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ロックダウン中でもできること2 [地域愛]

これまでも何度も述べてきたことだが、今年に入って二度目の首都のロックダウンはさすがにこたえている。何もやっていないわけではないが、物事が前進しているという手ごたえもない。この状況でもやれることは何かと必死で考える毎日である。

年度末が近いこともあり、「これどうしたらいいか」「こういうのはできるのか」と自分の派遣元にロサの祭日の前に問い合わせたが、4日間なしのつぶてである。四連休だった当地の出先事務所は情状酌量の余地はあるが、東京の担当者がこの時期に照会事項を寝かせて週末を迎えたことには戸惑いが隠せない。「コロナ禍のメンタルヘルス」って、電話相談窓口に問い合わせをさせる前に、部署や事業所のレベルでやれることもあるのではないかと僕は思うが。

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1人で悶々としているのは精神衛生上極めて宜しくないので、意識的にウェビナーに多めに出て、アンテナを張ったりするようにもしている。でも、受け身になるとウェビナーは意外と集中力が維持できない。そこで、単に後学のために聴講していて、他の出席者にほとんど知り合いもいない場合は、手書きでノートテイクをしたり、電子ホワイトボード「Miro(ミロ)」を使って議論を可視化したり、あの手この手で脳に記憶させるよう試みている。

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《元々ノートテイクは多用。変えたのは書きやすいボールペン》

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《あるウェビナーの内容をマインドマップに落としてみた》

Miroは仕事で行うZoom会議の場でも先月あたりから使用を試行している。まだまだ使いこなせている感じはしないが、徐々に慣れていくしかないと思う。

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さて、本日のマイカテゴリーは「地域愛」である。

このマイカテゴリーを昔作った理由は、当時ボランティアとして関わっていた国際交流協会のイベントレポートや開催告知、さらにはボランティア活動をやっていた頃の愚痴などをチラホラ書いていた時期があったからだ。そのボランティアを辞めてしまったのは今から9年も前のことだ。

当時、シニアの部会員の1人からの嫌がらせがあったことや、事務局の冷たい対応っぷりなどにも嫌気がさし、業務多忙を表向きの理由にして辞めたのだが、それからこのボランティアグループは部会のメンバーの顔触れも変わり、事務局の職員にも交代があった。2年前にそこの国際理解講座で講師をさせてもらった時に、「またやらないか」とお誘いを受けた。僕の嫌な記憶は薄れつつあり、気持ちは揺れたが、その頃は僕自身が自分の進路を模索しているところだったので、回答保留にした。

その後、新型コロナウィルス感染拡大が起き、国際理解講座は対面での開催が困難な状況が2年以上続いた。その間に、復帰を誘って下さった副部会長さんや、国際交流協会事務局に今も残っている僕の友人には、国際理解講座をオンライン化したらどうかと提案したが、なかなか実現しなかった。

それが、今年に入ってようやく協会もオンライン化に舵を切り、その第1回の国際理解オンライン講座が先週末開かれた。講師は、2年前に僕が副部会長さんに紹介した方だった。

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講師、国際交流協会、多文化教養部会、それぞれへの応援の意味もあって、僕も遠国から傍聴させてもらった。技術的なトラブルもあって、Zoomが途切れて聴けない時間帯もあったが、オンラインで参加された50人ほどがそのままトラブル中も残っていて、それなりに関心の高いテーマであったことが窺える。協会は自信を持っていい。トラブルの原因究明と再発防止策は要検討だが、これに懲りて今後はオンラインでやらないなどとは考えないで欲しい。

オンラインに舵を切ってくれたことで、今後の国際交流協会の事業には面白い展望が開けてきたのではないかと思う。もっと海外と直接つないで、現地の生の声を聴く機会を作ったらいいのだ。僕を含めて、同市の元居住者が海外駐在しているケースは多いと思う。2時間も要するような講演会を年1回開いて終わるぐらいなら、1時間か1時間半ぐらいの現地からの報告を、同市の元在住者からオンラインで聴く機会をもっと頻繁に作ったらいい。そういう人々が、本帰国して街に戻ってきたら、国際交流協会の有力なサポーターになって下さるに違いない。

僕が本帰国して、その街にすぐに住めるかどうかはわからない。岐阜の実家に残っている高齢の母のことも気になっているからだ。僕も帰国する頃には定年退職の時期だから、自分の身が自由になるなら、しばらくは実家の母と暮らしたいという気持ちが今は強い。

でも、Withコロナの時代になって、こうしてどこにいたってオンラインで会議も国際理解講座も参加できるのであれば、2年前に復帰を誘われ回答保留にしたときのような躊躇はしなくてもいいのではないかと思うようになった。どこにいても、東京のその街の国際交流事業に関わる方法はある。故郷で暮らすこととの両立は、おそらく可能だ。ひょっとしたら、今からでも部会復帰は可能なのかもしれない。

先週末は、これの他に、岐阜のNPOが事務局を務めたオンライン研究会の聴講と、岐阜県庁の友人が22年間にもわたって主宰しているオンライン勉強会のZoomホストも務めた。前者の聴講はともかく、後者の月例勉強会は自分がホストを依頼されている関係上、毎回出ている。岐阜に戻る時、このネットワークが何かの役に立つのではという期待もあってのことだが、いずれのZoom会議とも見知った顔の人が多いため、こちらも気楽に発言でき、その分人の話の聴き方も前向きになれる。集中力が増す。そして、そういうのに出ていると、東京のホームタウンの方にももう少し今から関わっておくチャンネルがあってもいいのかなと思えてくる。

今日は、国際理解講座のオンライン化を祝うとともに、それに伴う僕自身の心境の変化についても記しておくことにした。
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