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『繭と絆』 [シルク・コットン]

Book001.jpg植松三十里著
『繭と絆-富岡製糸場ものがたり』
文藝春秋、2015年8月26日
Amazon URLはこちらから。
内容紹介
世界遺産・富岡製糸場の成立秘話が満載。富岡製糸場の初代工場長・尾高惇忠の娘・勇は、婚約を棚上げして女工になる。明治の日本を支えた製糸業を隆盛に導いた父娘のドラマ。

―――それにしても、早く直らないですかね、ブログのAmazon商品紹介機能。
あれは書籍の紹介するのにものすごく便利だったので長年利用してきたが、9月22日以降機能が使えなくなっており、ソネットからは復旧の時期も明らかにされていない。

その間に読了した本、その前に読了しておきながらブログで紹介するタイミングを逸してここまで来ていた本も、一時帰国して少し時間に余裕があった本邦滞在期間の後半に記事アップしたかったがそれもかなわず、ずっとブータンの新聞記事の紹介でお茶を濁してきた。

しかし、それでもそろそろ限界なので、これからの数回は、書籍紹介も取り混ぜていこうと考えている。

その第1回は、これは読了したばかりの歴史小説。副題にある通りで、富岡製糸場の製糸工女第1号となった尾高勇(おだかゆう)が主人公の話である。尾高惇忠、勇、渋澤栄一、速水堅曹あたりは実在の人物だが、実際に勇とともに入所した初代製糸工女の数名は、いたのかどうかはよくわからない。中の良かった2人の工女は勇の結婚と軌を一にして北海道の開拓使製糸場の教官として赴任しているが、北海道に製糸場は確かに存在したし、明治8年開業というところも事実関係としては合っている。

小説の良いところは、史実としてわかっていることの行間を埋めて、1つのストーリーに仕上げられる余地が大きいという点にある。尾高惇忠や渋澤栄一、速水堅曹らの生涯については公式な記録もあるだろうが、製糸工女の生涯となると、たとえ初代場長の尾高の娘であっても、富岡で勤めた後、誰と結婚してどこで暮らしたのかがちゃんとわかっていない。

そういうところをイマジネーションで埋めることで、富岡製糸場が開業からの数年、どのような状況下で操業していたのか、工女の日常生活とはどのようなものだったのか、そして、糸繰りで苦労した点が何だったのかというのがこうして小説という形で描かれるようになるのがよい。元々北関東にはあった座繰りの技術と、富岡に導入された近代製糸技術のどこがどう違ったのか。大小の繭をごちゃまぜに使うのと、品種や大きさを整えて糸繰りを行うのとではどこがどう違うのか等、本書を読んでVividに理解できたという話がいくつもある。

彰義隊や飯能戦争の回想シーンの記述はやや蛇足感はあったけれど、全体的にはうまくまとまっている。ちょっと前に読んだ長塚節著『土』とは時代も異なるが、地理的には比較的近い土地の話。ただ、『土』の方が40年近くもあとの話であるにも関わらず、『繭と絆』には農民の悲惨な生活実態というものがほとんど出てこない。富岡で迎え入れられた初期の工女のほとんどが士族の子女だったと聞くと、比較的生活にはゆとりのあった世帯から選抜されて工女になったのだろうとは想像する。

また、小説であったお陰で、フランス人技師ポール・ブリューナとその家族、それに製糸工女を指導した4人のフランス人工女等が、言葉を発する1人の人間として描かれているのもいい。赤ワインを飲んでいる彼らを姿が血を飲んでいるようにも見えて、「フランス人は工女の生き血を飲む」などという噂が広まったというのはかなり有名な逸話だが、そのフランス人も、小説ならちゃんとした人として描かれるのだというのが新鮮な発見であった。

この本、出たばかりの頃に電子書籍版で購入していた。それがここまで積読状態になってしまったのはいろいろ事情もあるのだが、今回の一時帰国は僕にとっては大きな節目となり、ある程度身辺をすっきりさせた状態で復路のフライトに登場することができた。そこで読み始めたのがこの小説だった。たまには小説もいいなぁ。

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