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『道徳感情論』 [読書日記]

道徳感情論 (講談社学術文庫)

道徳感情論 (講談社学術文庫)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/07/26
  • メディア: Kindle版
内容紹介
アダム・スミスの二大著作の一冊が『道徳感情論』(1759)です。本書こそが主著で、『国富論』はその副産物だったのです。個人とは「共感」能力を持ち、様々な「激情」を持っています。利己的であったり、社会的であったり、憤ったり、感謝したりします。スミスはこういった個人の心に「義務」「道徳」を確立して、新しい社会と人間のあり方を探りました。近代社会の原理を知るための必読書が読み易い新訳で登場!
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2021年の年初の目標の1つに、「古典を読む」というのがあった。古典を様々な論者が様々な角度から解説した解説本はあるものの、意外とこれまで古典を読むというのをしてこなかったので、ものは試しに何冊かの古典にチャレンジしてみたいと考えていた。そのきっかけとなったのが、2020年9月に読んだ井上義朗『「新しい働き方」の経済学:アダム・スミス『国富論』を読み直す』だったので、当然『国富論』はメニューに入っていたのだけれど、スミスは『国富論』刊行の前に『道徳感情論』を発表していたということから、先にそちらを読んでみることにしたのだ。

でも、8月下旬には着手したこの古典解読も、なかなか捗らず、何度も何度も中断しながら12月初旬時点で270頁にしか到達していなくて、でも年越しの課題にはしたくなかったので、12月中旬から馬力をかけて、残る400頁もとりあえず「目を通し」た。アマゾンの多くのレビュアーが述べていることだが、これを一発で理解するのは難しいので、何度か目を通せと言われるのはわかる気がする。多分、スミス自身の原文のクセのようなものなのだろうが、関係代名詞の接続法がものすごく多用されているため、その関係代名詞がつないでいる名詞がどれだったのかがわかりづらい。また、それが肯定文なのか否定文なのかが文末になるまで予想できず、著者は多分肯定的に述べているんだろうと思っていたら最後に「~ではない」的な否定句で結ばれていて、何が何だかわからなくなったりした。

翻訳がそんなに拙いというわけでもないのだが、でも訳文が理解しづらいという、僕にとってはかなりの敗北感の残った古典読書になった。こんな調子で『国富論』も書かれているのかと思うと、ちょっと怯む。しかも、『国富論』は上下巻に分かれていて、『道徳感情論』のさらに倍のボリュームである。今年1年かかっちゃうかな。かなり気が重い。

でも、これだけの愚痴で終わってしまったら、ブログで紹介してもあまり意味がない。そこで、先ずは本書の裏表紙にあった解説を転載する。

>調和ある社会構成の根幹に、個人の自己愛・自己利益の追求に加えて、「共感」を据えた。そして社会では、適合的な行為が是認され、非適合的な行為が否認されることにより、規則が誕生する。人間が社会的に是認された行為規範を遵守する努力によって、徳のある社会が実現するのだ。最高の啓蒙思想家が、生涯をかけて著した普及の社会論は今なお光を放つ。 これに加えて、昨年11月末にご紹介した丹羽宇一郎『死ぬほど読書』にも、虚栄心から本を読むことは、決して悪いことではないという主張を展開するのに、『道徳感情論』を引き合いに出した行がある。
虚栄心は誰もが持っており、単純に否定すべきものではありません。虚栄心は人が向上したり、社会が発展していく上で欠かせないものだからです。
 この虚栄について深く洞察したのが、古典経済学の入門書として知られる『国富論』を著したアダム・スミス(1723~1790年)です。(中略)
 アダム・スミスが『道徳感情論』で述べようとしたのは、富を追求する人間の本能を肯定しながらも、同時にそれが行きすぎないように歯止めをかける道徳が必要だということです。富の追求と徳の追及は相矛盾するものではなく、人のなかでバランスよく共存させることが重要だといいます。
 そのために彼は、人との共感に基づく「観察者」なるものを心のなかに置けといいます。この観察者が、富や世間の評価を追求する利己心にブレーキをかけるというのです。(中略)
 虚栄心があるからこそ、人は成長しようとか、競争して勝とうといった気持ちが湧いてきます。それが経済社会を前に動かす大きな力になります。ですから、虚栄心は、人や社会に大きな可能性をもたらしてくれるのです。
 すなわち、虚栄心は心の自然な現象であり、それがあるからこそ社会は進歩し、繫栄する。ただ、それが行きすぎないようにコントロールする力を培うものとして道徳心が必要なんだ、とアダム・スミスはいっているわけです。
知識を身につけてすごい人だと思われたい。みんなを唸らせるような知識を仕込んで恰好いいスピーチをしたい。そのような動機が読書の入り口にあってもかまわないという主張の根拠として「道徳心」が使われているのである。 以上2つの引用を以て、取りあえず読んだことにさせて下さい。今は正直ホッとしているとしか言えない。古典だから1回読んだだけでは学びが多いとはとうてい思えないが、二度目の読書機会が近い将来訪れるのかどうか、今はちょっとわからない。ただ、虚栄心に基づき、今年もちょっとばかり古典読書は続けるつもり。『国富論』はハードルが高いが、先ずは別の古典で!

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