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『デジタル化する新興国』 [仕事の小ネタ]

デジタル化する新興国 先進国を超えるか、監視社会の到来か (中公新書)

デジタル化する新興国 先進国を超えるか、監視社会の到来か (中公新書)

  • 作者: 伊藤亜聖
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2020/10/22
  • メディア: Kindle版
内容(「BOOK」データベースより)
デジタル技術の進化は、新興国・途上国の姿を劇的に変えつつある。中国、インド、東南アジアやアフリカ諸国は、今や最先端技術の「実験場」と化し、決済サービスやWeChatなどのスーパーアプリでは先進国を凌駕する。一方、雇用の悪化や、中国が輸出する監視システムによる国家の取り締まり強化など、負の側面も懸念される。技術が増幅する新興国の「可能性とリスク」は世界に何をもたらすか。日本がとるべき戦略とは。
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本ブログで前回紹介した『Regulatory Hacking』が、読み進めるのにやや苦戦して、同時並行で別の本を読むという二股読書をずっと繰り返さざるを得なかった中で、たまたま同署読了の時期に読んでいたのが、この中公新書から出ている同ジャンルの書籍だった。『Regulatory Hacking』は原書だから、読み進めるのに手こずるのは仕方ないにしても、日本語で書かれた『デジタル化する新興国』の読了に、1週間以上の時間がかかるとは思ってもみなかった。

僕も自分の人生の節目節目でその時節に出ている開発経済学や経済発展論の書籍を読んで、影響をもろに受けてきている。1980年代後半、新興工業国(NICSないしNIES)という名前がよく使われるようになった頃にはガーシェンクロンの「後発性利益」に関する論文、渡辺利夫『開発経済学』(日本評論社)、1990年代前半にはチェンバース『参加型開発と国際協力』(明石書店)や大野健一『市場移行戦略』(有斐閣)、2000年代初頭には末廣昭『キャッチアップ型工業化』(名古屋大学出版会)、プラハラード『ネクスト・マーケット』(英治出版)、さらには大泉啓一郎『老いていくアジア』と『消費するアジア』(いずれも中公新書)と、このブログで読書日記を書き始める以前から、それなりに文献は読み込んできている。

アジアの経済発展を横目で見ながら年齢を重ねてきた中で、それでは今はどう見たらいいのか、そこでの日本の役割は何だろうか、そしてその中で自分自身はどうあるべきか、学生時代を過ごした1980年代からの延長線上で、今をどう位置づけるのか、頭の中を整理してみる機会が欲しかった。昨年末に高須正和他『プロトタイプシティ』(KADOKAWA)、今年年初に末廣昭『新興アジア経済論』(岩波書店)あたりを読み、その中で本日ご紹介の著者の名前が出てくるようになったので、その著者が昨年秋に出された単著をこの際一度読んでおくことにした。

先ず、今をどう見るかという点について、著者は1980年代のNICsの概念から、今アジアでデジタルテクノロジーとそれらを駆使するスタートアップ企業が牽引する経済発展を、「デジタル新興国(DEEs)」tとして描いている。別の言い方をすれば、1960~70年代を「南北問題の時代」、80~90年代を「工業化の時代」、2000~10年代前半を「市場の時代」、そして2010年代後半以降を「デジタル化の時代」と整理している。

これに対応する形で、日本のアプローチも、「政府開発援助の提供者」から、「(直接投資や貿易促進とも直結する形での)工業化支援」、さらに「課題先進国」としての役割が際立って2010年代に至っていると整理されている。しかし、「デジタル化の時代」に日本の取るべきアプローチは、まだ明確ではないと著者は言う。

本書における著者の仮説は、「デジタル技術による社会変革は、新興国・途上国の可能性と脆弱性をそれぞれ増幅(アンプリファイ)する」(p.46)というものである。そのため、日本に求められるアプローチも、「可能性と脆弱性の両方に目を向けた」設計と実行が望まれると主張する。新興国がデジタルによって得られる可能性を拡大し、ともに実現し、同時に脆弱性を補うような、「共創パートナーとしての日本」というアプローチが、著者なりの結論ということになる。「好奇心と問題意識のアンテナを広げ、日本の技術や取り組みを活かす。同時に新興国に大いに学び、日本国内に還流させる。加えてデジタル化をめぐるルール作りには積極的に参画し、時に新興国のデジタル化の在り方に苦言を呈する。(中略)より対等な目線で、共により望ましいデジタル化社会を創る」(pp.223-224)という姿勢が求められるという。

さらに、この「日本」というところをブレークダウンし、政府、企業、そして個人にできることについても以下の通り論じている。

政府は新興国の在外公館の役割の1つとして、企業は国外拠点の役割の1つとして、デジタル化対応を設定すべきだろう。在外公館は現地政府のデジタル化構想への、そして企業の新興国拠点は有力IT企業とベンチャー企業の取り組みへの感度を高めることが求められる。そして新興国のデジタル化に興味を持つ人は、個人のレベルでも、新興国の技術・企業家コミュニティーとのつながりを増やすことはできる。新興国を訪問する際には、社会実装の側面に目を向け、現地の技術・起業コミュニティーとつながっていく努力が必要だ。(中略)
 新興国のデジタル化の現場は、グローバルなコミュニティーでもある。現地の技術者、そして諸外国から来たエンジニアや企業家ともつながることで、未知なる社会が出現する場面に遭遇できるかもしれない。(pp.232-233)

このあたりが、僕にとってはいちばん琴線に触れた箇所であった。自分がこれまでに此の地でやってきたこと、再び此の地に来る機会をいただいて、これからやるべきことは、上記の引用に見られる著者の主張によっても裏付けられていると強く感じる。

少し気になった点は、本書はデジタル化を扱っていながら、社会実装に至る部分でのものづくりとの接点と、そのものづくりの部分での就業機会創出の可能性への言及はあまり行っていないというところである。確かに、今此の地においても盛んになりつつあるプログラミング教育も、結局それだけなら課題解決に貢献するような実装には大きくはつながらないし、雇用創出効果は低いだろう。プログラミングの知識が、センサーの活用や筐体の製造と組み合わさり、より実装に近づくならば、そういうアプローチを取り得る人材は、引く手あまたになってくるだろう。



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