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指導教官の訃報を7日後に聞いた気持ち [備忘録]

8月5日夜は20時過ぎから宿舎一帯が停電になっていたので、早々に寝てしまい、訃報を知ったのは翌朝だった。母校の大学院で僕がお世話になったM名誉教授が、7月30日にお亡くなりになられていたそうである。8月2日付で大学から訃報としてアナウンスされ、それを読んだ大学院の現研究科長が、8月5日にOB/OGのSNSで連絡を下さった。

実際にお亡くなりになられてから7日も経過してから知らされたことについては、生前の先生ご自身のお考えもあろうし、ご家族のお考えもあったことと思う。こういう形で知らされることになるのは残念だが、僕自身、生前の先生とのコミュニケーションの取り方では悩むところもあったので、連絡のされ方を云々できる立場ではないことは承知している。

自分なりに先生との過去のコミュニケーション履歴を紐解いてみたら、最後に一緒に写真に収まったのは、2016年3月、先生が退官される際に名古屋で食事会を開いた時だった。同席された同僚だった先生がお一人だったのには複雑な気もする。先生がそれまでリードされていた研究領域がその後縮小されていったのを見ると、母校はそういうお考えだったのだろうと思う。

その片棒を担いでしまったのが、先生から期待されていた博士課程を2013年に自己都合退学してしまった僕自身でもあるわけなのだが。先生にはそれでも声をかけていただき、母校での非常勤講師の仕事もさせていただいたが、それは先生の研究領域を引き継ぐといったレベルの話にまでは発展せず、僕は昨年度末でこの仕事も辞めることにした。この件でも先生にはお詫び申し上げる機会を逸してしまった。

先生から紹介していただいたにも関わらず、大学院の非常勤講師の仕事を辞するにあたり、その理由を当時僕はこんなふうに語っていた。

最大の理由は、履修登録しておきながら一度もオンライン履修室に登場しなかった履修生、最初はオンライン履修室で挨拶してやる気を披露していたけれども、課題提出もろくにせずに幽霊化してしまった履修生の多さにあります。新学期開始して数回提出課題に関してやり取りがあった上での履修放棄なら、講師の僕の責任もあるとは思いますが、のっけから履修放棄されては、何のために履修しているのかわけがわからない。そういう輩が増えて、やりがいを失くしたのが大きかったです。

母校に対する自分の親近感は、自分が院生として在籍していた当時、先生の講座のオンライン履修室で院生間で繰り広げられた議論や相互学習にあったといっても過言ではない。あの頃の熱気を再現できたらなと期待していたが、最初の2年ほどは辛うじて再現できていたものの、その後の劣化を立て直すことができず、昨年度に至った。先生が指導されていた当時の院生への問いの立て方を思い出し、僕も何度か履修生に質問を試みたが、なかなか回答が返って来ず、他の履修生からの援護射撃も起こらなかった。

皮肉なことに、2016年3月に先生と一緒に記念写真に収まった後、僕はブータンでの仕事に関わるようになり、その中から現在派遣されてきて従事しているような仕事につながってきている。今の仕事を引き受けるにあたり、少なくとも大学教員や研究者になるというキャリアパスは完全に諦める決心を、2年近く前にしている。今の派遣の仕事が終われば、休職中の現在の勤務先は退職するつもりだが、今の仕事の延長線上で生きていきたいと思っている。

もう10年以上前のことだが、僕がこのブログをひらめいたアイデアのメモ用に使っていた当時、ここで開示していた研究のネタを、知り合いだった某大学の研究者にパクられ、論文として発表されてしまったことがあった。ご本人にもパクった自覚があって、僕と距離を置くようになられた。パクられたことを憤る僕を見て、「先に文章化した奴が勝ちや」と先生からお叱りを受けた。だから、新たな領域の開拓者としてオリジナリティで食っていくつもりなら、最初に文章にしてしまわないといけないというのを自分に言い聞かせた。それが2020年の拙著につながっている。

先生とこの新しい領域開拓について、ご報告できる機会は残念ながら作ることができなかった。でも、文章化したことでいろいろなところからご相談をいただけるようになったのは、先生にいただいたご指導のおかげだと、今痛切に感じている。

先生のご冥福をお祈りしたい。短期間ながら9月下旬に一時帰国する折には、墓前に近況報告に伺えたらと思っている。
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