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消えゆく綿織物の灯 [ブータン]

ワンフーに消えた綿織物の灯
The extinct craft of weaving cotton fabrics in Wangphu
BBS、2019年3月29日、Kinley Wangchuk通信員(サムドゥップジョンカル)
http://www.bbs.bt/news/?p=112247

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【抄訳】
サムドゥップジョンカル県ワンフー郡(ゲオッグ)でかつて広く普及していた、綿花から織物を織るという古くからの伝統は、長い間姿を消していた。地元の人々は、郡内のほぼすべての世帯が約40年間綿花を栽培していたという。しかし今日では、綿花栽培農家はほんの数世帯だけで、彼らはそれをバターランプ用の芯を作るために使用している。

68歳のラキさんは、地元産の綿花を主原料とするキラ織を所有しています。彼女は年配者として、絶滅した習慣について覚えていることを教えてくれた。「綿球を摘んだ後、私たちはその加工工程で伝統的な道具を使っていました。そして、糸の準備ができたら、それをさまざまな織物に織り込みます。大変な作業が必要でした。」

しかし何年にもわたって継承されてきた手織りの綿の服は、市場で容易に入手できる織物に取って代わられた。地元の人々は、人々が伝統的な習慣をあきらめたもう一つの理由として、綿花の種が入手困難であることを挙げる。

村の特別な行事で綿織物を着たのを覚えていると言う地元住民もいる。村人の一人、ウセンさんは、次のように述べる。「私は、地元の綿とインドから購入した綿を織った義母のキラを持っています。」また、ジンパ・ジャムツォさんは、次のように述べる。「以前、私は、100%綿製で、私の母が織ってくれた服だけを着ていました。」

一方、郡庁では、伝統工芸振興庁(APIC)の支援を受けて、綿花を栽培し、服を織るという文化を復活させることを計画している。

「昨年、APICの関係者が郡を訪問しました。彼らは私たちに綿花をもう一度栽培するよう勧めました。興味のある村人のリストを提出するように依頼されました。しかし、今のところ、誰も手を挙げる人はいません」ワンフー郡の郡長サンゲイ・テンジン氏はこのように述べる。

今のところ、この伝統工芸を復活させられるかどうかの命運は、何人の村人が綿花栽培に再び関心を抱くかどうかにかかっている。そして、地元住民がまだ1人も手を挙げていない現状を見ると、彼らが他の選択肢に慣れきっている恐れもある。

◇◇◇◇

本帰国したにも関わらず、気になるテーマはマークしているSanchaiである。

このBBSのニュース、扱っているのは既に綿花栽培が廃れてしまったサムドゥップジョンカル県ワンフー郡を取りあげているが、実は僕はこの2月、そのお隣りのペマガツェル県チュンシン郡のある村をAPICの方と一緒に訪問し、綿花から綿織物に至るまでの工程をひと通り見学させてもらったことがある。

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チュンシン郡の場合は、ペマガツェル県内に3カ所ほどあった綿織物の産地のうち、辛うじて生き残っている最後の1つだった。元々この地域では、自分たちが着るものは自分たちで作ろうということで、綿花栽培から種取、梳綿(そめん)、繰糸、機織りに至る工程が、全部その域内で完結していた。これらの工程で使用される機械も、ほとんどが村の大工のお手製であった。綿織物のバリューチェーンは、親から子へ、子から孫へと継承されていったのである。

ところが、そうした自給自足の社会にも、様々な変化が訪れた。子ども達は学校に通うようになり、伝統の担い手としてカウントしにくくなった。正規の教育を受けて学校を卒業すると、今度は村に留まらなくなっていく。チュンシン郡の場合、綿織物のバリューチェーンに関わっている農家の世帯主はほとんどが女性だった。人口が停滞した状態で、今ある機械は作業に非常に時間がかかる。人手不足の村では他にもやらなければならないことがある。ついでに言うと、これらの工程で使用される機械のメンテは村大工のような人が担ってきたが、彼らは高齢化が進み、新規製作はおろか、既存機械のメンテをするのも危うくなりつつある。

APICはだから、労働節約的な新しい機械を入れることでこれをなんとかしようと試みているのだと思う。実際、種取、梳綿の2工程については、インドから電力式の機会を導入してチュンシン郡には設置していた。繰糸機は日本製のものがいいんだけどと暗に援助を求められたが、なんとなく、比較的近隣のジグミナムゲル工科大学(JNEC)の機械工学科あたりで考えるべきテーマじゃないかと思ったので、日本製の機械導入の話には賛同できないなと感じた。

彼女たちが生産する綿織物に対する市場アクセスが確保できれば、そして、労働節約的技術が導入できれば、この伝統工芸は復興できると思われてる節があるが、実はもう1つ、種が自家取りで質が一定しないという別の課題もある。自家取りといっても特にどのような種を保存するかという工夫はなされていないようだったので、これを次の播種期にそのまま播いていたら、質に相当なバラつきが生じるだろうなと思う。多分、収穫期にもバラつきが多少生じるだろう。

取りあえず、チュンシン郡で綿花をもらってきた。これを日本の知り合いに見てもらって、質の確認はしてもらおうと思っている。

こうした労働集約的な伝統工芸は、復興させることは相当難しいように思える。いったん廃れたところで復活させることよりも、今辛うじて残っているところの衰退を食い止めることを先ず考えるべきで、しかも綿花栽培だけを見るのではなく、村を取り巻く様々な課題をトータルで見ていかないと、再興に繋がるような方策はなかなか見出しにくい。また、僕も含めて「再興」という問題意識で物事を見ている外部者だけでは理解できていないものの見方もあるかもしれない。「機械でもできるようなものを作っても売れない」と別の知人から言われたことがあるが、APICが目指しているものはその反対で、伝統工芸品の質を上げれば外国人には売れると思っておられるし、僕もややもすればそういう思考パターンに陥りがちだ。

売れるものって何なのか?それを村の人に無理のない形で作ってもらうにはどうしたらいいのか?
―――日本に帰った僕がこれから少し考えてみなければならないテーマはそんなところなのかと思う。
タグ:コットン
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