各郡にエンジニアを置くのが良策なのか [ブータン]
県(ゾンカク)は、エンジニア不足が深刻
Dzongkhags face acute shortage of engineers
Kuensel、2019年8月24日、Choki Wangmo記者
http://www.kuenselonline.com/dzongkhags-face-acute-shortage-of-engineers/
ブータンの記事をネタにブログを書くときは、記事のポイントを紹介したりもしてきたのだが、これは結構面倒で時間を喰う作業だったので、時々省略させて下さい。
日本にいてブータンの記事をブログ用に選ぶときは、たいていそのヘッドラインだけで採否を決めている。ヘッドラインがキャッチ―で、それだけ見れば何が書かれているのかたいてい想像がつく。そんなものを第一印象で選んで、それで内容確認を始める。
今回取り上げた記事なんて、まさにママである。ちょっと前まで首相と政府高官が2019/20年度の年次職務課題設定(APA)の合意文書に署名するシーンがたびたび報じられていたが、その署名を終えたダガナ県の県知事が、県内のインフラ整備を進めるのに、実は質の高いエンジニアがいないとこぼしたというのが記事の発端である。
そう訴える県知事は他にもいて、記事では続いてタシガン県知事の談話に紙面を割く。知事曰く、数年前からエンジニア確保を進めようとしているが、2009年地方行政法第6条に則って、郡(ゲオッグ)レベルにエンジニアと会計係を配置しようにも、予算はないし人の配置もないとこぼしておられる。
この辺から話が地方行政法第6条が現状と合っていないという方向に向かっていく。記事の論点はその部分にあるのだと読んでみてわかる。
しかし、ヘッドラインを読んで僕が想像したのは、実は第12次五カ年計画で目指す地方分権化、具体的には地方行政レベルの主要成果領域(LGKRA)に成果を押し付ける形になっていることの問題点の指摘だった。
第12次五カ年計画は、それまで中央政府と地方政府の予算の配分が7対3だったものを、5対5にするとしており、中央で見ていた仕事を、地方に相当下ろしている。それ自体は、現場の方がニーズはよく承知できているのだから、必要なものにすぐに予算執行できる機動的な体制を取るには地方政府が予算を持っていることは大事だといえる。
例えば、タシガンの県知事が県内のある開発事業の予算を確保するのに、今までならわざわざティンプーまで出向いて関係省庁に陳情しないと実現して来なかったものが、県内にいても進めやすくなるというメリットは確かにある。
でも、記事に出てくるダガナのケースはそもそも県(ゾンカク)レベルでのエンジニアの配置の問題で、タシガンのケースは郡(ゲオッグ)レベルでのエンジニアの配置の問題である。郡レベルで確実にエンジニアを1人配置する必要があるのかどうかはわからないが、今の地方分権化の制度設計から言って、県レベルのエンジニアは先ず拡充が必要だろう。郡レベルでエンジニア1人にすると、相当暇なエンジニアもいるのではないかと思うし、それでは経験値の引き上げにもつながらない。
ところで、インフラ整備のような県レベルで区割りできる場合はLGKRAに下ろすのでもいいかもしれないが、LGKRAに下ろすことで逆にやりづらくなるケースもあるかもしれない。例えば高地民支援の問題を高地民を抱える県に、「予算配分したからそれで考えろ」という形で丸投げしても、妙案は出てこないかもしれない。高地民の直面する課題と、他の中山間地のどこかの地域が抱える課題とをマッチングして、「合わせ技一本」に持ち込むような発想は、第12次五カ年計画には欠けている可能性がある。
Dzongkhags face acute shortage of engineers
Kuensel、2019年8月24日、Choki Wangmo記者
http://www.kuenselonline.com/dzongkhags-face-acute-shortage-of-engineers/
ブータンの記事をネタにブログを書くときは、記事のポイントを紹介したりもしてきたのだが、これは結構面倒で時間を喰う作業だったので、時々省略させて下さい。
日本にいてブータンの記事をブログ用に選ぶときは、たいていそのヘッドラインだけで採否を決めている。ヘッドラインがキャッチ―で、それだけ見れば何が書かれているのかたいてい想像がつく。そんなものを第一印象で選んで、それで内容確認を始める。
今回取り上げた記事なんて、まさにママである。ちょっと前まで首相と政府高官が2019/20年度の年次職務課題設定(APA)の合意文書に署名するシーンがたびたび報じられていたが、その署名を終えたダガナ県の県知事が、県内のインフラ整備を進めるのに、実は質の高いエンジニアがいないとこぼしたというのが記事の発端である。
そう訴える県知事は他にもいて、記事では続いてタシガン県知事の談話に紙面を割く。知事曰く、数年前からエンジニア確保を進めようとしているが、2009年地方行政法第6条に則って、郡(ゲオッグ)レベルにエンジニアと会計係を配置しようにも、予算はないし人の配置もないとこぼしておられる。
この辺から話が地方行政法第6条が現状と合っていないという方向に向かっていく。記事の論点はその部分にあるのだと読んでみてわかる。
しかし、ヘッドラインを読んで僕が想像したのは、実は第12次五カ年計画で目指す地方分権化、具体的には地方行政レベルの主要成果領域(LGKRA)に成果を押し付ける形になっていることの問題点の指摘だった。
第12次五カ年計画は、それまで中央政府と地方政府の予算の配分が7対3だったものを、5対5にするとしており、中央で見ていた仕事を、地方に相当下ろしている。それ自体は、現場の方がニーズはよく承知できているのだから、必要なものにすぐに予算執行できる機動的な体制を取るには地方政府が予算を持っていることは大事だといえる。
例えば、タシガンの県知事が県内のある開発事業の予算を確保するのに、今までならわざわざティンプーまで出向いて関係省庁に陳情しないと実現して来なかったものが、県内にいても進めやすくなるというメリットは確かにある。
でも、記事に出てくるダガナのケースはそもそも県(ゾンカク)レベルでのエンジニアの配置の問題で、タシガンのケースは郡(ゲオッグ)レベルでのエンジニアの配置の問題である。郡レベルで確実にエンジニアを1人配置する必要があるのかどうかはわからないが、今の地方分権化の制度設計から言って、県レベルのエンジニアは先ず拡充が必要だろう。郡レベルでエンジニア1人にすると、相当暇なエンジニアもいるのではないかと思うし、それでは経験値の引き上げにもつながらない。
ところで、インフラ整備のような県レベルで区割りできる場合はLGKRAに下ろすのでもいいかもしれないが、LGKRAに下ろすことで逆にやりづらくなるケースもあるかもしれない。例えば高地民支援の問題を高地民を抱える県に、「予算配分したからそれで考えろ」という形で丸投げしても、妙案は出てこないかもしれない。高地民の直面する課題と、他の中山間地のどこかの地域が抱える課題とをマッチングして、「合わせ技一本」に持ち込むような発想は、第12次五カ年計画には欠けている可能性がある。
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