制心を持って学び続けようと頑張る人々の少なさ、なんだか難しそうなことは、それがわかっている奴にやってもらえば上手く行くというような安直な丸投げ発想など、反省せねばならないことは他にもあるように思う。

JNWSFLやファブラボCSTが同じ事態に陥らないかどうか、それを防ぐにはどうしたらいいか、丸投げを回避し、自分の課題は自分で解決するよう根気よく取り組んでくれるユーザーをどうしたら確保できるか―――本書はそれらを考える良い枠組みを与えてくれたように思う。

このブログでは、テレセンターだけでなく、過去にOLPC(One Laptop Per Child)や「壁の穴」(A Hole in the Wall)も取り上げてきた。OLPCや「壁の穴」も、ポジティブなことしか書かれていない文献を過去に紹介してきたが、コメントとしては懐疑的なことを述べさせてもらった。本書は2010年代半ばに出されたものだが、これら2000年代に脚光を浴びたITイニシアティブへの批判も行っている。

テレセンターや壁の穴は、インドでの導入経験を受けて、ブータンでも導入され、同じように上手く行っていないケースが目立つし、OLPCに近いコンセプトであるPi-Topのユースセンター導入は、導入が2019年なので、効果の検証はこれからというところだろうが、ユニセフがユースセンターに供与した機材の有効活用についてユースセンター向けオンライン研修の講師依頼が僕に来ているような状況からみて、使われていない点が懸念されているのは間違いない。

重要なのは人———その強い意志、強い判断力、そして強い自制心であることを常に肝に銘じ、残りの任期に臨みたいと思う。

Geek Heresy: Rescuing Social Change from the Cult of Technology

Geek Heresy: Rescuing Social Change from the Cult of Technology

  • 作者: Toyama, Kentaro
  • 出版社/メーカー: PublicAffairs
  • 発売日: 2015/05/26
  • メディア: ハードカバー


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