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ダショー西岡の足跡 [ブータン]

2016-5-31 Kuensel.jpg
《この吊り橋は1980年代にかけられた》

パンバンは今も故ダショ―西岡を慕う
Panbang hohours the late Dasho Nishioka
Kuensel、2016年5月31日、Nima Wangdi記者、パンバン(Panbang)
http://www.kuenselonline.com/panbang-honours-the-late-dasho-nishioka/

シェムガンでは、今車で走行が可能な橋がパンバンの街をつなぐ一方で、その横に架けられた歩行者専用の吊り橋は残っている。吊り橋は農業でパンバンに大きな発展をもたらした人物として知られる故ダショー西岡京治氏ゆかりの橋として、今も保全されている。西岡氏は、第4次5ヵ年計画の頃にシェムガン県パンバンを踏査し、この地域の人々の生活を大きく変える変化をもたらした。

故ダショ―西岡に対する地元の人々の敬意は今も大きい。パンバンに今も住む高齢者の中には、彼のことを「日本の先生(Japan Sahib)」と呼んでいる人も多い。故ダショ―西岡の下で働いたNgangla村村長のリンチェン・ワンディによれば、吊り橋は第5次5ヵ年計画期間中に建設されたという。しかし、当時はこの橋を「ニシオカ橋」と名付けたいとの強い希望があった。命名の決定の背景として、パンバンはダショー西岡のハードワークに感謝の意を表したかったことが挙げられる。

リンチェン・ワンディ村長は、パンバン郡庁とともに、Ngangla村でも吊り橋の保全を行うことを決めたのだという。それは故ダショー西岡の記憶を忘れないためだけではなく、観光客向けスポットとしても有用だからである。パンバンを訪れる観光客は、この橋を歩いて渡ることを観光ルートにしている。

橋は1988年に建設され、今も強度を保っている。色とりどりの祈りの旗が風にはためいているが、橋のメッシュ状のフェンスは修理が必要な状態だ。

橋から数メートル離れたところに1件の家が建っている。この家も、「ニシオカ・ハウス」として知られている。

リンチェン・ワンディ村長によると、この家は第4次5か年計画の期間中にダショー西岡によって建てられたものだが、西岡氏本人はそこには住まなかったという。彼のブータン人アシスタントが代わりにそこに住んでいた。二階建てのブータン式の家は長く捨て置かれ、荒廃した状態にある。床板は腐食し、屋根もところどころ崩壊している。雑草が、その壁をつたって大きく伸びている。

村長によれば、村では、それが完全に台無しになる前に家を修復する計画を用意しているという。この家が建っている土地は、農業局に属しているという。家の近くにはAgarの高木がまっすぐ林立する森があるが、これらを植樹したのもダショー西岡である。現在、これらの木は森林局により手入れされている。

日本政府は1964年にブータンの農業専門家としてダショー西岡を派遣した。彼は2年間の任期終了後もブータンに留まり、1992年まで28年間、この国で働いた。1980年、当時の第4代国王は彼に赤いスカーフを贈り、農業開発分野で彼がブータンの人々のために無私の心で貢献し「ダショー」の称号を授与した。西岡氏は、ダショーの称号を授与された唯一の外国人である。第4代国王はまた、1990年に彼に「Druk Thuksey勲章」を付与している。

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―――長々とすいません。

ブータンに来てからずっとやりたかったこととして、現地の新聞の記事のうち、面白そうなものをピックアップして、日本語に訳してブログに掲載するというのがある。これは以前僕がインドに住んでいた頃に実践していて、それが結構インド事情に自分自身キャッチアップするのに役に立ったと思っているからだ。インドと比べるとブータンの場合は全国紙が1紙しかないので余計にやりやすい筈であるが、赴任後1カ月経過しても体調がなかなかすぐれず、頭が働かなくて苦労してきた。その間毎日新聞を読んでいるうちに、書きたいネタが結構溜まってきてしまった。

もうそろそろ始めたほうがいいかと思い、その第一弾として、5月31日付クエンセル紙第9面にあったダショー西岡の記事を取り上げた。

こちらでブータンの人々と話すと、いろいろなところで「ダショー西岡」の話が出てくる。急逝されてから24年が経過するのに今でもこうして新聞が記事として取り上げるのも典型例だし、「一度シェムガンに行ってニシオカ・ハウス」を見て来るといいとの声も聞かされる。西岡京治氏がダショーの称号を授与されたのも、当時ブータンの最貧困地域だったシェムガンの地域開発での氏の貢献が大きかったことが理由となったと聞いた。

ブータンでこれまでにお目にかかったNGOの中には、まさにこのパンバンをフィールドとして、エコツーリズムの振興を図ろうとしている米国拠点の財団というのもある。この地域はラフティングにも適しているそうで、日本人だったら一度見に来いと積極勧誘を受けているところである。そのツアーの中にも、この吊り橋は含まれている。それだけに、ニシオカ・ハウスの補修は大きな課題だとそのスタッフは言っていた。米国在住の日本人だったら、こういうストーリーを知ってもらったら寄付してくれる人もいそうな気がするが、ファンドレイジングは米国本部側の仕事になるので、どうなっていくのかわからないが、記事を翻訳しておいたら読んでくれる人もいるのではないかとちょっと期待している。

西岡氏の著作は少ない。フィールドでの活動が多かったからで、執筆活動にはほとんど時間を割かれなかった方だと聞いている。それだけに、西岡氏の足跡を体系的に書かれた記録の必要性は強く感じる。


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