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『ひろばの創造』 [仕事の小ネタ]


【M市立図書館】
この本は既に絶版になっており、中古でも入手がほとんど不可能となっている。僕が本書のことを知ったのは、今年3月、首都のロックダウンで悶々としていた時期に傍聴した探求型学習に関するオンラインセミナーの基調講演がきっかけだった。この時の講師は『「探求」する学びをつくる』の著者である藤原さと氏だったのだが、この中で、藤原氏は、「構築主義学習」を提唱し、プログラミング言語LOGOを設計するなど、テクノロジーを活かした体験学習、情報教育の礎を築いたシーモア・パパートとともに、川喜田二郎先生の「移動大学」を挙げ、その際に本書『ひろばの創造』を参考文献として挙げたのである。

藤原氏曰く、川喜田先生は、3つの公害が今の日本を危機的な状況に陥れている根本要因だと指摘したという。それは、①当時日本の環境を脅かしていた文字通りの「環境公害」、②人の心が荒廃していくという「精神公害」、③管理的な組織作りに限界がきて、うまく運用できなくなり、人が人間らしさを失い、組織の運用が柔軟にできなくなるという「組織公害」である。

その上で、川喜田先生が1969年から開始した「移動大学」の取組みは、クリエイティビティの創発が目的ではなく、人間性の回復を目的とした2週間のワークショップで、「探検」を通じた状況把握とKJ法による構造化に取り組み、課題解決に向けた取組みを整理するというものだったという。「課題解決に向けた取組みを通じて、人と人を結び付ける」———藤原氏はこう描いていた。藤原氏に限らず、この「移動大学」が、究極のアクティブラーニングだと指摘する論者は多いようでもある。

毎回、100人以上の参加者が集まり、大自然の中で、2週間のワークショップを敢行するという。場所は毎回変わるため、「移動」という名称が付いているらしい。

もう50年以上前から続いている取組みのようだし、今さらという感じはしたが、『ひろばの創造』は一度目を通しておきたいと以来思っていた。一時帰国して近所の市立図書館で検索すると、幸運にも本書は蔵書として残っていた。本書の発刊は昭和52年(1977年)だが、M市立図書館への所蔵は昭和62年(1987年)のことらしい。誰かが蔵書として所蔵を要望したのだろう。その方には感謝したい。

読んでみての印象だが、著者のKJ法に関する実践編として書かれたのではないかとの印象が強かった。僕自身はKJ法をハンズオンでは体験したことがないため、詳しいことはよくわからないのだけれど、KJ法を使って実際の課題の構造的把握や解決法の考案をやろうとした場合に、実践過程で生じる疑問にその場で解決法を考え、試行してみる場として、移動大学が位置付けられていたのかなという気がした。

移動大学について書かれた文献をザッピングしてみると、そこでKJ法を学んだという記述すら存在する。僕が本書を読んでいてわからなかったのは、冒頭述べた「3つの公害」に対し、移動大学はどのような解決策を提示したのだろうかということだった。それが実際にどのように実践され、どのような結果につながったのか、できれば知りたかったのだが、そこまでは本書には書かれておらず、場の運営に関するこの時点までに蓄積された知見を整理するメディアとして、本書は位置付けられているのかなという気がした。

最後に1つだけ引用を付しておく。

 この考え方の基礎には、「われわれ人間のひとりひとりは何かの点でプロであり、その他の面ではアマである」という見方がある。たとえば公害の専門家といったところで、郊外のなにかの問題の専門家であって、それ以外のことについては素人である。他方、家庭の一主婦もまたプロなのだ。少なくとも自分の家庭のマネジメントをどうすればいいか、親兄弟の関係はどうするか、台所のごみはどう処分するかについては、世界一のプロなのである。もちろんその他のことではアマである。移動大学はスタートのときから、ひとりひとりの市民は何かの点でプロであり、その他の点でアマだという考え方をしている。世の中に専門家という高級人種と、素人という低級人種とがいる、などとはけっして考えない。(p.174)

こういう点も含めて、今のメイカソン/ハッカソンなどにも通じるものがあるのではないだろうか。
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