SSブログ

『国盗り物語』(1) [司馬遼太郎]

国盗り物語(一) (新潮文庫)

国盗り物語(一) (新潮文庫)

  • 作者: 遼太郎, 司馬
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1971/12/02
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
世は戦国の初頭。松波庄九郎は妙覚寺で「智恵第一の法蓮房」と呼ばれたが、発心して還俗した。京の油商奈良屋の莫大な身代を乗っ取り、精力的かつ緻密な踏査によって、美濃ノ国を“国盗り”の拠点と定めた!戦国の革命児斎藤道三が、一介の牢人から美濃国守土岐頼芸の腹心として寵遇されるまでの若き日の策謀と活躍を、独自の史観と人間洞察によって描いた壮大な歴史物語の緒編。

我が家では、日曜夜8時といったら『ポツンと一軒家』なので、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』は6時からのBSで先に見るようにしている。モックン(本木雅弘さん)演じる斎藤道三がいよいよ退場する最後の3回作というところにきていて、「斎藤道三」に今まさにスポットが当たっているのは、岐阜県出身者にとっては嬉しいことだ。

その道三が、先週末放送された第16回「大きな国」の中で、油売りだった自分の父が一代で大きな国を作るという夢を達成できず、息子の自分の代でもどうやら道半ばで終わりそうだが、信長ならやれそうだ、十兵衛(光秀)も信長とであれば大きな国を作れるかもしれない、というシーンがあった。

昔、同じ大河ドラマ『国盗り物語』で平幹二朗演じる斎藤道三を強烈に覚えていた僕は、油売りから身を起こして美濃の国持ちにまでのし上がったのは斎藤道三一代での出来事だとずっと思っていた。実際に司馬遼太郎の原作も、前半の斎藤道三編は、一代でのし上がって国盗りに至る道三の活躍を描いている。

あれ?それじゃ本木道三のあのセリフはどういうことなんだろうか―――。

気になった僕は、ウィキペディアで「斎藤道三」を調べてみた。その真偽のほどは定かではないけれど、そこには「父子二代説」が近年有力になってきているのだと書かれてあった。

かつては、「道三は油商人から一代で美濃を平定(国盗り)した」という説が有力であったが、1965年~1973年に発行された『岐阜県史』編纂の過程で発見された古文書「六角承禎条書写」によって、美濃の国盗りは道三一代のものではなく、その父の長井新左衛門尉(別名:法蓮房・松波庄五郎・松波庄九郎・西村勘九郎正利)との父子2代にわたるものではないかという説が有力となっている。

つまり、『麒麟がくる』は父子二代説に基づいて脚本が書かれていたのだ。(だとすると、道三が信長と聖徳寺で会見したシーンで、「織田家はさしたる家柄ではない。元は越前の片田舎で神主をやっていた斯波家の家来で、尾張ではすべて己が新たに築いていくほかない、それをやった男が美濃にいる」と信長が義父・道三を持ち上げたのは一体何だったんだろうか?)

父子二代説を取ると、「道三=下剋上」のイメージがちょっと危うくなるので、ドラマ的には採用しづらいように思う。しかし、セリフとして明確に父子二代説を打ち出した以上、どこからどこまでが父の成し遂げたことで、どこから後が息子・道三がやってのけたことなのかの線引きが必要となる。

そういうことを考えながら、『国盗り物語』の斎藤道三編は読んでみると面白いかもしれない。斎藤道三が主人公の歴史小説は『国盗り物語』以外に思いつかないので、大河ドラマで興味を持った人はきっと本作品を読むだろうと思う。そうすると、嫡男・義龍の実の父親が土岐頼芸だという説の根拠も見えてくると思う。

nice!(14)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 14

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント